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「三十五年越し (本編6) 『雨に唄えば』が美智子さんと繋いでいた線と大馬鹿者」/遠い昔の二十代の頃、恋焦がれ続けた美しい女性、美智子さんへの心からのオマージュ、三十五年越しのラブレター

(1)プロローグ

(2)一回きりのデート

(3)口説き落としておけば    

(4)偶然が齎したトドメと相聞歌   

(5)自立のいとなみと美智子さんへの恋     に続いて


(6)「『雨に唄えば』と大馬鹿者」

 しかし、追憶はしばらく巡り巡りを繰り返している。
 このエッセイめいたものを三十年以上前のことを思い出しながら書き始めてしばらくたったけれど、つい最近気付いたことが有る。三十五年前の、あの梅田での美智子さんとの一回きりのデート、彼女が着て来ていた水玉模様は、私への気持ちをあらわしてくれていたのだと。
 こんなことに気付かず三十五年も過ぎてしまったのか、大馬鹿者!、ボケなす!、クソ野郎!と、あの大阪の喫茶店に戻って自分を殴り倒してやりたい気持ちが抑えられない。
 しかし気付くのが取返し不能になり数年の内のことだったら悶絶して気が狂っていたかもしれない。
 なので本当に大馬鹿者なのだけれど、気付いたのが三十五年経った今で良かったのかもしれない。

 しかし、少なくとも取返しのできるうちに気付いていれば。
 そしてあの日のうちに気付くことができていれば、、、、

++仮想++++

 あの日、自分自身に幻滅して大阪から帰らなければならなかった。
梅田の駅で、
「今日はありがとう。」
とだけ言って彼女と別れて目もうつろに歩いていた。
 新大阪の地下に新しく出来た若向けのブティックの『はじめてのデートは、ワンピース』というデコが目についた。
 それは傷口に塩を塗るような痛みをそそった。
 しばらく進むと、その先のお店には『雨の季節に可愛い水玉をまとって』と掛かっていた。それを見て、覚えずその前の年昭和六十一年三月に彼女と二人で話し込んでいた時のことが脳裏に浮かんできた。

//一回きりのデートの一年前////////
 彼女と二人で話したことはそれまでごく短時間のものはあったろうが、そのときが二人きりでゆっくりと話した初めての時間だった。
 昭和六十一年三月のことだ。
 その二月末に修士論文を提出した私は三月上旬から二週間ほどアメリカへ一人旅にでた。
 西海岸から大陸を横断し、最終最後のニューヨークで、ブロードウェイで上演されていた『雨に唄えば』を観た。映画の『雨に唄えば(Singin In The Rain)』については先ほど記したが、一年前の昭和六十年の春、リバイバルで上映されたのを見てピカイチのお気に入りになっていた。ジーンケリーの土砂降りの雨の中での自由奔放の踊りと唄が、叶ったことの無い恋への希望を大きく膨らませたことを昨日のことのように覚えている。
 ニューヨークでは、そのシーンで雨が降りかかりそうになるくらいの舞台のかぶりつきで観ることができた。そして主役三人が歌って踊るGoodMorningやSinginInTheRainなど臨場感たっぷりのブロードウェイミュージカルに酔いしれて帰国した直後のことだった。
 その興奮冷めやらぬ中、彼女とたまたま二人になるタイミングがあり、恐らく私の方は昼間なのにお酒が入っていたかもしれない、なにかとうとうとそのミュージカルの臨場感と高揚感を話してあげたことがあった。
///////////

 その時のことをしばらく反芻していたとき、とんでもないことをしてしまったとの感覚が走った。慌てて、新大阪駅玄関のタクシー乗り場へ向かった。
「運転手さん、阪急宝塚線の曽根駅へ急いで!」
「りょうーかーい、承知しましたでえ」
 幸い渋滞などなく十分ほどで曽根駅につくと、すぐに改札の前に立った。ちょうど下り電車が着き、幸いにも間に合って白地に黒の水玉のワンピース姿が下りてきたのがわかった。

駆けよって近づき、
「田中さん、ご免なさい、忘れものしちゃって。」
「えっ?、忘れものですか?」
「ええ、忘れもの。
少しいいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
「豊島公園で、僕に少し時間をくれませんか?」
「ええ」
 その公園は皆でよく一緒に過ごした公園だった。
歩きながら、
「あのお、田中さん、今日の服装、とても素敵でお似合いですね。」
「えっ?
 ――季節的には早いんですけど、
 ――佐藤さん、雨がお好きかと思って、、、、」
「はい、大好きです。ありがとう。
――水玉って雨を表現してるんですね。とっても素敵です。
 あっ、この階段、ちょっと危ないんで、
 手を取らせてもらっていいですか?」
「えっ? ――はい。」

