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リンクスランドをめぐる冒険Vol.21 孤高のゴルフコース、マフリハニッシュ Part.5

2023年6月22日から2023年7月23日まで。
約1ヶ月間、スコットランドのゴルフコースをめぐる1人旅を敢行。
これだけを考えるとゴルフ好きなら誰もが
「羨ましい!」と思いつくままを言葉にする。
実際、私だって行く前はほぼ、楽しいことしか頭の中になかった。
しかし、いざ行ってみると悪戦苦闘と至福の時の繰り返し。
振り返ればジェットコースターのような1ヶ月間。
これはそこで見たこと、感じたことの備忘録です。

隔絶の地の寂寞と孤独感

1990年代の後半、中国の西安から河西回廊の敦煌まで、何度か取材に行った。
取材先のひとつに陽関があった。

毎日、毎日、ゴビ砂漠ばかり見続けるのが仕事…。(著者撮影)

陽関(ようかん, Yangguan)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の南西約70kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。併せて設置された玉門関より南に位置し、そのため「陽関」と称された。玉門関と併せて「二関」と呼ばれる。代に武帝河西回廊を防衛する目的で建設した、西域交通南ルートのでの要所であった。        

Wikipedia

中国の南の果て、目の前は延々とゴビ砂漠。
当時は往来もあったのだろうけれど、こんな隔絶の地に送り込まれる役人の気持ちと生活を想像するだけで身も細る思いがした。
詩人が陽関へ旅立つ知人に別れの詩を奏でたのも、もっともな話。
この取材の時、私はまったくの無音を初めて経験した。

どこまでも続く荒涼な大地。
風がまったく吹いておらず、人どころか生き物の気配すらない。
時間の観念が無意味にさえ思える光景。
押し寄せる圧倒的な寂寞の前に、私はただ、孤独感を抱いて立ち尽くしていた。

無音の大地(著者撮影)

大地で無音を感じたのは、あの時以来だ。
では、あの時と同じように寂寞の前で孤独感を抱いたのだろうか?

否。

何百年、何千年か分からないが、とにかく長い年月をかけて海と空と大地が作り上げたリンクスに、ただ1人。
挫折感は胸元を通り越して喉元まで迫っていたけれど、不思議と孤独感はなかった。
むしろ、奇妙な温かさすら感じた。
ここは隔絶の地に建てられた関所ではない。
ゴルフコースなのだ。

孤高のマフリハニッシュ

およそ150年前、まだ動力器具すらない時代に、先人たちはここでゴルフをするためにティーイングエリアとグリーンを作った。
大規模な整地作業なんてできない。幸い、フェスキューの芝だけは羊が食んでくれる。だからリンクスの地形はそのままに、フェアウェイとラフを分けた。
それだけあれば、立派なゴルフコースだ。
当時の粗末なゴルフ道具に合わせて距離を定め、ホールをデザインし、少しずつ数を増やして、18ホールを完成させた。
出来上がったコースでプレーした時の楽しさとはどれほどのものだったのだろうか?
コースを作る労力さえ、楽しみのひとつだったに違いない。

150年の時を経た今でも、マフリハニッシュは当時の面影を強く残している。
Parは70、距離はホワイトティーからでも6226ヤードしかない。
トーナメントを開催するチャンピオンコースとしては短すぎる。
マフリハニッシュの周囲には未使用の砂丘が広がっており、距離を伸ばして2ホール追加することは十分可能だ。
けれど、マフリハニッシュは何も変えない。変わることがない。
近代的なゴルフコースに目を向けず、古典的な仕様を頑なに守る。
先人に対して敬意を示すかのように。
この仕様こそ、唯一無二のマフリハニッシュといわんばかりに。

気高き孤高の存在。

それが理解できた途端、マフリハニッシュの重い扉が開かれたような気がした。

私の前を先人たちが行く。
粗末なクラブとボールで勇猛果敢に、荒波のようにうねる砂丘や横殴りの海風と取っ組み合いながら進んでいく。
私は喉元まで迫り上がった挫折感を飲み込んで、散らばったゴルフクラブや赤い傘をキャディバッグに戻し、電動トロリーを立ち上げた。

私は孤独ではなかった。

先人たちの後を追おう。

私は今、何ホール目にいるのかを確認するためにポケットからスコアカードを取り出した。
雨に濡れ、端が剥げたスコアカードの表紙には、今よりずっと荒々しい原野のようなマフリハニッシュでプレーする先人たちの油絵が描かれていた…。

続く

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