『フレイザー報告書』こぼれ話(3)

 引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言者一覧

○ダン・フェファーマン……自由リーダーシップ財団(FLF)評議会メンバー。1974年当時は事務局長。
○クリス・エルキンズ……元FLF職員。1974年9月14日の「日本大使館卵投げ未遂事件」の実行役のひとり。

○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長

『ワシントン反日デモ事件』を深掘りする(計画篇)

 KCIAからワシントンでの反日デモをするよう依頼を受けた統一教会は、傘下の反共政治組織であるFLFにその任を命じる。

 フレイザー:誰が計画に参加したか知っていますか?
 フェファーマン:私は確かにそれを覚えています。サロネンさんと私と数名で計画に参加しました。
 フレイザー:あなたが覚えている限り、他に誰が参加しましたか?
 フェファーマン:誰だか正確には思い出せません。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年8月3日)

 「確かに覚えている」と言ったにもかかわらず、自分とニール・サロネン(FLF会長)以外に参画した者の名前は思い出せないと、フェファーマンは不誠実にも回答を避けた。なお、フェファーマンや、こぼれ話(9)で触れる文鮮明当人やその側近である朴普煕(パク・ボーヒ)など、統一教会の現役信者や幹部は、虚偽の発言はしないと宣誓をしているにも関わらず、不誠実であったり虚偽と思われる回答をしているので、発言の信憑性には注意を要する。

 さて、デモ隊はどういうルートで廻るはずだったのか? 

 フレイザー:デモの内容をおおまかに教えていただけますか?
 フェファーマン:私の記憶では、デモは主に、デュポン・サークルからホワイトハウスへ行進ののち、ホワイトハウス前でピケを張ることでした。その後、日本大使館まで行進し、日本大使館前でデモをすることでした。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年8月3日)

 フレイザー:[日本大使館における卵投げと]同時に行われる予定だった別の活動はありましたか?
 エルキンズ:この時点で、デュポン・サークルで集会が行われていました。それは、デュポン・サークルからホワイトハウス前のラファイエット広場まで行進する予定でした。これは多かれ少なかれ陽動戦術として機能し、警察を拘束し続けます。彼らはたくさんの騒ぎを起こし、たくさんのスローガンを掲げました。これはその地域の警察への牽制で、おそらくそれほどカバーされないようにするためのものでした。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)
①デュポン・サークル②ラファイエット広場(ホワイトハウス前)③日本大使館④韓国大使館(当時)
★ニール・サロネンの個人事務所☆FLF事務局

 デュポン・サークルでのデモ隊の行動計画に対するフェファーマンとエルキンズの証言は、おおむね一致しているように思える。だが、デモ隊の位置付けおよび別働隊の有無に関し、フェファーマンは何ら発言していない(これはフレイザー委員長の尋ね方に問題があるのだが、中止された計画である以上、彼にとって掘り下げても意味がないと思ったのかもしれない)。デモ隊と別働隊に関する曖昧さは最終的に報告書に少々問題を残す(この考察はこぼれ話(7)で)。

 では、日本大使館への卵投げについても証言を拾ってみよう。

 フレイザー:卵投げのことへの検討はありましたか?
 フェファーマン:はい、ありました。
 フレイザー:それについて教えてください。
 フェファーマン:マスコミの報道を集め、日本大使館に私たちの意見を理解してもらうには、劇的なデモが最も効果的であると私たちは感じていました。どのようなデモが最も効果的か、いくつかのアイデアを検討し、卵を投げるアイデアが浮上しました。
 フレイザー:卵はどこに投げられる予定でしたか?
 フェファーマン:大使館の建物にです。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年8月3日)

 フレイザー:卵を投げる計画のアイデアはどこから来たのですか?
 フェファーマン:前夜の会議で、劇的なデモのいくつかのアイデアについて話し合いました。覚えているかもしれませんが、当時の韓国人の中には小指を切り落としていた人がいました。私たちはそれを俎上に載せてさえみましたが、それはしないことに決しました。その後、卵投げのアイデアが持ち上がりました。私は共産中国の国連加盟に反対するデモに参加したことがあり、中国人学生の何人かが……アカの中国公使館へ卵を投げました。誰がアイデアを持ち出したのか正確には覚えていませんが、私たちの何人かは以前にそのタイプのデモを目撃したことがありました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年8月3日)

 この証言中の「前夜」はいつなのだろうか。決行前夜(9月13日)だとすると、後述する安田駐米大使襲撃計画がハナから破綻するので、それ以前の夜だろう。「小指を切り落とし」た事件が10日における天安市のこと(こぼれ話(5)参照)であるならば、会議で卵投げのアイデアが出たのはそれ以降に違いない(因みに天安市の話題が朝日新聞に載ったのは翌11日である)。
 もし、この「前夜」が、KCIAワシントン支局から依頼が来た日の「前夜」ならば、文鮮明が言及した(『報告書』44ページ)12日の信憑性は俄然高くなる。

