「三十五年越し エピローグ16」/三十四年前の10月13日朝、阪急曽根駅での再会の日が、また過ぎていった。今年10月13日はあの時と同じ金曜日だった。
昨年令和四年の十月十三日に、平成元年に二年半ぶりに美智子さんと偶然の再会をしたことについて、何回目かの記事を下記に書きました。
そして、今年令和五年十月十三日が過ぎていきました。今年の十月十三日は三十四年前と同じく金曜日でした。
なぜ、あの時、あの秋晴れの朝、本当に偶然にも、美智子さんと再会したのでしょうか。
二年半ぶりに逢った彼女は幾分大人びていました。それは服装であったし、頬のあたりが少しだけほっそりと大人の顔になっていたとも思います。
繰り返しになりますが、私にとってはあれほど一人の人を深く恋焦がれたことは生涯でありませんし、その女(ヒト)と一回だけでもデートができたことは何物にも代えがたい人生の瞬間でした。
そしてそれは、彼女にとってももっとも生涯で美しい瞬間であったと思われます。
そしてそれが思い出に変わり始めたとき、あのデートの二年半後に、本当にあり得ないほどに偶然に、阪急曽根駅で再会したわけです。
還暦を過ぎてもこれほどまでに鮮烈に胸に留まっているほど恋焦がれた女性だから、あれほどのまでの偶然を神様が与えてくれたということなのか、と、いま思わずにいられません。
長い六十年を超える人生の中で、たとえ男友達であったとしても、そんな偶然の再会をしたことは一度だってないのです。
間違いなく運命の女(ヒト)だったということになります。
いまも、そのことについて、胸騒ぎが収まらず消えていかない中で、美智子さんという女性をもう少し長いスパンで想像(あるいは創造)してみたいと思って、『雨と水玉』を書いています。
寡聞にして私は知らないのかもしれないけれど、還暦男のこんな気持ちを書いたエッセイなり小説なりをもしご存じなら教えてもらえませんか?
あるいは、この先の『雨と水玉』のシナリオのヒントになるかもしれません。
もちろんヒントがなくてもかいていくことになる、いやするつもりですが、そのつもりであるのは、やはりあの二十代の瑞々しい感性の中にいた私が、眩しいくらい未来への輝きを感じた美智子さん、その人の核心にどんなに小さくともどんな小さな一歩でも迫りたいという、尽きない思いの発露であるからなのだろうと思います。
その美智子さんの近代、果たして、彼女のそうであったであろうこころにどこまでたどり着けるのか、遠いかもしれませんが精一杯努めてみたいと思います。
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