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ゆーさんの近況報告と今回の(心が負けてしまった)敗因。

この記事は多分15分ぐらいで読めます。(知らんけど。)

ふざけました。
こんばんは、ゆーさんです。

前回の投稿からどれぐらい日がたったのか…ゆーさんのnoteは不定期更新が安定化していますね。(早速矛盾してる。)

さてさて、今回のゆーさんのnoteはタイトルにもある通り、近況報告と今回の敗因についてです。何に負けたん?と気になる方や、最近(とくにここ数日)のゆーさんの動向を知ってる方は特に読んでほしい記事なので、最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。

先に言っておきましょう。
今回も走り書きです!厳密に構成を練って書いていないので読みにくいかもしれませんが、多めに見てください!すみません!

じゃあ、まず近況報告をしましょうか。
前回の投稿では、壁にぶち当たっているという物でしたが、そこから進んで7月から実際に車いすユーザーさんにインタビューにご協力いただけている状況です。

やったね!前から少しは進んでいるんじゃないかなと思います。

インタビューにご協力いただいている方たちは、私が思っている以上に温かくて、頭が上がらない思いです。インタビューとTHEに対してのアドバイスやフィードバックを求めてもしっかりと「聞かれる分には全然答えるからもっとぐいぐい来てもいいよ!」とか、「ここがよかった!」、「ここはこうしたらいいかも!」等、もっとよくするために必要なお声も頂いています。
この場を借りて、声を大にしてお伝えします。

本当にありがとうございます。

後は、とあるビジネスプランコンテストに参加していまして、そこではビジネスとして成り立たせるためにはどうしようか…と言ったことを一緒に参加しているメンバーと一緒に考えている最中です。そのためにも、インタビューが一番に取り組むべき活動だなと感じています。

そんな最中、ある問題が発生しました。

「こうかな?って考え想定していた困り事が、そこまで重大な部分じゃないかも?」問題です。

もちろん困っているという意見も頂いていますが、見えている困り事はほかにも見えているんですよね…
せっかく協力してもらうなら、自分たちにしかできないことをしたいわけです。

なのでこの問題に気づいたときには正直、「やったな…えー、色んな人に意気揚々とこんなこと考えてるんです!とか協力してもらえませんか?とか言ってきたのに…情けなすぎる…」とまあ、勝手に一人で落ち込んでました。それも今までにないぐらい落ち込んでました。それが一昨日昨日(8/14-8/15)の話です。

でも、今日お風呂に入っているときに能々よくよく考えていると「あれ、これが原因じゃない?」っていうのが見つかったのでこれからそれの話をします。

さあ、やっと本題にやってまりました「今回の(心が負けてしまった)敗因」についての話です。敗因は大きく分けて3つあるのでもう一度明記しておきます。


それぞれについて書いておくので、ぜひ読んでほしいです。読んで感想のコメントなど頂けるとありがたいです。

ビジョンが不明瞭

具体的に解決策のイメージはある。しかし、ビジョンは不確定で揺れている!「そんなことある!?」っていうぐらい初歩中の初歩の部分が抜けておりまして…

今思えばここがなかったから、自分の考えていたプロジェクトの足元が全て崩れ落ちたような感覚に陥っていたんだなと理解できます。

非常に滑稽な話です。

私がやろうとしているプロジェクト「THE」は名詞だけ抜き出せば“障がい”、“アパレル”、“日本文化”が挙がります。この中から、重要な部分を抜き出すと”障がい”の部分だと考えています。

あ、めっちゃ話飛びますけど、障がい等に関わることで最近よく耳にするのが「合理的配慮」、「インクルーシブ」、「バリアフリー」等があるんですよね。

ここから超絶個人の考え方の話になるので、あまりツッコまずに「そうなんやね」と思いながら読んでもらえるとありがたいです。

さっき挙げた「合理的配慮」、「インクルーシブ」、「バリアフリー」等の言葉、私自身「無いのが当たり前」が理想なんですよね。ちょっと待ってください。話はここからです。これらの言葉、これって実は当事者のこうしてほしいという声から生まれた言葉だと思うんです。でも、この言葉自体がおかしいと思っていて、相手を人として見れば合理的に配慮することも当たり前だし、誰もが同じ目線で楽しめるように、生きられるようにと考える事も当たり前だし、バリアなんて作る必要ないのに今できているだけでもとはないのが当たり前、みたいな感覚なんです。

今一番ゆーさんが差別してないか?という自覚もありますけれども…

それはさておき、なんだかゆーさんは「合理的配慮」、「インクルーシブ」、「バリアフリー」等の言葉に対して違和感を覚えたんです。

なんででしょうね?
今日お風呂に入っているときにふと、思い出したんです。

「自分も当事者やん」って。

なにゆってんの?って思ったかもしれませんが、少し聞いてください。

前にゆーさんのnoteでも少し書いていましたが、ゆーさんは性別が曖昧な生き物です。はっきり言うと、LGBTQIA+に含まれています。

中学の時に自分の性別に対して違和感を感じて、色々悩んだ結果、親や信頼でいる友人に少し打ち明けてみたことがあります。でも、打ち明けてよかったなとは言えない結果となりました。

