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「歴史街道2024年3月号 『二〇三高地・120年目の真実』」(PHP)/ようやく旅順戦について、歴史が平衡の振り子を戻しはじめた

明治37(1904)年8月~1月 旅順戦から今年で120年

今年令和6(2024)年は日露戦争の旅順戦から120年ということになります。
このため、歴史街道(PHP)の3月号で『二〇三高地・120年目の真実』と題した特集が組まれました。

ようやく旅順戦について、歴史が平衡の振り子を戻しはじめた

歴史街道3月号には、
1)総論 新解釈から見た日露開戦と旅順攻防戦
                       小林道彦
2)「戦略」で読み解く――なぜ、二〇三高地が焦点となったのか
                       大木 毅
3)死闘に次ぐ死闘・・・第三軍、旅順要塞に挑む
    前編/早期の攻略を求められ、二度の総攻撃へ
    後編/運命の攻撃目標変更!その決断の末に・・・
                       松田十刻
4)乃木司令部の作戦指導はどう評価すべきなのか
                       瀬戸利春
5)攻略の切り札として投入された”第七師団”とは
                       渡辺浩平
6)三十年式歩兵銃、二十八糎榴弾砲、気球・・・陸戦で活躍した兵器        
                       吉野泰貴
という6つの記事が掲載されています。
5)、6)も興味深かったですが、本論とは異なるので、1)から4)についてだけ述べさせてもらいます。

旅順戦の位置づけ、日本軍中枢の旅順戦への不用意さ、乃木大将の武将としての考え方と行動については、以前に比べて格段に正確さが増しているのを感じます。
総じて、乃木第三軍が如何に大困難の中奮戦し旅順を落としたか、について妥当な著述が展開されていると言えます。

ようやくここまできたか、という感じがします。
まさに「歴史が平衡の振り子を戻しはじめた」と言えると思います。
多くの人に読んでいただきたいと思います。

もし興味のある方は、本ブログの一連の記事に目を通していただけると有難く思います(下記)。

上記中には、参考図書も合わせてお読みいただくとより真相に近付くことが出来るものと思っています。

なお、批判するとすると、、、

ただなお、不満な点が無いわけではありません。

1)総論 新解釈から見た日露開戦と旅順攻防戦  
については、日露開戦時に旅順戦が焦点になっていたと結論付けていますが、露西亜側はそうかもしれませんが少なくとも日本軍中枢は、その戦略上の位置づけは全く欠落したものでしかありませんでした。
だからこそ、旅順の情報が事前に全く把握できておらず、あれだけの難戦を乃木第三軍に蒙らせたのです。
1)が全体としておかしいというわけではありませんが、新解釈と言うわりに旅順戦が事前に焦点になっていたとの結論はいただけません。

2)「戦略」で読み解く――なぜ、二〇三高地が焦点となったのか
は、旅順戦の位置づけの変遷をきちっと整理し、1)を批判しているかのような論文にもなっています。さすが大木毅さんだと思います。

3)死闘に次ぐ死闘・・・第三軍、旅順要塞に挑む
    前編/早期の攻略を求められ、二度の総攻撃へ
    後編/運命の攻撃目標変更!その決断の末に・・・
については、正確な戦記になっています。さすが松田十刻さんです。
4)乃木司令部の作戦指導はどう評価すべきなのか
についても、客観的な評価として及第点をあげられます。

しかし、なお付け加えるとすれば、この旅順要塞戦という難戦を統率しきった乃木将軍の統率力についての記載が如何にも不十分です。
今回は、事実の正確さに焦点を置いた編集ということもあるかもしれませんが、軍事における統率というモノの重大な意味、とくにこの古今の難戦における統率力についての認識はやはりもっと重く受け止める必要があると思います。
いくさは人間が戦うものです。

しかしながら、既述したように総じて旅順戦の評価、乃木第三軍への評価について、以前からの誤解に基づくものを大いに払拭した特集になっていると言えますので、
皆さんにも是非ご購読いただきたいものと思います。



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