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「小説 雨と水玉(仮題)(64)」/美智子さんの近代 ”O その2/唄と哀しみ”

(64)O その2/唄と哀しみ

親友のOにはその日、啓一は美智子の実家に宿泊するためさほど遅くまでは飲めないとことわっておいたのだが、話が盛り上がったため男二人のお酒も進み、結局少しだけでもということで、いつものようにスナックへ二次会に行くことになった。

この男二人は二次会はいつも歌を唄いに行くことにしていた。どうもむかしからの乗りのせいか、スナックに入ったら二人は勝手に選曲して断りもなしに唄い出していたのには、美智子もびっくりした。ただしばらく聞いているうちに次から次へと唄が回り出し、それはそれで悪くないものだと妙に納得してきた。

啓一が主に加山雄三を、Oがサザンオールスターズの歌を唄っていたが、時に一緒に歌ったりもしていた。機嫌がいいという意味ではこんなに機嫌が良い啓一の姿を美智子もあまり見たことが無かった。

えみ子が美智子の耳元で、
「この二人、妙に波長が合ってるよねえ。うちのはサザンを唄い、佐藤さんは加山雄三で違うんやけど。」
「ほんまですねえ、なんか響き合うんでしょうね。
好きなの唄ってって私たちに言うわりにマイクを離しませんよねえ。わたしは聞いてるだけでいいんですけど」
「全くやねエ、わたしもそうやねん。
なんか聞いてるだけやねんけど、嬉しい言うか楽しい言うか、そんな気持ちになってくる」
歌も上手いのは確かだった。それと聴いているうちにわかってきたのは次から次にあまり考えずにリクエストを入れているようだったけれど、選曲が良かった。それに加えてそれぞれが完全にその世界に入り込んでいるのが不思議なくらい小気味よかった。

しばらくしてえみ子がまた美智子に
「わたしね、ときどきこうやって聴いてて思うんやけど、とにかく良い唄が多いやろ、でもな、片隅に切ない言うんか哀しい言うんか、そういうことを感じるねんな、不思議やねんけど」
「ああ、なるほど。
なんとなくわかります。そうかもしれへん」
美智子はもやっと感じていたことをえみ子に言われたような気がした。自分も確かにえみ子のいうような感覚でいたのだった。

ひとしきり唄って、あまり遅くなるといけないのでということで十時には店を出た。O夫妻の社宅も阪急曽根の最寄りだったので、四人して電車を降りるところまで一緒に帰り、二組は曽根駅の東と西に別れた。

啓一が、美智子の両親に遅くなったことを詫び、今日もよろしくお願いしますと言うと美智子のお父さんが、
「なんや、機嫌良さそうやな、カラオケでも行ったんかいな?」
「バレバレです。実は好きなもんで」
「ほおー、それはええな、啓一君の声、低音で伸びやかやから上手なんちゃうか、聞かせてほしいなあ、今度聴かせてくれよ、次に来たとき一緒に行こうや」
「ありがとうございます、是非お願いします」
「じゃあ、五月連休に行きましょうね」
お母さんも幾分はしゃいでいっているようだった。
「せっかく気分良くなってるんやから、もう少しここで飲もうや、啓一君、な、そうしよ」
「はい、是非」
啓一は美智子の両親が機嫌よく対応してくれたのを有難いことと心で手を合わせた。
一時間ほどテーブルを囲んで両親と美智子との四人で過ごし、ほどなくお開きになった。

その晩も美智子の部屋で二人で寝ることになっていた。
ベッド下の蒲団に入って美智子が電気を消すと啓一は疲れのせいか、すぐにうとうとしてきた。
美智子はスナックでえみ子が最後に言ったことを想い出していた。
啓一の心の片隅にある切なさ、哀しさは美智子が惹かれてきたものであったのかもしれなかった。帰りの電車に乗りながら、それを暖めて癒してあげたい気持ちが美智子の胸の中に満ちて来ていた。おそらくそれが啓一の外に向かうものを力強くしていくのだろうことを無意識に感じながら。
「啓一さん、そっちに行ってもいい?」
「うん、、、、」
美智子は啓一の蒲団に滑り込んで胸元に寄り添った。啓一はすぐに肩を抱き寄せてくれ、ひたいにキスしたと思ったら寝息を立て始めたようだった。美智子も啓一の胸にくちづけして目をつむった。

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