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フランク・オコナー「ある独身男のお話」

この本は初読である。そもそも、フラナリー・オコナーと間違えて買った短編集で、間違いに気づいた後は本棚にそのまま置かれていた。買った後もしばらくフラナリーと混同していて、あれアメリカ南部が舞台のはずなのに、どうしてアイルランドが舞台の短編が多いのだろうと、とぼけたことを考えていた。皆さんは間違えないようにしてほしいものである。

ではオコナーはオコナーでも、フランクの方はどういう作家か。実は私もよくわかっていなかった。なんとなく名作認定されるのは長編で、長編で海外の名作を知ることが多いのだから、短編集が先行して文庫化されるのはどうしてだろう、などと無知とは恐ろしいもので、そんなふうにフランクのことを考えていたのである。

ウィキペディアの記述は少ないのだが、どうやらアイルランドの代表的な短編作家だという。生きた年代は、この間読んだ中山義秀と同じくらい。1903年生まれで1966年に亡くなったようだ。名手というなら、オー・ヘンリーと同じで何をよんでも、一定のクオリティを持っているだろう。そう思い、今回は短編集の中から「ある独身男のお話」をピックアップしてみた。

あらすじ

仕事場にいつまでも独身でいるアーチー・ボーランドという男がいる。どうにも付き合いにくく今でも独身だ。語り手の私は、かつて、アーチーとうまくやっているつもりだったが、なぜ独身でいるのかの理由を聞いて、つい突っ込んでしまい、アーチーとの友情をダメにした。その理由と、私がとった反応とはどんなものだったか。それが話される。

アーチーは旅行好きだった。彼が北部を旅している時に、女性四人の旅行者と出会った。その一人のマッジは、アーチーのうんちくを楽しそうに聞いてくれ、アーチーはそんなマッジに恋をした。マッジは、清楚で真面目で誠実な人柄だと思いはじめた。

アーチーはマッジと結婚を前提とした交際を申し込もうと、さらに誘った。マッジはOKを出した。周りの同行者の女性たちはみな笑った。マッジも笑った。何もないように思えた。そして楽しかったマッジの旅行も終わり、アーチーは告白した。マッジは少し迷ったが、OKを出した。二人は付き合い始めた。

ある時、旅行へマッジと同行していた女性の一人から、マッジには婚約者がいるのだとアーチーは聞かされる。激怒するアーチー。確かに、マッジは友人とあったり、親戚の家に行くと言って、自分との約束を断る場合があった。アーチーは、それを彼女の敬虔さの表れとして理解していたのに。

アーチーは彼女をつけ、同行していた女性が言ったように、足の悪い男性とデートしているところをおさえた。そして、アーチーはマッジを問い詰める。なぜ、二股をかけたのか。

マッジは答える。昔、振ったら自殺しちゃった子がいた。その経験をもうしたくない。なので、言い寄られた男とは付き合い、相手が冷めるまで待っていた。一番好きなのはアーチー。もう少し待ってくれれば、今の男も私に飽きて他の誰かと付き合ったはず。そうしたら晴れてあなたとキチンと付き合えると思った。実際、そうやって付き合ってきた男が、もう一人いるが、その人はほかの女を見つけたようで、自分から去っていった。だから、大丈夫。

アーチーは、さらに激怒。彼女を振る。しかし、語り手である私は、アーチーの語る女性のことが何とも不憫になり、アーチーに言い返してしまう。それが本当だったら、どうするんだよ!彼女が嘘を言ってるなんて、俺には思えないぞ!

そして、語り手である私とアーチーとの友情は霧散した。語り手である私は、「今なら、僕は彼に同情し、危ないところで助かったねとねぎらうだけで、馬鹿なことをしたもんだとなじるのは彼自身に任せておくことだろう」と誰ともなくつぶやいて、終わる。

感想

面白いね。人生のちょっとした行き違いやズレみたいなものをうまく切り取ってる。特に、この短編では、いわゆる男あるあると、女あるあるがセットになっていて、こういうことある!と思う人も多いんじゃないかな。というわけで、アイルランドの短編ながらも、異文化の我々も大いに共感できるという意味では、普遍性をもった短編だなあと思った次第。

でも、この話、アーチーとマッジ、どっちにも肩入れできるようにできている味のあるお話。アーチーの立場に共感する人は、きっとマッジに対して、なんで最初に全てを説明しておかないんだとなるだろう。結局マッジは、あのタイミングでは、断りきれず、付き合っているうちにつまらなくなってむしろ私を捨てていくだろう、と考えていた。だから、断れなかった。ただ、そういうことなら、二人目の恋人に全てを捧げろよ、となるわけだ。これって、いわゆる「不思議ちゃん」系サークルクラッシャーの問題っぽい。アーチー側から見るとこんな感じ。

マッジの側に立つと、アーチーはいかにも堅苦しく、柔軟な変化というものに欠けている印象がある。そして、いわゆるモラハラ系男子の問題を一身に抱えているようにも感じる。マッジがこのような選択をするのも当然で、悪いのは、このことをアーチーに告げ口した同僚の女じゃない?となる。もっとアーチーは度量が必要でしょ、となる。

うまく言えないけど、皆さんはどっちの側に共感して、この話を読むかな?語り手は完全にマッジの側に立っていて、アーチーを結婚できないダメ男扱いするように誘導するけど、マッジもマッジだと思うような矛盾もきっちり残されていて、こういうのがさすが名手だなあ、と思わせる。

オー・ヘンリーにしても、ジョン・チーヴァーにしても、やっぱり短編の名手っているよね。ぜひ、オコナーの短編集を買ったら、この短編を読んで、どっちがアレか聞かせてください。

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