ニートな吸血鬼は恋をする 第六章

その日から、三人の生活は一変した。
連絡先を交換した三人は、灯の言いつけによって頻繁に連絡を取るようになり。そして、頻繁に会うようになった。
またその最中、通報が入って恋愛警官としての仕事をするところを、灯に見せることもあった。

「うひひ、千歳ちゃーん……」
「ひぃいいいいい……!」
「あわわわわ……!」

相手は集団ストーカー。
五人のストーカーは、まるで亡霊に憑りつかれたかのように、意中の人物であるネットアイドルの千歳という女性を狙って走ってくる。
灯はちびりながらも、その女性と身を寄せ合って震える。

「灯、下がっていて!」
「私がやる!」

真紀は凄まじい速度で、踏み込んで殴りつける。

「はっ!」

叩き、蹴り、投げ、ぶん殴る。
凄まじい四連撃で、ストーカーたちをぶっ飛ばす。
(!? 確か五人いたはず……もう一人は……!?)
真紀が辺りを見渡すと。

「はぁっ!」
 「かはっ……!」

愛人が背負い投げで地面に叩きつける音がする。

「ふっ!」

さらに全体重を乗せたかかとで、首を踏みつけて窒息させた。

「あ、ありがどおぉおおおおお!!!」
「ごわがっだあぁあああああ!!!」

その女性と灯は、涙を浮かべながら安堵する。
また別に日。

「はぁ!」
「……」

愛人は真紀に殴りかかっていた。
組手だ。『ラヴァーズ』が保有する、大きく開けた巨大な柱が乱立するだけの地下空間。灯は安全な強化ガラスの窓から観戦している。ヘッドギアやサポーターといった体を守るための装備を纏いながら戦う試合。
もっとも、今装備を施しているのは愛人だけだが。

「ふっ! はぁっ!」

愛人が何度も真紀に向かって全力で殴り掛かる。
しかし真紀はその全てを軽々と避けていく。

「……てい」 「ぐはぁ!?」

そして隙をついて、凄まじい拳を叩き込む。

「……あいと」
「……はぁ……はぁ……な、なんだい……?」

真紀は心配そうに愛人を見る。

「……今日はもういい……」
「僕じゃ力不足だと?」
「そうじゃない……けど……あいとが……」

いつものことだが、真紀はそもそも戦うことが嫌いなのだ。
その相手が愛人である組手では、いつも真紀は手を抜いていた。

「……そうかい……!」

それを知っている愛人は、話を切り上げて再び真紀に攻撃を仕掛ける。
真紀に向かって走りながら、愛人は腰に吊ってあった棒を手に取る。
恋愛警官用の警棒だ。

「おぉっ!」

愛人はそれを全力で振りかぶり、真紀は前腕で防ぐ。
ビチッと痛そうな音が響くが、【心装】を施している真紀には無傷だ。

「ふっ!」

愛人は真紀の腕を掴み上げて、脇腹に警棒を振るう。
「ん」
しかし真紀はあっさりとそれを掴む。
「ぐおっ!?」
そして愛人のガラ空きの腹に蹴りを入れる。
真紀の蹴りで、愛人は警棒を手放して吹っ飛んでいく。
「ぐぅ……くっ……!」
それでも愛人は諦めず、がむしゃらに攻撃を仕掛ける。

「ふっ! はっ! らぁああああ!」
「……」

殴り、蹴り、掴みかかる。だがその全てを避けられる。
「……んっ」
そして真紀の剛速球の拳が愛人の腹を捉える。
「っ! ……へっ」
愛人は右腕で防御するが、鈍い鈍痛に襲われる。
しかし同時に真紀の腕を掴んだ。
「らぁ!」
愛人はそのまま背負い投げの要領で、真紀を地面に叩きつけようとする。
「ふっ!」
なんと真紀は片手をついて着地。
そのまま体を捻って、ドロップキックのように足裏で蹴りを入れる。
「うおっ!?」
愛人は咄嗟に後ろに飛んでダメージを逃がしながらも、大きく吹き飛んだ。
「……まだ分からないの?」

