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キャサリン・サンソム『東京に暮す』

「暮らし」なのか「暮し」なのか、送り仮名の有無について戦後を代表する生活雑誌であるところの『暮しの手帖』は一家言あったと聞くが、詳しいことは知らない。

キャサリン・サンソムの『東京で暮す』は、1928年から1936年という昭和初期の暮しを観察した英国人女性のドキュメントとして貴重なものだ。翻訳のニュアンスだからなのか、その日記を読むと、現代が書かれてるんじゃないかという印象にとらわれて、瞬間眩暈を覚えてしまうくらいなのだが、やはり昭和初期の生活なのである。

中島京子の『小さいおうち』は、昭和戦前期の中流家庭の姿を描いており、映画としても公開されているが、それと合わせてサンソムのエッセイを読むと、都市生活のアッパーミドルな風景が総合的に認識できるような気がしてならない。

もちろん昭和初期には「大学出たけれど」的な側面や、小板橋二郎の『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』(ちくま文庫)など、階層の上下や社会的地位のバリエーションはあるのは当然だが、それでもサンソムが証言している暮しというのも一つの世界である。

昭和戦前期は、戦争という一つの事件を結末としてみると悲壮なものである反面、モダンな生活の開花という側面も持ち合わせていた。戦争があろうとなかろうと、徐々に戦後へ、モダン生活は連続しながら変化していったに違いないと確証できる一冊となっている。

面白いのは、例えば「スリッパ」に関する観察だろう。スリッパは、ある意味日本の独特の風習である。そもそも外国においては、家の内も外も靴で移動する。したがって、スリッパは必要がない。しかしながら、外国人が日本に初めて来たとき、靴を脱ぐ風習を知るが、非常に足が寒い。そのため、「東京八重洲に住む仕立て職人の徳野利三郎が試行錯誤した末に出来た」ものが「靴の上から履ける履物「スリッパ」」の原型であった、と東京スリッパ工業協同組合は述べている。

サンソムも、その靴を脱いだときの寒さについて、述べている。

「料亭の美しい畳やぴかぴかに磨かれた床には靴では上がりません。靴を脱ぐ手間を省くために、ビロードか布の靴カバーをつけます。靴カバーは冬場には、正直いって、とてもありがたいものです。寒いことを知らずに、冬や春先に絹のストッキングしかはかないでお寺の見物にきた女性は気の毒です。靴カバーが用意されていることは稀れなので、長い廊下を歩いたり、凍てつくような隙間風の中に立っていると足が凍ってしまいます。よほど美術が好きな人でない限り、とてもその寒さには耐えられません」(p.177)

スリッパが、サンソムの行くような神社仏閣にすべて備えられていたわけではなく、靴カバーなるものを用意していたことがわかる。今でも、東大駒場前の日本民藝館などにいくと、靴を脱いでスリッパで観覧することがあるが、ああしたところにスリッパがいきわたるまでには、様々な歴史があったのだろうと推測できる文章である。

スリッパの原型の発明は、先の東京スリッパ工業組合は「江戸時代の終わりから明治時代の初め」と言っているが、その発展と流通について調べていくと、面白いことがわかるかもしれない。

サンソムの文章は、今の暮しと変わらない暮しを、東京のアッパーミドルがしていたことを記しているが、細部においてやっぱり昭和戦前期なんだなあということがわかる。


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