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本の廃棄を検討する 3

もう一セットやるか・・・。

ただ本をたくさん持ってます的なアピールがしたいわけではなく・・・。

正直、何かあるかな、的な思いで、拾ったり、買ったりしたものばかり。

読んでないのも多い。

内田義彦『資本論の世界』(岩波新書 1994 第43刷)

これ、どこかの本屋の105円均一。超悩ましい。というのも、すでに著作集も出て、学問史上の人になってしまった感もある内田義彦の著作を新書とは言え、捨てられないなあという気持ち。

ただ、パラパラとめくってみて、こういう語り口や内容は、もしかしたらなかなか振り替えられることもないだろうなあ、という思いも。

ペンディング。

日垣隆『現代日本の問題集』(講談社現代新書 2004 第3刷)

日垣先生のことはずっと好きで、森博嗣と並んで新書を集めた類。病気になったときは心配したけれども、回復しつつあるようで何より。昔のような執筆はできなくなってしまったようではありますが。

ただ、それにハマっていた時代からはずいぶん長く経ってしまったし、内容的にも同意できるものとしづらいものができてしまいました。

それでも一つの記念だからなあ・・・。

森正人『大衆音楽史 ジャズ、ロックからヒップ・ホップまで』(中公新書 2008)

自分の認識は、こうした新書からの栄養で出来ていたのだなあ、と再確認した。演奏したこともなく、音楽については、ほとんど知識です。あたまでっかちと言われそうですが、まあ、そういうこと。

頭でっかちは本がないとわからなくなっちゃうので、捨てられない。

南塚信吾+宮島直機=編『’89・東欧改革 何がどう変わったか』(講談社現代新書 1990)

これはさすがにもういいかな…。政治的情勢も刻々と変わっているし、世界史における「東欧改革」の意義のようなものを、「使う」場もないだろう。教養として、といってもどうなのかなあ。

ペンディング。

星亮一『長岡藩軍事総督河井継之助 武士道に生きた最後のサムライ』(ベスト新書 2005)

星亮一本を精力的に集めていた時の一冊。最後の頁に350と書いてあるので、古本屋で入手したのだろう。

星本も、同じっちゃ同じだけど、これもまあ青春の一ページだからなあ。

なんでそんな旧幕にハマったんだろ。

社会に対して不満があったり、移り変わっていくテクノロジーの速さについていけてないことにいらだちがあったんだろうなあ。

壮年期の至りっぽいものなので、捨てられない。

星亮一『新選組と会津藩 彼らは幕末・維新をどう戦い抜いたか』(平凡社新書 2004)

これも星亮一本。前の一冊と同じ結論なんだけど、この辺になると、もう同工異曲というか、ジャズの別演奏を聴いているかのような内容で。

ただ、自分は気に入った著者について全部集めたいという欲望が抑えきれなくて。

ペンディング。

廣津留真理『世界に通用する一流の育て方 地方公立校から〈塾なしで〉ハーバードに現役合格』(SB新書 2016)

思えばこのタイトル凄いね。ビリギャル、東大子ども四人、徳島からスタンフォード・・・いろいろそういうキャリアなんちゃらの本、私も読んで来たよ。こっそり。

廣津留メソッドが、情報商材になっているわけだから、まあ、そういうつもりで読んだ方がいいのは確か。

最後の親子対談は、面白いですね。なんか、やっぱバイタリティーじゃないの最後はって思わせる。あと、母親が英語が出来て、学歴的なルートづくりがうまいって特徴もあるね。

学歴信仰から、海外移住信仰に世の中は変化しつつあるけど、そうした史料として持っておくというのもアリなのかなあ。

「妊娠中に育児本を200冊読破」っていうのが、凄いよね。

自分も中村彰彦本と星亮一本を完全読破しているけど、これって、無意味だもんね。

コンプレックスを刺激してくる本というのは、それはそれで、貴重なので捨てない。

日垣さんの本はペンディングだけど、さすがに捨てられないかなあ。東欧改革は、まあねえ・・・。

という感じで、結局煮え切らない。

そんなんじゃ捨てられないだろ!(自分に)



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