真紀は愛人に告げる。

「心素が無いんじゃ、勝てないよ……」

愛人は息を切らしながらも、懐のホルスターに手を伸ばす。

「……分かってるよ」

愛人は注射器を取り出した。

「さすがに生身では勝てないけどさ……」
「あいと……!」

真紀はそれを見た瞬間に、焦ったように愛人を止めようとするが、その前に愛人は注射器を押し込んでしまう。

「心素があればいいんだろう?」
「っ!」

今まで全くの無傷で、余裕そうだった真紀が、構えをとった。
いつの間にか髪に白いメッシュが入った愛人が、不敵に笑う。

「へっ……こっちはとっくにキレてんだ、来いよ……!」
「……あいと……!」

真紀は少し迷っていたが、覚悟を決めて愛人に飛び掛かる。
まるで残像と化したかのような超人的な踏み込みに、愛人は反応する。

「ふっ」

愛人は前腕で真紀の拳を受け止めた。
 ズドンッ
お返しとばかりに愛人は反撃する。

「っ……!」

愛人の青く光る拳は、真紀に防御を選択させた。
ミシミシと拳を押し込む愛人の力と、それを抑え込む真紀の力が拮抗する。

「くっ……!」

……いや、だんだんと愛人が押し勝っていく。

「うおらぁっ!」 「がふっ!?」

愛人は気合と共に、真紀を蹴っ飛ばした。
(……あの時と同じ……!)
見ていた灯は、豹変した愛人を見て興奮したように顔を上気させる。
これこそが、吸血鬼の唯一といってもいい利点だ。
吸血鬼は感情の起伏に、異常に乏しい。故に小さな起伏を常人より感知しやすい。それは、理性的感覚や本能的感覚による心素の制御。
心素を精密に感知して機械的に操作し、心素の力を一点に集約する。
少量の心素とはいえ、拳に集約された愛人の心素は一時的に真紀を上回ったのだ。
これこそが、吸血鬼の能力――【確心】である。

「……ふっ!」

愛人は至近距離から真紀に上段蹴りをかます。

「っ!」

腕を挟んで防御したが、真紀は吹っ飛んだ。
さらに愛人は、心素を解放しながら攻め立てる。

「まだまだぁ! ――
 ドンッッッッッッッ!!!!!

――ん……あ、あれ……?」

愛人が目を覚ますと、そこは愛人のアパートのベッドだった。

「あ、愛人起きたんだ」

真っ先に灯がそれに気づく。
余談だが、いつの間にか三人は、互いに下の名前で呼び合う仲となっていた。相変わらず、愛人だけは神崎さんと呼んでいるが。

「神崎、さん……? 確か……僕は……いつつ……」

起き上がろうとするも、酷い頭痛に襲われる愛人。

「無理しないで。……はい、お水」
「あぁ……」

灯の持ってきた水を飲んで痛みが和らいだところで、愛人はゆっくりと起きた。横にいた真紀を見て、記憶を辿る。

「……僕は、殴られたんだっけか……」
「そうよ。まぁ私には速すぎて見えなかったけど、ギャグマンガみたいに吹っ飛んでいたわ。……で、医務室の先生が帰っていいって言ってたから、真紀ちゃんが運んできたの……」
「……そっか」

愛人は起きてからずっと調子のおかしい顎をさすりながら納得する。
当たり前の話だが、人工心素を摂取したところで真紀とは絶対的な心素量の差が埋まる訳ではない。たとえ心素を知覚して一点に集中するとはいっても、一度に行使できる心素はやはり限られてくるのだ。
感情によって、それ以上の心素を真紀が行使すれば適うはずもない。

「……ごめん。あいと」
「何の謝罪だい……?」
「……」

申し訳なさそうな、主人の前で粗相を働いた子犬のような顔で、真紀は謝罪した。

「……僕だって君に色々しただろう……それで相子だ……」
「まぁ確かに……警棒を思いっきり叩きつけたり、殴りかかったり蹴っ飛ばしたり……女の子にしちゃいけないことを大体やっていたわね……無傷だったけど」
「だろう?」
「……」

灯と愛人は茶化そうとするが、真紀はしょぼくれた顔のまま口を開いた。

「……だって、あいとに……心象具現を、使っちゃったし……」
「……はぁ」

愛人はその言葉に、呆れたように溜息をついた。
一方灯は、驚愕に目を剥いていた。

「え、し、心象具現ですって……!?」

心素は基本的に筋力や骨、神経などの体内に影響し、外部に影響することはまずない。
しかし莫大な心素を持つ者は、その心素を外部に放出することが出来る。つまり心象具現とは、炎や水、雷といった心の中にある強大な意思を、まるで魔法のように現実に具現化させるという奇跡の御業である。この現代社会で心象具現を扱える者は、例外なく有名人であり、その全てが巨万の富と名声を築いていた。

「……たしか真紀ちゃんの心象具現は【バレット】。拳圧を巨大化して遠くの相手に心素の拳を叩きつける……拳の弾丸……。それで僕をぶっ飛ばしたのかい……?」
「……まだ、未完成だけど」
「そうなの……!? 私、全然見えなかったんだけど……!?」

灯は真紀の底知れない将来性に、驚きっぱなしだった。

「……零距離だったから」
「なるほどね……そりゃぶっ飛ぶわけだ」

愛人は規格外の真紀の戦力に、もはや笑うしかない。

「……それより愛人に聞きたいんだけどさ、どうやって心素を使っていたの?」
「あぁそれは……あれ、どこ行った?」

愛人はいつも腰に吊っているホルスターが無くなっていることに気付く。

「……?」

愛人が違和感を覚えて真紀を見ると、真紀はふいっと顔を背けた。

「……真紀ちゃん?」
「だめだよ……」
「……何? なんのこと?」

訳が分からない灯だけが、その様子を見守っている。

「……説明すると……まず吸血鬼は基本的にごく少量の感情しか持たない。でも吸血鬼でも心素を大量に発現させる方法はあるんだ」

愛人は、ため息をついてから説明を始めた。

「前にも似たような話をしていたわね。確か恋愛感情が芽生えたらって……」
「うん。でもその方法は心素を外部から奪い取る行為。違法なんだ。吸血鬼が心素を発現させるのにはもう一つ、科学的な手法がある……それが人工心素」

