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ディーノ・ブッツァーティ「呪われた背広」

先日、仕事の帰りにブックオフに寄った。実に、2年ぶり。リモートワークが主だったコロナ禍で、書店にも行けなかった。

いや、それは正しくない。家にいると、本屋に行かなくても、ネットで簡単に本が買えてしまう。したがって、書店に行く必然性を失っていた、というのが本音か。

しかし、2年ぶりにブックオフに寄って、ああ、本の方から自分に近づいてくれる感覚を思い出した。ブッツァーティ、読みたいな、と立ち並ぶ背表紙を見ながら思っていたら、文庫の海外文学コーナーに並んでいた。うれしくなって、購入した。

今回取り上げるのはイタリア文学の中でも短編の名手と言われるディーノ・ブッツァーティ。短編集である『神を見た犬』から「呪われた背広」をとりあげる。

あらすじ

「私」はそれほど身なりを気にする男ではない。しかし、あるとき一人の男性と知り合い、彼の来ているスーツが非の打ちどころのないものであることがわかった。そして、お世辞のつもりで、それはどこで仕立てたスーツなのかを尋ねた。

彼がいうには、コルティチェッラという仕立屋につくってもらったという。私が高いのでしょうね、と言うと、彼は、請求書がまだ届いていないのだという。そのことを私はあまり気に留めなかった。

私は、好奇心でその仕立屋に出かけた。すると、快く私を迎えてくれるではないか。私は、この仕立屋を知った経緯を話し、自分に一着のスーツを仕立ててほしいと依頼した。値段を聞いてみるが、言わない。そのことをいぶかしく思うも、すでに注文してしまったので、あまり考えないようにした。

服が届いた。着てみると、やはり見事な仕立てだ。しかし、いまいち着てみたいと思わなかったのでしばらく放置していた。しばらくした雨の日に、そのスーツを着てみると、やはりぴったりでうれしくなった。何の気なしに右ポケットに手を入れてみると、一万リラ札が出てきた。

なぜ、この札が入っているのだろう。調べてみたが本物だ。コルティチェッラが間違えて入れたのだろうか。私は、これを送り返そうと思って、秘書を呼んだ。そのとき、また右手をポケットに入れたら、指先に札が触れた。私は気が動転して、秘書を帰し、ポケットにあった二枚目の一万リラ札を取り出した。

私は、すぐに家に帰り、もう一度右のポケットに手を入れると、また1万リラ札が入っていた。朝まで、ポケットから札を取り出していたら、いつのまにか5800万リラになっていた。慌てて、お金を隠し、スーツも隠さねばと思った。新たな似たようなスーツを買い、元のスーツは隠した。その金は尽きず、いつまでも出てくることに私は安堵した。

しかし、新聞を読むと、各紙が、昨日強盗事件があったことを報じている。とある銀行の現金輸送車が襲われ、金が奪われ、強盗が発砲したことで、一人の人が亡くなった。奪われた総額は5800万リラだという。

ポケットからお金を取り出すのは止まらない。その日の晩も、ずっと、ポケットから1万リラ札を取り出し1億3500万リラが積みあがった。また新聞には、「ナフサ貯蔵タンクから恐ろしい火災が発生し、街の中心に位置するサン・クロロ通りのビルが半壊したと書かれている。ビルに入っていた不動産会社所有の金庫が炎に包まれ、灰と化した。中には1億3000万以上の現金が入っていたようだ。しかも、火災現場では二人の消防士が殉職している」という。

金を背広から引き出すたびに、不幸は続いた。金が奪われるだけではなく、人の命が失われる。しかし、私は家を買い、車を買い、貴重な絵を集め、会社を辞め、美女を連れまわし、各地を旅行した。仕立屋に電話をしてみたが、誰も出ない。揚げ句の果てには、私が長年住んでいた建物で、お金がなくなったことを苦にして、絶望のあまり老婆が自殺したという。さすがに、こわくなった。

私は、背広を燃やそうと山に入った。そこで火をつけると、後ろで「いまさら遅すぎるさ。手遅れだよ!」という声がした。私は恐怖に駆られたが、金はたっぷりある。とりあえず車に戻ろう。

すると車は忽然と消えていた。街に戻ると、買ったはずの家もない。「売却用市有地」との看板が立っているだけ。預金もすべて消えていた。

いま、私は落ちぶれて必死で働き、なんとか生計を立てている。しかし、不思議なのは、私が落ちぶれたというのに、誰一人それを不思議がらないところだ。それにしても、スーツの代金はどうなるのだろう。いつか悪魔の仕立屋が私の前に立ち、代金を請求するのではないか。

感想


この文章を書き始めたのは、深夜0:30ごろ。

そこで、ある音が外から鳴った。誰かが、ドアを無理やり開けようとして、ドアノブをガチャガチャと回している。そして、開かないとみるや、扉をどんどん叩き、蹴っている。

そっと、外を見ようとして、部屋の電気が煌々と灯っていることに気がついた。すぐに、息を潜めて、電気を消した。消したことに気づかれないだろうか?今一度、カーテンの隙間から、様子を伺う。男は、泥酔しているのだろう、足取りもおぼつかない様態で、ドアノブを回し、ドアの下部を蹴り続けている。

ドン、ドン、どんどん大きくなる音。「いかん、警察呼ばないと」と、携帯を探すと、どこにもない。まだ、私はガラケーなのだ。もしかしたら、一階の玄関のカバンの中!

玄関に行くと、電気が自動でつくようになっている。電気がつくと、人がそこにいる証明になって、ヤツを刺激して呼び寄せてしまうかもしれない!まるで、ゾンビマンガの主人公のように、行くべきか行かざるべきか迷った。寝ている家族を起こすのも忍びない。ただ、アパートに入れないことに怒り狂った男が、まわりのモノに当たり散らさない、という保証はない。

意を決して、一階に降りた。電気は自動でつくが、すぐに、スイッチをオフにした。そして、カバンをまさぐる。あれ?ない!ない!ガラケーは外の車の中だ!

詰んだ!!

外に出てガラケーをとろうとすれば、確実にこの男の意識をこちらに向ける。意識が向けば、何らかのアクションを起こしてくる。泥酔してそうとは言え、記憶に残られるのも面倒だ。そして、私は玄関で固まり、外の電灯が点灯しないことを願った。自動点灯するということは、誰かがこちらに向かっているということだからだ。

そして、私は二階にあがり、自分のPCデスクの脇の窓から、外を見た。すでに音もなくパトカーが2台停まっていた。聞き耳を立てると、やはり男はそのアパートの住人で、泥酔して鍵を認識することができなかったようだ。警察官6人が集まっている。うち2人が男と一緒に鍵を開け、中に入り、家まで送り届けたようだ。

そしてまた、音もなくパトカーは去っていった。そういえば隣家の一階の電気がついていたので、隣家が通報したのだろうか。

ブッツァーティの感想は、以上となる。ブッツァーティを読むたびに、こういうサスペンスが起こらないでほしいのだが。時計を見ると、すでに深夜1:30だった。

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