『フレイザー報告書』こぼれ話(2)

  本当は(1)の続き(というか前日譚)を書きたいが、統一教会から離れていってしまうので後まわし。

 引用は適宜省略している。また、[ ]カッコ内は訳者による補筆である。

発言人物一覧

○金相根(キム・サンクン)……元在ワシントン韓国大使館参事官。1974年当時一等書記官。

 ○ドナルド・M・フレイザー……下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会委員長

『ワシントン反日デモ事件』を深掘りする(依頼篇)

 『フレイザー報告書(和訳版)』(以下『報告書』と略す)42〜44ページに概容が書かれている「反日デモ事件」について、より細かく見ていこうと思う(『報告書』を読んでいることを前提に記事を書いているので悪しからず)。

 1974年9月、ソウルからの命令でワシントン、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨークで反日デモが計画された。ワシントンKCIAの責任者は、日本大使館前とホワイトハウス前でのデモを文鮮明のグループと調整した。

『フレイザー報告書』(和訳版)42ページ

 この機密解除された合衆国情報機関の報告書では、ソウルの本部から命令を受けたKCIAワシントン支局がすぐに統一教会へ持ちかけたような印象を受けるが、実際はそうではない。

 フレイザー:本部からのこの指示を受けて、あなたと他のワシントンKCIA職員は何をしましたか?
 金:各エージェントは、指示をどうやって実行するかを計画し始め、それぞれの担当分野で、支局長のキム・ヨンファン公使と相談しました。
 フレイザー:ソウルが望んでいた、デモに在留韓国人を利用する案もあったのですか?
 金:はい。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月6日)

 そもそもソウルの要望は「在留韓国人を利用した反日デモ」だったのだ。だが、

 フレイザー:あなたとリム・キュイル大佐は、KCIAの別の役人だったと私は理解していますが、その考えに反対していましたか?
 金:はい。私たちが議論している期間中、ワシントンD.C.地域の住民による頻繁な反韓国政府デモがありました。
 当時の私たちの仕事は、そのようなデモを阻止することでした。
 今度は在留韓国人を利用・動員して反日デモを組織・実施することになったのです。
 私は、そのような企てはこの地における韓国人コミュニティの混乱を助長するだけだと思いました。
 また、金大中誘拐事件をきっかけにKCIAは挫折し、この国では目立たないようにしていました。私たちがそのようなデモを組織することは、合衆国政府による更なる批判を引き起こすだろうと私は思いました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月6日)

 前年の1973年、金大中氏に絡む諸々の事件(その際たるものが「金大中誘拐事件」)で陰で糸を引いていたKCIAは、アメリカ当局から睨まれて目立つ行動を控えなければならなかった(こののち「コリアゲート」が世間へ露見し更なる苦境に立たされる)。ちなみに金相根は在留韓国人、リム・キュイル駐在武官は国防総省と連邦議会が担当である。

 とはいえ、いちおうは努力したらしい。

 フレイザー:デモに韓国人を利用することに反対したにもかかわらず、そのようなデモを進んで組織する韓国人を見つけようとしましたか?
 金:はい。
 フレイザー:これに同意した在留韓国人はいますか?
 金:はい。
 フレイザー:スタッフにこの在留韓国人の身元を明らかにしましたか?
 金:はい。
 フレイザー:そのようなデモを組織した人物に金銭を支払う権限がありましたか?
 金:はい。
 フレイザー:このデモのために、この韓国人住民にお金を渡しましたか?
 金:はい。
 フレイザー:いくら?
 金:私が覚えている限りそれは500ドルでした。
 フレイザー:その在留韓国人は反日デモに成功したのか?
 金:いいえ、彼はしませんでした。
 その後、KCIA からそのデモを停止するようにとの指示がありました。
 フレイザー:この在留韓国人は反日デモを行わなかったのは、KCIAが計画を中止したからだとおっしゃっていますか?
 金:その通りです。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月6日)

 金が仕立てた反日デモの詳細は全く情報が無く想像の域を出ないが、ワシントンではないのだろう。これは、金銭だけ受け取ってやらなかった、ということではなく、統一教会主催の反日デモが抜き打ちで早く実行(のち中止)されたため、実行されなかったのではないだろうかもっとシンプルな理由だった(こぼれ話(6)参照)。

 フレイザー:反日デモを組織するために聖職者の助けを借りようとした試みましたか?
 金:はい。私が覚えている限り、この目的のために聖職者を募ろうと努力したのは[支]局長のキム・ヨンファン公使でした。
 フレイザー:聖職者は同意しましたか?
 金:聖職者に尋ねたところ、その聖職者はきっぱりと拒否し、彼はさらにキム公使に何故それをしてはいけないのかについて2時間の説諭をしたと、キム公使から私は伺いました。

『韓米関係調査』下院・国際関係委員会ー国際機関小委員会事前公聴会(1978年6月6日)

 いやはや、滑稽を通り越して憐れみすら感じる。

 最終的にこの話は統一教会に持ち込まれることになるのが、統一教会側は誰が引き受けたのだろうか? 

 [ドナルド・]ラナードがデモの計画を知ったとき、彼は大使館に強く抗議し、この抗議に照らして、[支]局長はソウルに連絡し、デモをキャンセルするように言われた。[支]局長が韓相吉(文[鮮明]の広報顧問で元KCIA職員)に集会を中止するよう説得したとき、文のデモ隊はすでに集まっていた。

『フレイザー報告書(原著)』

【註】ドナルド・ラナード……事件当時、米国務省韓国部々長。

 デモ中止の際の伝達経路についての話ではあるが、この事件における統一教会側の窓口が、文の個人秘書でもあった韓相吉(ハン・サンキル)である可能性が高いことがわかる。

(3)に続く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?