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人文、歴史系

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人文系の記事を収録します。政治、金融、経済関係以外の文学、歴史、人間に関する記事と思ってください。政治、金融、国際政治及びそれに関わる社会事象は「世界情勢、歴史、政治、経済、金融… もっと読む
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#日露戦争

「日露戦争旅順攻防戦及び奉天会戦について」/俯瞰及び目次

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」及び「日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで その1から5」に関する、俯瞰及び目次を、読者の皆さんの便宜のためここに作成します。 1.日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 2.日露戦争奉天会戦/司馬遼太郎史観に騙されないで 1)その1 2)その2 3)その3 4)その4 5)その5 今後ともご愛読賜りますようお願い申し上げます。 2.その他

書評「かたくなにみやびたるひと 乃木希典」乃木神社総代会(展転社)/乃木さんの軍人として貫く一念と広くたゆたき心が、尊きまでに胸を打つ

かたくなにみやびたるひと みやびたる、という言葉が現今一般に受ける印象は、やまと心の中でも、たよやめ、にぎみたま、といった優しさを表すものにどちらかといえば近いです。 しかし、この書の中では本来の「みやびたる」を敢えて説明しており、やまと心の、ますらお、あらみたまのほうの荒ぶる戦人(いくさびと)のみたまをも合わせたものを言うとしています。 その意味で、敵に対して、戦人としての勇気のすべてをかけて打ち勝つ、そういう忠君軍人として貫く一念が「みやびたる」の中の核心としてあるの

「歴史街道2024年3月号 『二〇三高地・120年目の真実』」(PHP)/ようやく旅順戦について、歴史が平衡の振り子を戻しはじめた

明治37(1904)年8月~1月 旅順戦から今年で120年 今年令和6(2024)年は日露戦争の旅順戦から120年ということになります。 このため、歴史街道(PHP)の3月号で『二〇三高地・120年目の真実』と題した特集が組まれました。 ようやく旅順戦について、歴史が平衡の振り子を戻しはじめた 歴史街道3月号には、 1)総論 新解釈から見た日露開戦と旅順攻防戦                        小林道彦 2)「戦略」で読み解く――なぜ、二〇三高地が焦点となっ

「119年前の11/26は、旅順要塞第三回総攻撃開始の日です。乃木第三軍の全将兵が一週間以上にわたりどのような死闘を繰り返したのか、壮絶な歴史に思いを馳せ、誠の感謝を捧げましょう」

119年前明治37(1904)年11月26日 日露戦争において、ロシアがその要塞構築力のすべてを賭けて盤石に作り込んだ近代要塞旅順に対して、これほどの短期間、寡兵によって実質4カ月余りで攻略を果たしたのは乃木第三軍の合理と合理を超えた全将兵の英雄的戦いによるものですが、このことが戦後司馬遼太郎の『坂の上の雲』によって大きく曲解されてきました。 見出しにした明治37(1904)年11月26日は、8月下旬に始まる第一回総攻撃、10月下旬に始まる第二回総攻撃に次ぐ、第三回総攻撃開

「『日露戦争と日本人 国難に臨んだ明治の父祖たちの気概』鈴木壮一著かんき出版 この雄渾な叙事詩を是非ご一読ください」

近刊「ロシア敗れたり」に関連して本書を再読 鈴木壮一さんの近刊「ロシア敗れたり」に関連して、本書「日露戦争と日本人」を再読しました。 「ロシア敗れたり」は「日露戦争と日本人」及び「名将乃木希典と帝国陸軍の陥穽」を合わせて再編集したものという書評を掲載しました。またそういう編集もまた良しとも申し上げました。 再読して「日露戦争と日本人」の良さを再認識 私は、気に入った書物については再読に再読を重ねるということを良くしています。 再読に耐えるもの、あるいは再読によって認識

「本日は、118年前満洲奉天において会戦勝利を得た陸軍記念日に当たります。日本の独立を守るため自らを死地に投じて勝利を得た英霊に感謝の誠を捧げます」

本日3/10は、118年前満洲奉天において会戦勝利を得た陸軍記念日に当たります。 日露戦争の野戦については、乃木将軍を中心とした視点で本コラムでシリーズで詳細なる私見を記しました。 以下になります。 奉天会戦の終わったあと現場視察に行ったある将校が、その様を見て、「このように将兵一人一人が、この戦いに負ければ祖国が滅びると思い、自らを死地に投じたために勝てたのだと思います。それは作戦の妙でも、天皇の御稜威でもありません、そう思うのはいけないことでしょうか?」と上官に問うたと

「日露戦争旅順攻防戦/司馬遼太郎史観に騙されないで」

 この8月で、日露戦争の旅順攻防戦(1904年:明治37年8月~1905年:明治38年1月)開戦から118年を迎えます。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は小説として書かれたと言え、史実に厳密ではありません。特に乃木希典大将の記述に関しては酷い偏見が見られ、「坂の上の雲」後の昭和年代は一時乃木大将愚将論が闊歩しました。  その後、多くの歴史家の努力により、乃木愚将論の呪縛が説かれてはきましたが、改めて乃木大将の日露戦争における位置づけを私なりにまとめておきたいと思います。  以下