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縄文時代の文明で忘れてはいけないこと

新石器時代とは何か
これまで縄文時代は、他の文明と比較して、新石器時代として良いのかという迷いがあったようだ、
「縄文土器の時代は新石器時代なのか」という問いが未だに生きていて、くすぶっている
これを忘れてはならない、これを明確にできない限り、縄文時代の正当な評価は出来ない。

ビングに問い合わせてみた、
縄文時代と新石器時代は、日本列島における時代区分であり、
世界史では中石器時代または新石器時代に相当する時代です12.

以下にそれぞれの特徴を説明します:

  1. 新石器時代:

    • 定義: 磨製石器の登場をきっかけに始まり、農耕や牧畜が行われるようになった時代。

    • 主な特徴:

      • 農耕・牧畜が生活の主体。

      • 移動型の生活から定住型の生活への変化。

      • 氏社会が形成され、階級が生まれる前のほぼ対等な社会3.

  2. 縄文時代:

    • 定義: 約1万5000年前から紀元前4世紀まで続いた時代で、縄文土器の使用が特徴。

    • 主な特徴:

      • 採取や狩猟によって生活が営まれていた。

      • 一部地域で農耕・牧畜がみられたものの、社会構造の発展は限られていた。

      • 日本列島が他の地域に比べ温暖化した自然環境に恵まれた1.

世界史における新石器時代の定義はヨーロッパから西アジアにかけての地域で組み立てられたものであり、
日本史においては縄文時代が新石器時代の一部にあてはまるだけで、採取や狩猟を主な生活の糧としていた縄文時代は新石器時代であるとは言えないのです.
このような答えでした。

1.旧石器と新石器の違いとは
土器が現れたことである

図 土偶
土器造りが新石器時代を切り開いた、土器開発こそが新石器時代の標識である。
旧石器時代には想いを記録しようにも、石器で念いを表現することは困難である。
木などでは腐ってしまい残せない。
石と大きく異なるのは、粘土は思っている形が造れること、それを焼いた後の土器は、何と言っても石器と同じように、永久に残せること。
古代史は発掘して、遺物からその文化を想定するのが大半である。しかし土器は文字でなくとも、造形や文様などの記録から、文化を読み取ることが出来る。
土器は先ずメデイアとして思ったことを記録として残すことが出来る道具であった。

土器は最初に何処で作られたのか今の所まだ明確にされていない。しかし
縄文時代はシュメール文明に先行すること10000年以上前から継続的に新石器時代の生業開発の記録を残していたのである。新石器時代とは縄文土器に記録を遺すことが出来るようになったことから、歴史時代である。

土器の系列 お借りしました

図 土器の系列
新石器時代とは歴史記録を残すことが出来るメディアを、手に入れた時代であると言うことが出来る。
そして新石器時代とは、歴史を記録して残していた時代である。
洞窟に絵を描いたりして、それが遺されては居るものの、歴史記録として見ることが出来るような、継続して発展した系統だった様子は確認できていないと思う。

2.土器はメディアであるとは
土器は粘土から思った形を造ることは出来るものの、土偶や文様の例に見られるように、その意味することを伝えることは難しい。
それから何が表されているのか理解することは難しい。

数が記録されている

図 土版
土版の一つ

図 土版の裏
これはアルキメデスの定理を示している
それは分らないとしても、これらは数字を示していることは間違いない
これこそが土器はメディアであることを明確に示している
土器は第三の道具である、メディアである。これこそが人類が知識を蓄積し始めた糸口である。

3.突起口縁の土器は何のために作られたのか
石棒は太陽直接観測のための道具であり、他の文明には石棒はなく、縄文時代のみの
特別な遺物である。

金生遺跡の立地 周囲の山と 配石内石棒の示す方位

図 太陽観測は山のピークからの日の出と石棒、そしてノーモンにより、影を見ることで行われていたものと考える。

突起口縁土器の歴史的変化

図 突起口縁の土器の歴史経過
土器が示す数は、2、4、6、8、12、3、5、7 という数列となっていて
突起が示す数の暗号は、中期に作られた 3突起の土器と、
金生遺跡の太陽観測施設により解明できる。
縄文時代早期には定住が安定して、巨大貝塚が造られるようになる。サケの遡上回帰漁が出来るようになり、マメ類の栽培種が成立したのは、太陽暦が完成していたからである。

4.土器には新石器時代に行われていた生業開発の歴史が記録されている

縄文時代の土器

図 弓矢開発から、釣り糸の開発、そして網を用いた漁までの歴史

図 マメ類の栽培から栽培種の成立までの記録

縄文時代前期半ばに主要な生業開発を終わると共に、縄文が消えて諸磯式などの、新しい文様が土器に造形されるようになった。
これらの文様が何を示しているのか、現代の人類には、まだ理解することが出来ていない。
今の人類以上に知力が上がらないと、理解出来ないのではないだろうかと思う。
このようにして縄文時代の中で、縄文模様が主に使用された縄文土器の時代は、シュメール以前からの新石器時代の歴史を土器に記録して遺しており、これは先史時代ではなく歴史時代であり、超古代文明と言えるのではないだろうか。


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