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「小説 雨と水玉(仮題)(16)」/美智子さんの近代 ”それからの月日ー2”

(16)それからの月日―2

就職が決まってからは、ゼミ一本で集中して取り組むようになった。
課題も一段難しくなっていったが、美智子は食らいついていくという感覚がわかるようになってきていた。
多少の厳しい注文にも深夜まで集中してやり遂げるということも数度ではなかった。
気が付けば秋は夢中で取り組んでいる間に過ぎていき、最後のレポートの報告も正月休みも三が日だけというような調子でなんとかまとめることができた。
発表会の講評が終わり、閉会となって高坂先生が帰り際に、
「田中さん、ちょっと私の部屋に来てくれない?」
「はい。」
「どうぞ、入って頂戴。」
「お邪魔します。」
「田中さん、
あなたのレポート、とっても良かったわよ。成長したわね。
前にも言ったけど、モームが通俗的な設定の中で人間性についていかに深く理解していたか、感覚的にわかってきたでしょ。
あなたのレポートにそれがはっきりと出ていたわ。」
「ありがとうございます。夏に先生に伺ったことをいつも頭において取り組んできたつもりですが、これがそういう感覚でしょうか。」
「そうね。それはあなたが真剣に取り組んできたっていう証でしょう。立派にやり遂げたわね、おめでとう。
ひとつだけ注文しとくわね。もう少しだけあなたの素直な気持ちを表に出してみた方がもっといいかなと思う。社会に出てから、あるいは家庭でもそういう部分はとっても大事なこと思うから。自信を持ってやっていくのよ、いいわね。」
この先生が、学生のことを「あなた」と呼ぶときは学生を評価しているときだと美智子は聞いたことがある。素直に嬉しかった。
「はい、ありがとうございます。」
「あなたは、これで卒業することになるんだけど、就職してからも形は違うかもしれないけれど、学びの習慣を持つようにするのよ。
四年生でやったような専門的なハードなものではないかもしれないけれど、A書店で勤める中でいろんな学びの機会があるはずだし、もし結婚して家庭に入ったとしても学ぶ意志さえあれば人間は必ず成長していく、そういうものだから。
あなたが四年生の一年間で学んだことはそういうことなのよ。
そして、ときどき私のところにも近況を報告に来なさいね。お願いよ。」
「はい、是非そのように。
ありがとうございます。」
 
美智子の帰りの足取りは軽かった。発表前日は徹夜でやり切って疲れてはいたけれど、こんなに親身に指導して貰えたことに感謝の気持ちいっぱいになった。
足取りの軽さは希望の大きさに繋がっていた。


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