#日露戦争
書評「かたくなにみやびたるひと 乃木希典」乃木神社総代会(展転社)/乃木さんの軍人として貫く一念と広くたゆたき心が、尊きまでに胸を打つ
かたくなにみやびたるひと みやびたる、という言葉が現今一般に受ける印象は、やまと心の中でも、たよやめ、にぎみたま、といった優しさを表すものにどちらかといえば近いです。 しかし、この書の中では本来の「みやびたる」を敢えて説明しており、やまと心の、ますらお、あらみたまのほうの荒ぶる戦人(いくさびと)のみたまをも合わせたものを言うとしています。 その意味で、敵に対して、戦人としての勇気のすべてをかけて打ち勝つ、そういう忠君軍人として貫く一念が「みやびたる」の中の核心としてあるの
「119年前の11/26は、旅順要塞第三回総攻撃開始の日です。乃木第三軍の全将兵が一週間以上にわたりどのような死闘を繰り返したのか、壮絶な歴史に思いを馳せ、誠の感謝を捧げましょう」
119年前明治37(1904)年11月26日 日露戦争において、ロシアがその要塞構築力のすべてを賭けて盤石に作り込んだ近代要塞旅順に対して、これほどの短期間、寡兵によって実質4カ月余りで攻略を果たしたのは乃木第三軍の合理と合理を超えた全将兵の英雄的戦いによるものですが、このことが戦後司馬遼太郎の『坂の上の雲』によって大きく曲解されてきました。 見出しにした明治37(1904)年11月26日は、8月下旬に始まる第一回総攻撃、10月下旬に始まる第二回総攻撃に次ぐ、第三回総攻撃開
「本日は、118年前満洲奉天において会戦勝利を得た陸軍記念日に当たります。日本の独立を守るため自らを死地に投じて勝利を得た英霊に感謝の誠を捧げます」
本日3/10は、118年前満洲奉天において会戦勝利を得た陸軍記念日に当たります。 日露戦争の野戦については、乃木将軍を中心とした視点で本コラムでシリーズで詳細なる私見を記しました。 以下になります。 奉天会戦の終わったあと現場視察に行ったある将校が、その様を見て、「このように将兵一人一人が、この戦いに負ければ祖国が滅びると思い、自らを死地に投じたために勝てたのだと思います。それは作戦の妙でも、天皇の御稜威でもありません、そう思うのはいけないことでしょうか?」と上官に問うたと