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真夏のバスケisプライスレス

盛暑の候、暑い日もまだまだ続いておりますがバスケを愛する人たちはいかがお過ごしでしょうか。
各チームのロスターも固まり始め、巷ではプレシーズンの話題も上がってまいりました。今シーズンはどの席に座ろうかな、どんなグッズが出るのかな、面白い試合たくさん見れるといいな。
そんな期待に胸を膨らませていることだと思います。
そして今年はW杯が開催されます。予選だけではありますが日本開催でもあり、ここぞとばかりに盛り上がりを見せたいところですよね。
ぜひともパリ五輪へのチケットをここで決めてほしいものです。

とまあ、前置きは置いておいて先日京都ブースター繋がりでミックスの大会にお誘いいただきました。(ミックス:男女混合チーム)
本当に楽しかったです。加えて自分の体力の限界はここかというのも改めて実感できました。
最後のほうは足がつる3秒前みたいな感じでしたが、何とか最後の一歩は超えずにこらえてくれました。
場所は宇治の黄檗体育館で、この黄檗体育館は私にとって夏の思い出の地でもありました。

それは中学生の頃です。
学生時代の部活で一番きつい時期っていつ?って聞かれると絶対こういいます。
「夏休み」
夏の暑さと練習時間の長さが合わさってまさに地獄の夏と表現せざる得ないほどの地獄でした。
そんな中初めての夏を経験する中学一年生でそれは訪れました。
終業式の日、部活が始まる前にミーティングが行われました。
内容は新体制の目標と夏休みの予定表の配布です。
夏の合宿やら私学大会やらいろんなイベントが目白押しの中、異彩を放っていたのが8月ド頭にあった2日間の交流戦。
日付の横に「1日中」って書いてあったのをみて絶望したのを覚えています。
それが今回の舞台黄檗体育館だったのです。

伏見や宇治近辺の学校を集めて行われる2日間の交流戦はまさに顧問の先生の日常のコミュニケーションの賜物なのです。
今思うと顧問の先生同士が日ごろからコミュニケーションを取って日程を合わせて時間も作って体育館を取って生徒たちが少しでも実戦経験を積めるようにという配慮の塊だったのですが、大人たちの思いは中学生だった私には届かなかったようです。
ただひたすらしんどいっていう気持ちがその時は大きかったなぁ……顧問の先生ごめんなさい。

黄檗体育館はJR黄檗駅から徒歩20分のところにあります。
直線距離にしてだいたい1㎞ちょいぐらいなので体力のある中学生ぐらいなら歩けないことはない距離です。平坦な道ならね。
そう、黄檗体育館は山の上にあるのです。
少し平坦な道を歩いたかと思ったら目の前に広がる坂、坂、そして坂……
炎天下の夏の日差しを受け登り続ける事10分、左側にプールがみえます。もうその時点で私たちはプールに入りたくてしょうがないですが、まだ登ります。
そこからまた5分ぐらいしたらやっと黄檗体育館が見えてくるのです。
もはやもう帰りたい。
中一の夏なんてまだ部活のジャージもないので移動は全部制服です。
炎天下の中制服着て重い荷物(1年生なので荷物持ちです)もってあの坂を上って……
想像するだけで暑いですね。

とまあ、行くだけで半日分の体力を使う場所にあるのにさらにそこから1日中練習試合ですよ。
だいたい8分×2を回すんですけど、参加校もそんなに多くないので休憩なんてありません。
ゲームがないときはオフィシャルに入り、そして次の試合へ……
かろうじて風がそよそよしている体育館の中、汗だくになりながら体育館を走り抜けたあの二日間は十数年たっても思い出として脳の奥底に眠っています。

真夏の暑い時期になるとこうして地獄の夏休みを思い出しつつ感慨にふけっています。
もうあのころのような体力もなければ、気力もありません。
シャトルランをしろと言われても、もうあのころのように速く走れません。でも、時々全身汗まみれになるあの感覚が懐かしいという気もします。
全身に汗かいて、座った跡がちょっと汗で濡れてるみたいなちょっと恥ずかしい感覚も今ではあまり感じることはありません。
バスケは冬のスポーツというイメージがあるけれど、学生の頃にバスケにいそしんでいた方たちはきっと夏の思い出が強く、色濃いのではないでしょうか。
蒸された体育館で一歩進むだけで汗が流れ落ちるあの感覚。大型扇風機の前に陣取って怒られたり、たまたま涼しい朝一の通学路の先に待ってる熱帯体育館に絶望したり、ゲリラ豪雨で涼しくなったと思ったら湿度で体育館がほぼ濡れた状態になりモップも追いつかなくなったり、語れば腐るほど出てきますね。
そしてきつい練習でトイレに駆け込み、もう動けないと地面に座り込んで……(今思うと熱中症一歩手前)でもその辛くてきつい思い出の先にあるのが試合に勝った時の嬉しさや自分の思うようなプレーができて最高ってなったあの瞬間につながるんです。

そんな時代もあったなと懐かしむことができるのも部活の醍醐味で、私もそれを味わいました。
そしてこの記憶はきっとこの先10年、20年以上続く私の根底となる記憶となるのでしょう。
また、来年も足がつりそうなぐらいしんどいバスケが夏にしたいな。
そんなことを思った八月のとある日でした。


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