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リンクスランドをめぐる冒険 Vol.12 伊集院静氏のこと

雑誌のライターをやっていた頃、著名人にゴルフの話題をインタビューする連載記事を任されたことがある。
今となっては誰にインタビューしたか、どんな内容だったかほとんど覚えていない(きっとたいした記事ではなかったんだろう)けれど、どうしても忘れられない、忘れたくない人もいた。

そのひとりが伊集院静氏だ。

この時のインタビューに応えてくれた言葉のおかげで、私はとても辛い時期を踏ん張ることができた。

どれほどゴルフに熱中していても、長い人生の中で、いろいろな事情でどうしてもゴルフができない時がある。私も1年間、まったくクラブを握らない時があった。できない時がどれほど続くか分からないけれど、本当にゴルフが好きで、またやりたいという気持ちさえ持っていれば、必ずゴルフをできる日が来る。

伊集院静氏

私がゴルフを本格的に始めたのは40歳過ぎ。
ゴルフ雑誌でプロゴルファーのインタビュー記事を書かなければならなくなり、とりあえずゴルフを始めよう、と再びクラブを握った。
30代の頃、友人に誘われてゴルフを始めたものの、当時は胃潰瘍で苦しんでいた時期(その頃、友人たちはやせ細った私を見て「あいつ、死ぬんじゃないか?」と本気で思っていたそうだ。けっして心配して思っていたわけではない)だったので、結局、ゴルフにのめり込むことなくクラブを置いた。

30代も終わりの頃、胃潰瘍は突然、治る。

胃潰瘍の原因はヘリコバクターピロリ菌。
これの抗生物質が見事に効果を発揮した。
この菌を発見したロビン・ウォーレン名誉教授とバリー・マーシャル教授は2005年にノーベル医学生理学賞を受賞したが、個人的には1個などとケチなことは言わず、3つ4つ進呈してもいいのではないか、と思っている。
「おー、すごいねー。胃の粘膜が真っ赤。ピロリ菌だらけだねー」
と、私のかかりつけの医師がファイバースコープの画像を見ながら秋の観光地を眺めるような軽薄な口調で言ったことは絶対に忘れることがないだろう。
閑話休題。

胃潰瘍が(あまりにもあっさりと)治ったおかげで、私の体調はすこぶる回復し、ゴルフも人並みのスコアを出せるようになってきた。
40代、ゴルフに熱中し、あと少しでアベレージが80台に届くという時、ある事情でライターを止める決意をした。
もちろん、誰のせいでもなく自分で決めたこと。
ゴルフも、できる環境ではなかったのですっぱりと決別した。

自分で決めたことでも、完全に消しされるものとそうでないものがある。
ライターよりもゴルフに対する情熱はくすぶり続けた。
その時、いつも心の中で支えてくれていたのが、冒頭の言葉だ。

Bite The Bullet、直訳すると「弾丸を噛め」。
これはアメリカ西部開拓史時代、怪我をしても手術の時に麻酔がないから弾丸を噛んで我慢した、という由来の言葉。
転じて、我慢して困難に立ち向かえ、歯を食いしばって耐えろ、という意味を持つ。
あの時、私の弾丸は伊集院静氏の言葉だった。

私は50代後半になり、またゴルフ(とライター)ができる環境を取り戻した。

時間は遡って2006年11月8日。
場所は山の上ホテル。
文豪が好んで使ったホテルでインタビューは始まった。
インタビューは私たちを含めたいくつかの媒体に時間が割り当てられた。
これはけっして珍しいことではなく、何かのプロモーションを行う時の慣例みたいなものだ。
伊集院氏の机の前には紀行文の「夢のゴルフコースへ」と宮本卓氏の写真集「IT'S BEAUTIFUL GOLF COUSE」が積まれていた(巻頭の画像は「IT'S BEAUTIFUL GOLF COUSE」からの引用)。たぶん、これらの本のプロモーションだったのかもしれない。

私はとくに伊集院静氏の作品のファン、というわけではなかった。
それは今も変わらない。
著作やコラムは読んだことがないし、読みたいとも思わない。
読みたい作家はもっと他にいるから、読まなきゃいけないような本は仕事以外、読まないようにしている。

