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本の廃棄を検討する 6

今回は、なんか微妙な新書ばかりを引き当てたような気がします。

フランソワ=マリー・グロー『オートクチュール パリ・モードの歴史』(白水社文庫クセジュ 2012)

これは資料として購入したものなので、捨てることはないと思いますが、もうこっちの筋の話は使うこともないのかなあ、と不思議な気持ちになります。

この本で面白いのは、オートクチュール規約が巻末に資料として掲載されていることですね。1946年の組合メンバーにはクリスチャン・ディオールはいないんですね。「ニュールック」(と呼ばれるもの)、1947年ということですから、超新星的な扱いだったのかな。

諏訪春雄『安倍晴明伝説』(ちくま新書 2000)

マンガ「陰陽師」も読んだことないくせに、こうした新書だけ持ってるということに、若干の気恥ずかしさを感じなくもないのですが、たぶん妻と結婚した時に、趣味を共有しようと思って買い求めた一冊だと思う。

ということで、もしかしたら妻の新書を借りたものかもしれず、黙って捨てたら怒られるので捨てられない。陰陽師にはでも、まだ興味ある。

大塚英志『キャラクター小説の作り方』(講談社現代新書 2004 第12刷)

ちょうどライトノベル勃興期のときに、キャラクターからストーリーを生み出す型のメソッドが一時期大いに流行りました。

もうそのメソッドは一般化して、作家なら習得していて当然の技法となったのかしらん。私のように、萌えという気持ちがイマイチ薄いタイプには、習得が難しいメソッドだったのだけれども、後半凄く真面目になって、良い本は良い本だと思います。

まだ、自分はこのメソッドを理解したとはいえないので、捨てないです。

仲正昌樹『〈宗教化〉する現代思想』(光文社新書 2008)

仲正さんは思想の解説者としてはとても分かりやすいと思うので、割と講義系の本は好んで買っているのですが、全体的な主張としては「ほどほどでいいでしょう、何事も」なので、敵をつくる言い方をされることだけ気にしなければ、面白い参考書じゃないですかね。

思えばこの種の内容は、私が学生だったときの現代思想ブームの再確認ブーム(ニューアカデミズムの頃のポストモダン思想受容ブームをキチンととらえ返そうという90年代末から2000年代にかけての動き)に沿った書籍で、仲正さんのファン以外だと文脈をとりづらい内容も若干含まれていますね。

推し活本の一つなので、捨てないけど、まあ、なんともはやというところ。

野矢茂樹『哲学の謎』(講談社現代新書 1999 第7刷)

野矢茂樹、永井均、内田樹、中島義道、池田晶子、鷲田清一…哲学者が哲学を説明したり、その哲学で社会現象を解読したり、という本が盛りだくさんに出ていたころ、どちらかというとはっきりと哲学の問題を指摘する、新書だけど難しい本のなかの一つ。

対話篇でやるのは、「柏木達彦」のシリーズなどおなじみの手法だけれども、それでも難しいよね。この種の哲学者が哲学する本は、やっぱり捨てられないのかなあ、ボケ防止にもなりそうだし。

あっ、そもそもボケたら読まないか。

ウォルター・ペイター『ルネサンス』(冨山房百科文庫 1990 第5刷)

これは千駄木の古本カフェ「ブーザンゴ」さんで買ったもので、「ブーザンゴ」さんがローンチしたころに、そのマスターと知り合いだった劇作家の友人と一緒に訪れて、購入したものの一つだと思う。

しっかりしたハトロン紙にくるまれて、これは古典級の本なので、捨てないかな。実際、ルネサンス関連本(翻訳で)のブームというのがあって、その流れでも、これは捨てないかなあ。

大澤真幸『「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』(NHK出版新書 2011)

大澤真幸本はもう捨ててもいいのかな。「生きづらさ」とそれなりに向き合ってきた20代。買ったのは、子どもも生まれた2011年以後のことで、大澤さんは正直全然生きづらくないんじゃないかと思うくらいに覇道を行っていて、色々その後あったわけだけれども、このタイトル、どうして買ったかなあ。

真幸ファンだったからかもしれない。あのクソ分厚い『社会学史』まで買ってるから、まあ、ファンだったんじゃないかな。

で、捨てるの?捨てないの?

ペンディング。

まあでも哲学思想系は、もういいのかな。

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