Osamu Dazai「HUMAN LOST」

別に漢字をローマ字で書いていることに特段の意味はないのだが、ちょっとカッコよかろうと思ってやってみた、恥ずかしければやめる。

会社に『二十世紀旗手』を持っていって、持って帰るのを忘れた。だからKindle Unlimitedで「HUMAN LOST」をダウンロードして読んだ。なんで忘れたのかといえば、防災訓練のドサクサで、机の中に置いてきた。

作品なのかアフォリズムなのか、もうわからない。パピナール中毒で入院している状況を映し出そうとしている風にも見える作品だが、まあ、とっ散らかっている。だが、それがイイ。感想を書くにしても、あらすじをまとめなくていい。

ただ、商売にも、文学史にもならんだろう、エフェメラ。界隈では今「エフェメラ」と名付けられた廃棄される断片や大事にとっておかれない資料から何かを言う研究が盛り上がっていると聞く。作品になって、全集にも入ってないんだから、資料としてのエフェメラじゃねーだろう、と。そりゃそうだ。比喩だよ。研究者でもない限り読み飛ばしてしまう「HUMAN  LOST」。やっぱ、君たち、『人間失格』の方が好きだろ?

くたびれたら寝ころべ!

悲しかったらうどんかけ一杯と試合はじめよ。

ミルトンの『失楽園』を思い出す、だって「Paradise Lost」じゃなかったっけタイトル。よく訳したよね、かっこいい。サタンじゃなくて、太宰。でもなんだろうね、太宰にはあんまり英米文学の匂いしないんだよね。やっぱり独文、ちょっと仏文もあるのかもしれないけど。

千葉一幹氏の『失格でもいいじゃないの』を読む。冒頭、「二十世紀旗手」のエピグラフ、「生まれて、すみません」が、友人(山岸外史)の又聞き(寺内寿太郎)をパクったものだと知る。まあでも、それに匹敵する作品、生み出せなかったことで、太宰とこの言葉が結びつけられるのはしょうがないのかしら。道義的にはアレだけどね。

太宰の新潮文庫の中でセールスが微妙な『二十世紀旗手』。まあ、そりゃそうだろ、形式も文体も破格なんだもん。読みづらいったらありゃしない。「狂言の神」から「HUMAN LOST」まで。結構時間かかった。太宰の思いや人生がそれなりに辛く、でもそれに甘えてかなり人に迷惑かけてる。檀一雄も、井伏鱒二も、佐藤春夫も。

やっと終わった『二十世紀旗手』。この時期は、芥川賞の落選、失意、注文少なく、パピナール中毒、妻と小舘甥との不貞。そんな時期。そして妻・小山初代との自殺未遂。なんか明るいものないよね。だから疲れちゃって、疲れちゃって。現実でも疲れるのに、読書も疲れる、感想もなんだか出てこない。そんな時期が続いたね。これでやっと四月も終わり。ワルプルギスの夜、近づいてるね。

太宰関連本、千葉一幹『失格でもいいじゃないの 太宰治の罪と愛』(講談社メチエ)、野原一夫『太宰治 生涯と文学』(ちくま文庫)、後者は手に入りにくくなっているのかもしれないけど、平易な評伝。付き合いがあった人だから、やっぱり肉体が感じられる評伝。前者は、論考なので、興味ない人は興味ないのかもしれないけど、読み物としても面白い。

いずれにしても『二十世紀旗手』は、太宰治のいわゆる前期から中期への転換点、において書かれた諸作が所収されてる。前期は、『晩年』とその文壇的評価に太宰が苦しみ、結果、色々重なって、妙な作品を生み出した後、パピナール中毒で入院した後、妻初代の不貞を知って、初代と心中未遂をして、かなりぼんやり生きる時期(「鎌滝時代」って言うのかな?)まで。

この後、太宰は山梨の名士の娘、石原美知子と結婚して、安定した生活に入り、作品の体裁も安定してくる。これをもって「中期」らしい。「前期」はあと、習作群を集めた『地図』があるけど、さすがに、俺も、いわゆる太宰らしい作品、読みたいよ。前期後期、そういえばあとは「ダス・ゲマイネ」とか残ってるけど、次、次!

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