愛人は水に口をつけながら、説明を続ける。

「人工心素は体内の心素を著しく増殖あるいは活性化させる超即効性の薬物さ。通常医療用に使われるこの人工心素は、吸血鬼の体内にある微量の心素にも反応するんだ」

そこで灯は思い出す。あの夜、灯の拳を受け止める直前にも注射器を打っていた。

「……そういえば、あの時も……」
「……勿論、感情に対して過剰な心素を薬物で無理矢理引き出しているわけだから、精神的にも身体的にも負担は計り知れないんだ。……まぁあの時は緊急事態だったから、使ったけどね……」
「……」

灯は言いようのない罪悪感に襲われる。

「愛人はあの後、一日中寝込んでた。……とても危険なことだから」

まるで追い打ちをかけるかのように真紀がそう付け足した。

「いや、流石にそれは誇張だけど……危険なのは本当だ。心素を沢山もっている健常者が使用を許されるのは、君の元彼みたく命に関わるほど体が莫大な心素を必要としていると判断された場合のみだ」
「……なんで、愛人はそれを沢山持っているの?」

灯は素朴な疑問を口にする。

「僕は吸血鬼だからね。しかも先天性の。だから身分証さえ提示できれば、普通に薬局で買えるんだ。本来は極少かなり薄めて使うらしいけどね……」

一通り説明を終えた愛人は立ち上がり、真紀の元までくる。
もう頭痛は収まっていた。

「さてと、真紀ちゃん……返してよ」
「だめ」
「……なんで?」
「危ないから」
「……返してよ」
「やだ!」

真紀はうずくまって取らせまいとする。どうやらお腹の辺りに隠しているらしい。
愛人は目を細めてそれを見つめるが、やがて諦めたように溜息をつく。

「はぁ……わかったよ。僕は外で風に当たってくるよ」

流石に真紀相手に力づくは通用しないので、愛人は諦めることにした。

「じゃあね、神崎さん」
「え、えぇ……」

まるで小学生のような二人の喧嘩?に目を白黒させていた灯は、呆然としながらも愛人を見送った。

「……えっと、真紀ちゃん?」

それから灯は、未だにうずくまり続けている真紀に話しかける。

「……ぐす」
「えぇっ!? ちょ、えぇっ!?」

いきなり泣き出す真紀に、灯はどうしていいか分からない。
真紀にとって愛人が大切な人だということは灯でも知っている。
しかし、ちょっと口論しただけで泣いてしまう程のものなのだろうか。

「……えっと、真紀ちゃん」
「……何?」
「えっと……そのホルスター、返さないの……?」
「……うん」
「……愛人に嫌われちゃうかもよ……?」
「…………別にどうでもいい」

大変よくなさそうだ。

「あ、あはは……そっかぁ……」

灯がどう反応していいか分からず、苦笑いを浮かべるしかない。

「……そ、それじゃあ私もそろそろ帰ろっかな……」

灯は居心地が悪くなったので、逃げるように帰り支度を済ませる。

「待って……」
「はい……」

真紀は目に涙を溜めながら、灯を呼び止める。

「あかりはさ。……あいとのこと……どう思ってるの……?」
「え……」

灯は固まってしまう。
まさかそんな言葉が真紀から出るなんて、欠片も思わなかったのだ。

「え、えと……まぁ、そりゃ……普通、だけど……?」
「……好きじゃないの……?」
「えぇっ!?」

灯は友達としてのことを聞いているのだろうと一瞬思ったが、これは違う。
この口ぶりは間違いなく恋愛的なことだ。

「そりゃ、まぁ……嫌いじゃない、けど……」
「……それだけ……?」
「……えぇと……」

確かに灯は、愛人のことが嫌いではない。一緒に居て居心地がいいし、大切な友人だ。しかし好きかと聞かれると、どうにも言葉に詰まってしまう。
……要するに、まだ自分の感情がはっきりと言葉にできる程整理できていないのだ。
灯はどうにか真紀の質問から逃れるために頭を悩ませる。

「あーほら、私って吸血鬼じゃない? だから――「もういい」――……え?」

吸血鬼、という単語を口にした瞬間に真紀は立ち上がり、話をぶった切る。
涙はもう止まっていた。

「……もうわかった。……帰って」
「え……わ、分かったわ……」

灯も居心地が悪かったので、さっさと帰った。
(なんて答えればいいのよ……!?)
灯の胸には、いつまでもそんな疑念が残った。

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