嫌なことを嫌だと伝える方法の教育

 旧Twitter(現在のX)で「嫌だと意思表示しなかったものはいつか私たちに返ってくる。嫌なものは嫌だと伝えなければ。」というイスラエルへの抗議デモでのスピーチがタイムラインに流れてきた。

 ふと、自分や自分の子どもの小さい頃を思い出したのだけど、小さい子どもだと、不満がある状況や嫌なことをされたことに対して手が出てしまって「次からは口で言おうね」と先生が言い聞かせる場面があると思う。あれは対個人への嫌なことを言う練習だと思う。そのときに保育者は大抵まず、手が出るに至った気持ちを受け止めるよう、養成課程で聞いてくると思うのだけど、嫌なことに直面した時の対処の仕方は、その後あまりアップデートされないまま大人になる。

 小学校に上がると、本格的に集団の秩序の中での生活に個を合わせていかなければならず、不満や嫌だと思うことを表明しても、それはときに「わがまま」と切って捨てられることもある。でも、子どもの意見表明権の保障を考えたら、すべての不満や要望も一旦受け止められ、事態にどう対応するかを学んでいかなくてはならない。小学校低学年向けのぬいぐるみが出てくるEテレの道徳番組では、そういう「困ったことが起きる→色々あって問題解決される」の話を流してるけど、
  「どんなことがあったら嫌だと声をあげなくちゃならないのか」
については教えてもらえず、上げた声はときに集団生活場の秩序を守るために気持ちごとキャンセルされる。

 「どんなことがあったら」の部分は、まずもって身体や生命の安全が脅かされているときと、権利が侵害されているときになる。身体や生命の安全へ脅威を取り除く方は、安全教育や健康教育として行われるだろうから、ここでは権利が侵害されているときの「嫌なことの伝え方」の話について焦点を当てる。
 そもそも自分たちにどんな権利があるのかを知らなければ、権利の侵害など認識しようがない。「子どもの権利」と言われて、まず当たるべきは日本も批准している子どもの権利条約だ。権利条約には6条から41条までさまざまな子どもの権利が書かれているけど、「子どもの発達に応じて」少しずつ伝えていくことが大事だと思う。小学校1年生では、
 ・1人ひとりが大切な存在で様々な権利があること
 ・子どもは自分で自分を守る力が十分ではないから、周りの大人は子どもが守られ、健やかに育っていけるよう大事にしてね
ということが、権利条約には書かれていることが伝えられればよく、個別条文まで踏み込むなら、生命が守られる権利、意見表明権、余暇や遊びの権利あたりが妥当かなと思う。小学校6年までには読み終えるよう、各学年でどれを教えるか、道徳教育の専門家が考えて目安の学年を示してくれるとよいと思う。

 また、小学校や中学に上がったら、それまでと異なり、対個人への嫌なことに加え、対集団への嫌なことの伝え方も学ぶ必要がある。「集団の秩序」のもとにさまざまなルールが決められており、当然従うものと思わされている。法や社会のルールは守る必要があるけど、それらは変えていくことができるもので、おかしいな、理不尽だなと思うことがあったら、声を上げて皆でそのルールについて吟味することが大切だ。皆で話し合う場合、問題を提起した人の視点での思考が十分可能になる(ピアジェの三山課題を難なく答えられるようになる7〜8歳頃)小学校中学年以降が望ましいと思う。まずは自分の属する身近な集団でのルールについて考えること、中学生になったら、社会科とも連携して少し大きな社会(国という枠組み、世界という枠組み)におけるルールやその問題について考えられるようになるといいと思う。
 そうすると、国会の衆院と参院の仕組みだの、立法・司法・行政だのの学習事項が、「ただ覚えさせられるもの」から、いつか社会の問題をルールのところから見直すにはとても大事な仕組みなのだと実感してもらえると思う。国の政治体制そのものも、各国でさまざまな歴史を辿ってきて選ばれたものだけど、仕組みそのものに問題があれば、そこに働きかけていくこともあるかもしれない。でも、それが可能なら、血を流さず、声をあげて変えていく方法が今はあり、「デモ」はそこに参加する人々が理不尽を訴え、社会を変えようと政治に、あるいは共感を拡げるよう働きかける手段の一つだということも伝え、世のさまざまな形での問題提起を広く自分ごととして捉え、社会のあり方、政治のあり方を考えられる人に育てる教育がなされてほしい。

 高校生になったら、道徳教育っていうのもおこがましいから、権利が脅かされそうになったときの対処法や自身の権利を守るさまざまな法律についても学んだらいい。バイトをする子も出てくるだろうし、前に西成高校の取組みで紹介されていたけど、「休むなら代わりにシフト入れるやつ探せ」「試験期間だろうと人がいないんだから入ってもらう」とかいう無茶苦茶に対処する方法とか、あるいは貧困やヤングケアラーといった問題の解決策を社会保障制度から考えるのもありだと思う。

 3つめの大学で障害者の権利条約を読む授業があって、そこでは先生が「自分にどんな権利があるかを知らなければ、嫌だなとすら思えない」と言っていた。対処法を学ぶことも大事だけど、まずは(自分の権利を守るためにも)何に対して嫌だと言わなければならないのかが一番にくる。その上で嫌なことに対して、どう声を上げたらいいのかを教えることは大切だ。特に日本の社会福祉は申請主義で、黙っていても救済にはつながらない。だからこそ、学校教育を通して(虐待を行っている家庭もあるだろうから、「学校教育」でなければならない)権利と権利侵害への対処法についてしっかり教えていく必要があると思う。学習指導要領がそのように見直されていくといいけど、まずは教員養成課程でそういう話をする大学の先生が多く現れてくれることを切に願う。

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