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【エッセイ】声の消えた街

 民間有識者でつくる「人口戦略会議」の提言を報道は伝えている。二一〇〇年に人口を八〇〇〇万人台で安定させるよう政府に求める内容である。現在の政府推計 ではいまのペースで人口が減っていくと、二〇三五年にも出生数は五十万人を割り込み、二一〇〇年には人口は半減して六三〇〇万人程度になるという。
 人口が減少すれば経済成長の推進力はうすれ、社会保障も先細りして国民の生活の安定にひずみが生じ、ひいては民意の活力がひどく傷むであろう。当然ながら社会から活力の消えた国が国際社会で安定した地位を保ち、ましてや国際社会の尊敬を勝ち取るということは不可能に等しい。
 しかし本稿では国家や国際社会といったこうした大見栄の話から離れて、人口が減少していく社会の影響を足元から少しく考えてみたい。
 仔犬が一匹いる。朝の起きたて、家内のあとを追いかけ回してしばらくして疲れると、家内の腕の中ですやすやと眠っている。家内の胸にすべての体重を預けて安心しきって眠っているその寝顔を見ていると、ときにこみ上げてくるものがある。ほんとうの安らぎとはこういうことを言うのかと。薄っぺらな人間世間の取り繕いが、いかにうわべだけのものであるかを知る。
 同じような心情を耳から味わう瞬間がある。
 冬のいまならちょうど陽が昇りきって空に確かな明るさが戻ってくる時刻、遠くから園児幼児の歓声が聞こえてくる時である。通学時に近づいて来て遠ざかる子供たちの無心の甲高い声を聞いていると、仔犬の寝顔にふれたときと同じような無条件の愛おしさという感情を身の内に感じて、自分がやはり人間であったということの確信を得て、安堵の情を覚える秋(とき)である。
 人口の減少は経済や国家威信の問題のみにあらず。子供が減るということは単純に子供と接する機会が減るということをいう。今朝も通っていったあの子供たちの歓声が明日にはどんどんと小さくなり、いずれは消えて聞かれなくなるというその時の現実をいっている。
 社会に金のめぐりが滞って身が不如意ともなれば、生活不安から人心は焦燥をきたすであろう。しかしそれ以上に、身の周りから無条件の愛を感じる時がどんどんと失われてゆき、自分が人間であることの確信を取り戻す機会を得られないならば、人心は確実に病む。
 身体の傷みならば治せる方途を見つけることは、現代社会の得意とするところであろう。一方、人心の病は現代社会が脇に追いやって見て見ぬふりを決め込んできた闇の中にある。
 このまま人口が減りつづけるということは、大きくなったあの園児幼児たちが、闇のますます暗くなった社会の中を足元のままならないまま歩まなければならないということである。

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