新緑が眩しいなか、藤棚下の日陰のベンチに導いた。
木漏れ日と綾をなしたワンピースの水玉が優しく輝いていた。
「あのお、僕はさっき新大阪駅で歩いているとき、
今日、何をしに来たのか、という忘れものに気付きまして。」
「はい。」
「あのお、田中さんのことをずっと素敵な女性だと思っていました。
是非僕とお付き合いしていただけないかと。」
「!、?」
「あなたが、去年の春に話した『雨に唄えば』のことを
覚えていてくれたなんて思いもよりませんでした。
水玉模様、ほんとに素敵で感激しました。
どうもありがとう。」
「いえ、そんな」
「新大阪駅でそのことに気付いて居ても立ってもいられず。すみません、さっきまで梅田で二人で話していてそんなことにも気づかず にいて。
あなたのことがずっと好きでした。そして今日また好きになってしまいました。
――どうかお付き合いしていただけませんか、是非お願いします。」
「――はい。」
「えっ?はいって言いました?
あのお、訂正してはいけないことになってるんですよ、
今日から法律で。
言いましたよね、訂正できませんよ。」
愛くるしい目を輝かせて
「訂正しませんよ(笑)」
「――ありがとう。
――ああ、もうホント嬉しくて踊りたくなってきちゃった。
雨降ってこないかなあ、、、」
「ふふ、ふ、ふ(笑)」
 微笑みから戻り彼女の目元に透き通った美しい瞳が現れた。
 しばらくの間があったのだろうか、いつの間にか見つめ返してきた瞳に吸い込まれるように近づくと、瞼が静かに閉じていった。

++仮想了+++++

 中に挟んだ、昭和六十一年の彼女との時間が事実としてあり、新大阪のタクシーからのくだりは仮想なので、このとおり、全くの大馬鹿者だった私は三十五年後の今になってこのことに気付き、ここに恥をさらしている。
 彼女はあのデートの時、四月にも関わらず敢えて梅雨の季節に相応しい白地に黒の水玉模様のワンピースを着て自分の思いを込めていたのだった。

 『雨に唄えば』を先日改めて観てみた。なんということだろう、三十年以上前の若き日の記憶が鮮明に蘇った。彼女に恋をしていた時の感情が甦った。この映画は、恋をしている人が観ることで活き活きと感情が踊る。シンプルなストーリーと躍動する歌と踊りが、心と身体に響きそれらの動態はフィードバックし合いながら最高の高みへ心をいざなってくれる。やはり初めて観たときからこの映画と彼女が不可分だったことが改めて良く分かった。
 昭和五十九年彼女と知り合って時を置かず恋をした。それから一年後の昭和六十年夏、梅田御堂筋沿いのリバイバル上映で観たのも、さらに翌昭和六一年三月ニューヨークブロードウェイでたまたま掛かっていて、その舞台を偶然観たのも、帰国後すぐ興奮冷めやらぬ態で彼女に話してあげたのも、そしてさらに重ねた一年後の昭和六十二年四月彼女がそれを覚えてくれていて、あのデートの時、白地に水玉模様のワンピースで現れたのも、すべて一本の糸で繋がっていた。
 繋がっていなかったのはただあのデートの時の私の素直でない心だけだった。

 慙愧、痛恨がないわけはなく、切なくないわけはない。
 しかし、しかし、なぜか今胸の奥に温かい感触がある。
 なんという素晴らしい女性だったんだろう。なんという人なのだろう。
 長い年月がたったけれど時空を越えて暖かいものが柔らかく目を潤ませる。感謝の念がじんわり心に満ちて来る。
 なぜって、それは田中美智子という素晴らしい女性の優しく美しい心に辿り着くことができたから。

田中美智子さん!
 今のいま、実は外はドシャ降りの雨だけど、心はジーンケリーのようにずぶ濡れになって踊っています。
 あなたに恋をして、焦がれ続けて、仕合せを祈り続けることができて本当に良かった。
 そして、ずっと女神でいてくれてありがとう。
 素晴らしい「としつき」をありがとう。


(7)に続く

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