ただし、ゴルフに関しては別だ。
インタビューで話してくれた話題はユーモアがあり、どれも楽しく、そして共感できる話ばかりだった。
ボロボロになるまで1個のボールを使い続け、最後はティーショットを打った後に破裂した話。
とあるゴルフコースのクラブに入会したことがあるけれど、そのクラブがあまりにも本来のクラブライフとかけ離れていたムラ社会だったのですぐに退会した話。
今は妻と一緒にツーサムで回るのが一番楽しい時間、という話。
そして、冒頭の引用文の話。
その時はゴルフができなくなる時が来る、なんて想いもしなかったけれど。

きっと、この人と一緒にプレーしたらとても楽しく、しかも学べることが多いだろうな、と感じさせる時間だった。

帰り際、高く積まれている本を取ると私の名前を入れてサインをしてくれただけでなく、「誰かにあげたい人いる?」と聞かれたので「兄に」と答えたら「へえ、ご兄弟で一緒にゴルフされるんですか。いいですね」と言いながら、もう1冊、サインをしていただいた(これは猫に小判と化したが)。

今、改めて氏の本「夢のゴルフコースへ」〜米国西海岸編〜を読む。

内容は写真家の宮本卓氏と一緒にアメリカの有名なゴルフコースを巡る紀行文だ。
登場するコースやホールはゴルフ好きなら一度は耳にしたことがあるだろう。
ペブルビーチゴルフリンクスの7番だったりサイプレスポイントゴルフクラブの16番だったりリビエラカントリークラブの10番だったり。
それらのコースでのプレーを臨場感たっぷりに伝えている。
読者はまるで同伴競技者の気分だ。

氏は待ち受ける名ホールに臆する気持ちを押さえつけ、奮い立たせて挑み、惨敗を続け、時々、勝ち名乗りを上げる。

もちろん、それだけでもゴルフ好きにはたまらない展開ではあるけれど、これが名著となる所以は氏のゴルフコースに対する姿勢だ。どのコースにもつねに敬意を払い、見過ごしそうな景色を心に留め、コースに咲いた若芽を避けて通る。
それが、ゴルフに対する礼儀であるかのように。

時に、ゴルフに対する自問自答。
ゴルフの奥に潜む何かを手探りし、やっと掴めたかと思うと、それは次の奥に潜む何かの手がかりでしかなく、また探ることを繰り返す。
数多のゴルファーが見向きもしない、ゴルフとは何か?という無限の問いかけに対して真摯に向き合う。

時に、ゴルフの魅力を連綿と綴る。
たとえ罠が仕掛けてあるホールで、まんまと罠にかかったとしてもそれすら愛おしく、何度罠にかかろうともまたホールに挑もうという気持ちを忘れない。
まるで手の届かないゴルフの女神に宛てた恋文のようだ。

人は、背負ってきたもの、背負おうとしたもの、背負いたかったもの、背負おうとしたけれどこぼれてしまったものの量と質で背中の広さに違いが出る。
物書きは、その背中に蓄積されたものの中から、あちこちを探して組み立て、余分なところを削ぎ落として言葉を作り上げる。
それは往々にして苦悶ではあるけれど、この作業の妥協点を早めに見つけてしまうと端麗な姿にはならない。
そして、その作業は自分の生き方にも通じる。

本を読み終えた後、私は氏の背中の広さ、背負ったものの量と質を想った。
それ以上に、こうやって世界中のゴルフコースを巡る旅が羨ましく、いつか、できることなら私もしていみたい、と思った。
たぶん、この本もリンクスランドをめぐる冒険の誘発材料になっているのだろう。

氏は女性にモテたという。
男性にこれだけ好かれる性格だったら当然だろう。
今頃、恋文の効果があったのか、どこぞのバーでゴルフの女神と指を絡めながら、優しい囁きで口説いているに違いない。

追悼文なんて私の柄じゃないし、そんな関係性もない。
これは私の記憶に関する記録だ。
ただ、いつか、どこかで文章にしようとずっと思っていた。

あの時の感謝の意を込めて。




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