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本の廃棄を検討する 12

書き散らしています。

節操もなく、掘り起こされる新書を捨てるか捨てないか、考えます。

捨てないものも、段ボールにいれて、ストレージボックス入りなのかも。

G・ガルシア=マルケス『戒厳令下チリ潜入記 ある映画監督の冒険』(岩波新書 1986)

妙にキレイだなと思ったら、誰も貸し出しされないまま、廃棄本になっていたものだった。自分はじゃあ、この新書三冊もっていると思う。一冊は、大学生のときにガルシア=マルケスを読みたいと思って、手に入るそれを買ったもの。二冊目は、社会人の時に野谷文昭先生の授業を受けたときの課題図書だった。三冊目は、妙にきれいなリサイクル本のこれ。捨てられるのにしのびなかったから拾ってきた。

というわけで捨てないです。

安積陽子『NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草』(講談社+α新書 2018 第5刷)

これ多分資料として買ったんだなあ。社会通念の最たるものとして。まあ、通念なので、うるさいマナー講師のいうことをキチンと聞きましょうと、受け入れてしまえば、まあなるほどそういう国際常識があるのね、と思える本。受け入れられないと、だから何だよって思ってしまう。でもそれはローカルな人認定されてしまうのね。

まあ、俺はローカルでいいや。捨てたいけど、資料だからとりあえずとっとくかな。

赤瀬川原平『千利休 無言の前衛』(岩波新書 1990 第2刷)

トマソンで有名な芸術家・赤瀬川原平さんの本で、千利休?と思いながら、買った本の一つだと思う。千利休はアバンギャルドだった、という明確な主張で書かれた評伝。これはマイナスではないけど、学者じゃないから千利休の実像に若干の不安が残るが、千利休を俺は実証的に理解したいわけではないので、赤瀬川のつくった千利休像で自分は満足したい。

読みやすくて、良い本なんだよね。

飯島裕一『温泉の医学』(講談社現代新書 1998)

俺、温泉もの、あるときからなんか集め始めちゃったんですよね。温泉て書いてある新書。単行本とか学術書まで含めると、温泉だけでもきりがないから、新書は、「温泉」っていうキーワードがあった本はだいたい買ってる。その一つ。

温泉、やっぱり好きなんですよね。うんちく、語りたい。嫌われるし、あんまりよくわかってないけど。これ、一度読んだと思うけど、忘れてるね。温泉のうんちくとか、嫌いですよね。

そんなに知見が変わらないと思うからとっとく。

アンドレ・マソン+ポール・サルヴァン『図書館』(白水社文庫クセジュ 1984 第13刷)

書物の歴史などのメディアの歴史と、メディアを収蔵しているホールメディアとしての図書館の歴史は、割と興味深いので購入したと思われる本。105円の値札表記があるので、これはどこかで買ったモノだが、値札だけだと、ちょっとわからない。

クセジュは捨てない、ということだけれども、こうした図書館の歴史について詳しくなったとしても、披露する場はない。ルイ9世が、自国の哲学者のためにと、イスラムのスルタンたちの例に倣って、古本を模写させて、図書館にして残した、という逸話は、昨今の為政者に聞かせてあげたいものですな。

まあもう金がないんだろうけど、貧すれば鈍するだな。

金子勝『長期停滞』(ちくま新書 2002  第2刷)

この本が刊行されたのが2002年で、金子勝氏はどちらかというと当時の経済政策に批判的な立場だった。ポスト・ケインジアン的立場というか。もう少し強い国家介入派なのかしら。2000年代はそれでも浮き沈みがありつつ、なんとか暮らしていけ、マクロ的な立場から経済を云々することに興味をなくしてしまった。

金子氏は、失われた20年、30年と、ずっと提言し続けているようだ。もう2023年であり、20年前の経済分析をリアルに読むことはないから、新しいものを買って捨ててもいいんだけど、これもなんとなく捨てられない。

山と渓谷社編『ドキュメント 御嶽山大噴火』(ヤマケイ新書 2014)

ヤマケイ新書など山と渓谷社の本が好きで、kindle unlimitedでは気になったものをペラペラめくっている。そのきっかけになったのが、この『ドキュメント 御嶽山大噴火』。

これは以前どこかで書いたかもしれないが、この日私は木曽福島にいた。道の駅の食堂で子どもらと飯を食っていたら、火山灰を被った車がどんどん入ってきて、騒然とした空気になった。耳をそばだてていたら、噴火したんで逃げてきたんだ!と、ざわざわしていた。あんまり起こってほしくはないけれども、災害の時は、皆が被害者の気持ちになるので、大丈夫か大丈夫か!と相互扶助的な感じになった。

その後、キャンプ場に行ったら、今日はこの後灰が降ってくるかもしれませんが大丈夫ですか?と言われた。バンガローに移った。噴火の状況は、案外わからなかった。まだタブレットを持っていない時期である。携帯もガラケーで、よくわからないまま過ごした。

バンガローには、カマドウマやカマキリやバッタが入ってきて、妻は怒り狂うし大変だった。

家に帰ってテレビを見たら、深刻な大噴火だった。メディアがないと、そのリアリティの距離感が掴めない。被害も大きかった。悲しかった。そしてこの本を買った。

なんだろうな、何を捨てて、何をストレージに入れるかな。

ヤマケイは本棚、あとはストレージかな。



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