その結果、「性的少数派」や「セクマイ」、「LGBTQIA+」などの言葉に対して反感を持っていた時期もあります。

これも、ある意味「合理的配慮」、「インクルーシブ」、「バリアフリー」等の言葉に対して違和感を覚えたのと同じ理由だと感じています。

あまりうまく言語化できていませんが、「必ずしも作らなくてもいい言葉でまとめて、却って困ってるかも?」という理由で

そこで、私のやりたいことを一言で言うと「バリアフリーという言葉が、もはや必要ない世界を作ること」という感じになります。(バリアフリーとかが当たり前になりすぎて、もはやわざわざ言う必要ないよねという意味でね。)

現段階ではそんな感じです。

自分の中でピンときたちょっとした気づきを今後の自分のためにもまとめておきます。

「何かこうしたい!」「こうなっていない今はおかしい!」と思ったら、そう思ったキッカケと、それと似た自分の過去に出来事にアクセスして紐づける、いわば原体験探しをする必要がありそうです。ここで自分の原体験と今起こっている事象の感覚とを紐づけておくことで、この後のビジョン化が楽になるのでは?と考えています。そうして原体験探しが終わったら、ビジョンとして言語化することでワンセットとしておきましょう。ここでいうビジョンは、ビジネスでも人生でも何でも構いません。ビジョンというと、ビジネスを始める起業の時に能く言われる物だと思いますが、何も大きすぎるものでなくていいんじゃないでしょうか。「人生を通して、丁寧な暮らしをしよう!」ぐらいでも十分にビジョンかもしれません。ちょっと簡単に「自分のやりたいことを実現するための”軸”」と捉えていてもいいかもしれませんね。

それに、ビジネスだけじゃなくて人生にもビジョンが必要だなと実感しました。特に私の通う学部では、先輩も同期も後輩も「自分はこれをやってみたい!」という想いのある人が多いです。(私の周りだけかもしれませんが。)その想いから出発したものを事業にしなくても、人生の中で「こんなことを掲げて生きたい」と考える人たちであるとも思っています。そんなときにビジョンが一つあるだけで、道に迷った時に立ち戻れたり、そもそも迷わなくなったりするはずです。

いやー、私はここが抜けていましたね。だからか、次の敗因にも書いている「これで貫き通すんや!」っていう拘りという名の皮を被った囚われが生まれるんでしょうね。

これからの教訓として、心に留めておきます。

今回の敗因の土台はこれに尽きるので、あとの二つは惰性のように書いておきます。正直読み飛ばしてもいいので、物好きな方は2と3も読んでみてください。

「読み飛ばしてもいいならなんで書くの?」と疑問に思ったそこのあなた!いい質問ですね。答えは単純です。言語化しておいておくことで、後々の自分が喜ぶかな~という浅い考えの元書きます。それだけです。

(ゆーさんのこういうところは本当に自分勝手な奴というイメージに沿っているのでは?)

拘りではなく囚われ

自分が考えているし進め始めている「THE」というプロジェクトは、大学の授業の中で生まれて、色々とほめてもらったりとか、アドバイスをもらって進んできました。

でも、よく考えてください。今簡単に書いた略歴を見ても、当事者が一度も登場していないんですよね。

これは重大な問題です。

もし自分が当事者であるLGBTQIA+のことを、私達抜きに誰かが考えて、あんまり嬉しい提案をされなかった時に「えー。なんかなー。」って思うかもしれないのと同じように、車いすユーザーさんに対して何かを提案したいなら、まずご本人たちに向き合うべきです。なのに、内側に入らず外側だけで決めて「こんなのどうですか?」と生き生きとした大学生が来たら、そりゃあ断りづらいでしょうよ。

今思うと、これも滑稽な話です。

正直な話、「大学生が活気のあることをやっている。でも、本格的だ。」と思われたいです。

そのためには、今まで考えてきたことをいったん脇において、自分の肚を見つめなおして、もっといろんな人と肚を割って話す必要があります。

そのためにも、THEという形に囚われるのではなく、一度解放されることも大事だと思えました。

まあ、結局THEという形に戻ってきて、今の形よりも良いものにしていそうな気もしますが。

(ひとまず、今後のゆーさんに期待しておきましょう。)

泥臭さがなくて綺麗すぎる

「キレイゴトでビジネスをするのも大事」という言葉を大学で少し聞いた覚えがありますが、確かではありません。でも、なにかをするときにある程度のキレイゴトは抜かしておいた方がいいかなと思っています。

ところが、今までのゆーさんは”キレイゴト”ではなくて、考えているモノの”綺麗な部分”だけを話していたようなもんです。

キレイゴトと綺麗なことは似ているようで全くの別物という事です。

何が言いたいんでしょうね。

正直生煮えです。これについてはもっと考えてまた記事にしたいですね。


さてさて、こんな夜に投稿したものを早速開いて、それに最後まで読んでいただいたそこのあなた!本当にありがとうございます。

個人的には腑に落ちて次に進めそうなので、いい機会でした。

これを読んでいて、且つ私の近況を知っているあなたは「この数日間そんなこと考えてたのね」と少し状況がわかったでしょう。何かあるとすぐに荒れるのもゆーさんの悪い部分です。お騒がせしてすみません。

そして興味本位で読んでいただいたそこのあなたは、こんなよくわからない大学生、ゆーさんのだらだらとした記事を最後まで読んでいただいてありがとう。いや、本当にありがとうございます。

私自身、応援が無くても勝手に進むようなタイプですが、やっぱり応援があると俄然やる気になっちゃうので、もしよければ(これからも)応援よろしくお願いします。

とこんな感じで、今回はまとめをせずに以上とします。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。「なんかこの人、気になるな」とか「なんかおもろそうやん」と思ってもらえたらスキやフォローよろしくお願いします。

それでは~

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