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中島敦「名人伝」

国語の教科書に文芸作品を載せるかどうかが議論され、どちらかといえば面白くない文章を逐語的に読ませる教育へと舵を切りそうな雰囲気です。まあ面白い文章はぜいたく品(かつ商品)なので、子どものうちからそんなぜいたくをさせてはいけないということなのでしょうか。ぜいたくは敵だ!ほしがりません勝つまでは、の精神ですね。

確かに、契約書などを逐語的に読む技術というのは、それなりに訓練しないと身につかないことなので、読む技術のバリエーションを増やすという意味では悪くないと思いますが、無料でぜいたく品に触れる機会が失われてしまうのは、これまた少々残念です。古文・漢文も同じ理由で残念ではありますが、ぜいたく品を楽しもうという心の余裕が失われているという社会の趨勢として受け取っておきます。

そんな議論のヤリ玉に挙げられたのは中島敦の小説だったりしたようですが、芥川にしても、太宰にしても、中島にしても、ほどよく短い小説を上手に書くことのできる人たちで、トリミングして使わなくても全体が提示できるメリットがあったので、教科書に採用される場面が多かったのではないでしょうか。彼らは日本近代文学史からすると自然主義にとっても、白樺派にとっても、プロレタリア文学や新感覚派にとっても傍流の存在であったことは否めません。そんなことはどうでもいいんですけどね。

私もそうでしたが、教科書という媒体に載っているものを、教科書というフレームを意識しながら読もうとすると、どうしても媒体自体の権威性がメタレベルで機能するので、本来面白小説であっても、面白がれなかったりします。〈これは教科書に載ってるんだから、大切なもので真剣に読まねばならぬのだ!〉という意識が、フレームによって作られてしまうというわけですね。そうじゃないってことを市川真人さんが、『走れメロス』をネタに解説している本があって、そういう意味では太宰も中島も、ギャグマンガのように読めて、かつ、ちょっとイイことも書いてある、そんなストラクチャーの小説だと思うんですね。

中島敦の「名人伝」はまさにそれで、ほとんどギャグマンガです。オチもしっかり決まっていて、これに教訓を読み取ろうというのは、クレヨンしんちゃんで泣くみたいな倒錯的な読書ではないでしょうか。そうした倒錯的な読書の場たる教室を正したい!という正義漢が多いことは承知しておりますが、それにしても正しさばかりが幅を利かす昨今、いまいちど間違うことの愉快さについて考えてみても良いのではないでしょうか。

あらすじ

趙の邯鄲の都に紀昌という男がいた。弓の名人になろうと志を立て、当代の名手飛衛という男に弟子入りした。

飛衛は紀昌に瞬きすることを禁じた。紀昌は妻の機織台の下に潜り込み2年修行した。結果寝てても瞬きをしないようになった。

次に飛衛は、視ることを修行させた。シラミを髪にくくりつけた紀昌は、3年間シラミを視続けて、ついには人間が高塔のようにみえるようになった。

飛衛は紀昌に弓の真髄を教えることとし、紀昌は瞬く間に腕を上げていった。その腕前は、妻と喧嘩した紀昌が脅そうとして妻の目ギリギリを狙って矢を射ると、妻のまつ毛三本を射切って、それに気づかぬくらいのものになっていた。

紀昌は、飛衛を超えようと、勝負を挑む。お互いがお互いに矢を射って、残るは紀昌の矢一本。しめたと紀昌は矢を射る。しかし飛衛もさるもの、野茨の枝を折り取り、その棘の先端をもってハッシと鏃を叩き落とす。

そこで紀昌は、自分の師匠に勝負を挑んだことに道義的慙愧が生まれ、師匠は師匠で自分の技量のほどに満足し、ふたたび師弟愛の涙にくれた。

しかし、飛衛はさすがに次狙われたらたまらぬと別の目標を与えることにした。甘蠅老師という達人に教えを乞うようにすすめた。紀昌はすぐに老師のもとに向かった。

紀昌は甘蠅老師に技を披露すると、一言。

だが、それは所詮射の射というもの、好漢いまだ不射の射を知らぬと見える。
青空文庫 中島敦『名人伝』No.125

老師は、紀昌の前で弓を持たずに鳥を射った。素手と思われた老師が弓を射る真似をすれば、鳥は中空から石のように落ちてくる。

紀昌は、9年間、修行に励んだ。

山を下りてきたとき、紀昌はもう血気盛んな若者ではなく、木偶のごとく愚者のような容貌に変わっていた。これをみて飛衛は、「これでこそ初めて天下の名人だ」と述べ、賛辞を惜しまなかった。

紀昌は、射らぬ名人として名をはせた。弓すら手に取ろうとしない。自分の弓もどこかにやってしまったようだ。人は、なぜ弓を取らぬのか聞いた。

紀昌は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。
青空文庫 中島敦『名人伝』No.166

その後、紀昌の家に盗賊が入ったが、塀に足をかけた途端に一道の殺気が額を打ち、思わず外へ転落したなどという噂が広まったことで、紀昌の家の周りには邪心のあるものは誰も近寄らず、鳥も彼の家の上を通ろうとしなかった。

40年ののち、彼は亡くなった。結局彼は甘蠅老師のもとを辞してから、弓をいることはなかった。老後の彼は、まさに無為の人だった。

というのも死ぬ、1、2年前のこと、老いたる紀昌が知人の家に招かれて、見覚えのある器具をみて、これはなんでしたっけ、と問うた。知人は、またまたー、と冗談めかして言ってみるも、本当に紀昌は弓を忘れているのだ。

ああ、夫子が、━古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや?ああ、弓という名も、その使い途も!」
青空文庫 中島敦『名人伝』No.204

感想

翻案と言っても、面白いですよねえ。ギャグ満載。引用はしませんでしたが、飛衛師匠と対決して、決着つかず、ヒシと抱き合って泣くあたりとかはほとんどマンガのようですね。

このあいだYoutubeで、93歳のピアニストが認知症で何もかも忘れているのに、ピアノのことだけは忘れてなくて、弾き出すと記憶がこぼれてくるという感動的な動画を見ました。

また、昔、90歳を超えた丹羽文雄が、ボケてもなお机に座って何かを書く真似をするというドキュメンタリーをみて、何とも感動した記憶があります。しかし、紀昌は、逆に名人過ぎて、それに関するすべてから解脱しています。

中島敦の遺作ということで、その死の汀の心境を投影したものと解釈したり、寓意にとったり、戦時体制を暗に批判したものととらえたり、色々な解釈が考えられているようですが、私はなんともぜいたくなテキストを残していったなあ、と思って、彼の短い生の充実ぶりをうらやましく思うわけです。

ぜいたくなテキストとは、何度読んでも人の心になにか爪痕を残す作品で、私はそのわからなさ=解釈の仕切れなさこそが価値のある貴重なことなのではないかと思っているわけです。誰が読んでも同じ意味を持つ文章は、もちろん、それはそれで必要なことではありますけれどもね、いやはや。

とはいえ私もブンガクなるものからずいぶん遠くに来てしまったので、誰のことももはや言えない立場です。上司に、「お前、何にもやらないじゃないか!」と言われたら、とりあえず「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」と言ってみましょう。減給対象間違いなしです。

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