愛国心、日本式左翼リベラルなど

 今回は、日本人の民族としての誇りがWorld Value Surveyにおいて86カ国中74位、あまりに低水準であるとのデータを踏まえ、安倍内閣による大戦略の転換について軽く考察する。国民あるいは民族の誇りが外交、安全保障において重要なのはいうまでもないが、私は日本人の愛国心、誇りの低さは日本国の政治の健全性にも悪影響であると考える。その上で安倍内閣の大戦略は日本人の誇りに着目した点において優れた内容であったと考える。

第一に、日本人の誇りの低さが国家に与える悪影響について考察する。国民の誇りの低さは日本のリベラル勢力のあり方を歪め、保守、リベラル間の健全な議論を阻害していると考える。日米のリベラルを比較すると日本の左翼リベラルの不健全さが如実に現れる。米国では民主党であっても対中政策や価値観外交など、国家の根幹をなす政策には協力し、国防の重要性にも理解がある。国民は右派、左派関係なく愛国心や誇りがあり、共和党、民主党で政策の違いはあれどあくまで「アメリカのため」の議論が行われやすい。一方日本では、立憲民主の一部、社民、れいわといった左翼リベラルが汚染水反対、天皇制反対、国防強化反対など、反日政党的な、国家を毀損するような主張ばかり展開しているのが現状である。そうした状況では「日本のため」という日本人の政治家として当たり前のことを前提とした本来の保守とリベラルによる国益に資する議論が行われにくくなる。つまり日本政治の議論には日本のための議論が存在していない。それでも日本式左翼リベラルが勢力を保っているのは、日本の有権者に国家の誇りが根付いていないことの証左であろう。本来自分の国を大切にすることに右も左もないはずである。愛国対反日の構図を脱却し、広く国民が日本人として誇りを持った上で本来あるべき建設的な保守とリベラルの政策論争へ移行することは成熟した日本政治を行うために重要な課題であると考える。

これを踏まえ第二に、安倍内閣の大戦略について考察する。安倍内閣は、吉田茂以降の軍備軽視、経済重視の大戦略の転換に踏み切り、「美しい国日本」を掲げた岩盤保守の姿勢を打ち出した(一方で社会保障などの充実も軽視せず行なったが)。安倍総理の目指した教科書改革や憲法への自衛隊の明記は、敗戦以降の自虐的な「戦後レジーム」を脱却し、国民の誇りを喚起することを目標としていた。広く国民に誇りを持たせることの必要性は先の段落において述べた通りである。また彼の国家観はナショナリズム=感情的であるという指摘もあるが、大戦略においては「仮定」や「脅威」の認識に基づいた「行動」が重要であり、周辺国との緊張が高まっている近年の情勢においてはむしろ理性的な思考がなされていたと言える。ナショナリズムよりもむしろリアリズムというべきであろう。

以上から私は、建設的な政策論争を行うために広く日本人の誇りは喚起されるべきであると考える。またそのために、安倍内閣による大戦略転換は必要であったと考えるし、安倍総理がナショナリストであったという指摘は当たらないと言える。

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