 フレイザー:その時、彼とは[日本大使館前での]計画について話し合いましたか?
 エルキンズ:その際、私たちが特定の地域に車がある間に何をし、そして卵を投げるのかについて、彼は簡単な概要をくれました。あなたが冒頭の声明で述べられたように、当時日本と韓国の間には多くの緊張があり、状況に対する懸念、つまり合衆国への懸念を願わくば指摘するつもりでした。ニール・サロネンは、なぜ基本的に私たちがそれを行うのかを指摘しました。それは非常にシンプルで、卵投げと駆け足でした。
 フレイザー:あなたと他の4人は日本大使館の近くに行くことになったのですか?
 エルキンズ:はい。
 フレイザー:そこに着いたら卵を投げるつもりだったのですか?
 エルキンズ:然るべきタイミングで合図が送られる予定でした。
 フレイザー:卵を投げたら、すぐ離れる手筈だったのですか?
 エルキンズ:はい、直ちに。私たちはこれが統一教会と関係あるだろうと望んではいませんでした。
 フレイザー:卵投げを依頼された人々について、誰が参加するか容姿で選別する試みはありましたか?
 エルキンズ:今回の状況に関する限り、私たちが集まったのは一度きりです。私の記憶では、関与した人々は基本的に信頼でき、ニール・サロネンほどではありませんでしたが、教会内のさまざまな組織を代表するかなりの指導的立場にありました。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)

 卵投げに参加する別働隊にも、選出には一定の基準が存在していた。もちろん、デュポン・サークルでのデモ隊についても。

 フレイザー:計画された攻撃に参加する人々を選択する際に、日本人や韓国人のバックグラウンドではなく、アメリカ人のように見える人々を選ぶ努力がなされましたか?
 エルキンズ:まさに。それは純粋にアメリカの戦術として現れなければなりませんでした。意図的に東洋人は関与していませんでした。実際、私が言ったように、私はデモに参加していませんでしたが、多くの場合、ワシントンでは、教会を拠点とする場所では、東洋人はここにはいませんでした。彼らはより頻繁にニューヨークにいました。ワシントンが首都であることは、アメリカ人の努力でなければなりませんでした。 

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)

 こぼれ話(2)における金相根(キム・サンクン)の証言との違いに注目。デモの参加者が、韓国政府が当初望んでいた「在米韓国人」から、統一教会主催のそれは「(見た目が)西洋系アメリカ人」に変わっているのだ(この差がいかなる意味を持つのか、という考察はこぼれ話(9)で)。蛇足だがエルキンズはギリシャ系アメリカ人である。

 当初、日本大使館前で行われる行為は「卵投げ」だけではなかった。

 エルキンズ:……基本的に、他の4人と私は日本大使館に卵を投げるつもりでしたがーー できれば正午頃に計画されていて、おそらく日本大使を捕まえる予定でした。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)

 当時の駐米日本大使・安川壮(たけし)氏を「捕まえる(原文では "catch" )」という計画が存在したのだ(捕えて具体的に何をするつもりだったのかは不明)。

 フレイザー:攻撃計画に関しては、それは大使館に対するものでしたか、それとも大使に対するものでしたか?
 エルキンズ:もちろん、大使を捕えるのが主だったでしょう。私たちは大使館を徹底的に卵まみれにすることに決めました。それは昼ごろに計画され、大使は昼休みに出入りすることが知られていました。その時、それが起こるが最善でした。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)

 最後に、今更感はあるがデュポン・サークルのデモ隊に参加した人々の属性を証言から拾ってみよう。

 フレイザー:デュポン・サークルに呼ばれた120人は呼ばれた全員FLFのメンバーだったのですか?
 フェファーマン:彼らは全員FLFの準会員でした。彼らは正会員ではないです。
 フレイザー:「準会員」とはどういう意味ですか?
 フェファーマン:FLFの活動に賛同してくださった、『ライジング・タイド』会員の方や過去にデモに参加してくださった方です。理事会以外の正会員は存在しません。
 フレイザー:FLFは統一教会の教育機関ですよね?
 フェファーマン:私はそのように説明していません。
 フレイザー:あなたが仰ってないことを述べているわけではありません。
 フェファーマン:それは、民主主義と共産主義の間のイデオロギー闘争の文脈における国際関係について、アメリカ人を教育することに関心を持っている教育機関です。統一教会の信者を中心に構成されています。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1977年8月3日)

【註】『ライジング・タイド』はFLF発行の機関紙。

 白々しいとはこういう事を言う。

 フレイザー:デュポン・サークルでのデモは誰が主催していましたか?
 エルキンズ:統一教会です。

『合衆国における韓国中央情報部の活動』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1976年9月27日)

(4)に続く。


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