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表参道のエルメス店舗になぜ石垣があるのか? ~ゆるく本を紹介する 2~

武田尚子さんという方の、『近代東京の地政学 青山・渋谷・表参道の開発と軍用地』(吉川弘文館 2019)という本を読んで、いろいろな面白いエピソードが拾えた。

吉川弘文館という歴史系の老舗の出版社が出している本なので、学術的な目的で、硬めの文章の本だけれども、東京散歩の人にとっても面白いエピソードが拾える楽しい本である。

エピソード1 表参道エルメス店舗(旧ポール・スチュアート店舗)の石垣

「はじめに」でさっそく、出てくる「へえ~」のエピソードが、表参道の右側を青山方面に登っていくと中腹にあるエルメス(旧ポール・スチュアート青山店)の外観を彩る石垣である。

今まで、この石垣はデザインだと思っていたけれども、本書に「この石垣は大正九年に表参道が造営されたときの歴史的遺産である」と書かれている。

そして「旧広島藩主浅野邸の別邸(もと広島藩下屋敷)があった。表参道はこの庭園を貫いて造営された。邸内の庭園にあった小山が削られて、切通しの道になった。斜面の土が崩れないように土留めの石垣が築かれたのである」(p.9)である。

へえ~。

石垣を崩さずに、上手に店舗を生かしたポール・スチュアートは粋だね。私はブルックス・ブラザーズ派?だった(頃もあったが正しい)ので、ここで購入したことはなかったけれども、青山本店に行ってみようかな。

そして、エルメスは石垣をデザインされた枠で覆ってますね。完全に隠してないので、まだ見れますが、なんとなくアールデコっぽい風情になってますね。

エピソード2 新宿御苑

明治政府は、軍用地として広い土地を探していました。それにあてはまるのは、江戸に広い土地をもっていた旧藩邸だったのです。

この土地の収公を担当したのは兵部省。火薬庫用地として、彦根の井伊家が千駄ヶ谷に持っていた土地に狙いをつけます。しかし、これは断られてしまう。理由なくは無理なので、当然、正当な理由を述べるわけですが、「華族(藩主)は原則として東京に居住することを定めた布達」が出され、それを理由に井伊家は収公を断りました。

次に兵部省が狙いを定めたのは、内藤家の新宿の土地でした。内藤家も断る口実を探します。「内藤家の屋敷地では、足軽など下級家臣が余業として土地を開墾し、農業を行っている、上地に応じると下級家臣の収入の道が失われるという。また、屋敷地付近は甲州街道の宿場で、繁華な商業地帯であるゆえ、火薬のような危険物があると類焼の危険が増すことが懸念される」こうして、この段では断ることができたといいます。

上様は、今も昔も無理難題をふっかけ、我々はのらりくらりといろいろな言い訳を考え出してやんわりと断ろうとするのですね。

そんな内藤家の土地は、現在、新宿御苑となっています。

エピソード3 代々木八幡社にある「訣別の碑文」


代々木公園は明治の終わりに代々木練兵場になります。

その際、広い敷地が必要だったために、代々木村の大字代々木深町は、強制移転させられます。その際、村の人々が土地との別れを記した碑文が代々木八幡社の奉納灯籠の下部に書かれているそうです。

ダムによって、村が丸ごと消えることは、よく知られていますが、都内にもこうした形で消滅した地域があるのですね。

今も昔も庶民は辛いっすね。


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