創作活動の「多角的分解」インプット

※本記事は創作・同人活動における質問相談サイトcremuの削除されたトピックに回答したコメントを「また読みたい」という要望を受けて、投稿者本人が再編集して記事化したものです。

該当トピック:https://cremu.jp/topics/18051
(削除済み)

「インプットの幅を広げようと色んな漫画や映画を見たけど、面白いと感想を抱くだけで何も身についていないように感じるため、インプットの仕方を教えて欲しい」という主旨のトピックでした。
以下、該当トピックに投稿したコメント(追記あり)です。

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インプットする時に大切なのは、様々な見方をすることです。
ただ見て眺めて「すげーおもしれー」だけでは、料理を舌で舐めて味わっただけに過ぎません。
ちゃんと噛み砕いて消化して栄養として吸収させるには、「分解」することと「多角的」であることが必要です。
また「何故」と疑問に持ち考えることも大切です。

実際、食べ物を消化して吸収する際は、デンプンだけでなくタンパク質や油分に至るまで多角的に分解していますよね。
また、何故その栄養が必要なのかを考えたら、バランスの良い食事に繋がりますよね。
言ってしまえば、それと同じです。
 
 
■分解
某錬金術師の言葉を借りるなら「理解・分解・再構築」です。
その作品を理解し、構成する要素にまで分解する。
そして、自分ならその要素でどう組み上げるか再構成してみる。

完璧な再現である必要はありません。
それだと贋作や盗作と大差なくなってしまいます。

例えば、世の中の創作作品のほとんどは「ボーイミーツガール」だとされています。
この「主人公の少年が、少女に出会って突然恋に落ち、そこから関係が育っていく」という種を、どう育てるかというのが物語構成の肝でもあるわけです。
物語はしばしば幹や枝といった樹木に比喩されますが、その樹木が育つ要素として色々なものを加えてアレンジしたのが、世の中の創作作品です。
このアレンジや味付けにどういった手法があるのかを学んだり閃いたりするのが、物語作りでは重要です。
種がコンセプトであり、木を成長させる作用としてアイディアやテクニックがあるわけです。

絵一枚にしても、名画やプロの絵にはコンセプトがあり、アイディアやテクニックがあります。
そういったものを読み取ろうとすること、理解しようとすること、そして分解してみること。
その上で、自分だったら同じように描けただろうか、もし描けないならどこが足りないのかを見つめて鍛える。
模写が絵の練習として良いとされているのは、その理解・分解の工程があるからです。
(ただし、何も考えない模写に意味はないです)

また、もし同じコンセプト、アイディアで自分が描くとしたら、どう描いただろうかと再構成してみる。
絵そのものには著作権はありますが、アイディアに著作権がないのはこの再構成が許されているからです。
そのままトレースしたら当然トレパクになりますが、アイディアの種を自分ならどう育てるかを考えて使うことは許されているわけです。

これをネタパクという人も当然いますが、それが法律と個人が抱く感情の差でもあります。
「似てる!パクリだ!盗用だ!」と騒ぐ前に、それが法的に問題あることなのか、ただ感情的に指摘したいだけなのかを冷静に見極める必要があります。
 アニメを盗用した10本の映画
 https://youtu.be/iB_3UjOg7DA

 「イカゲーム」はパクリ!? 過剰なパクリ認定をする日本人が失ったもの
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9f8f95ff0804a2a98b05e37afca0380fb275504

ネットの記事で「パクリ」「盗用」と指摘されるものの大半は法律上は問題ないものばかりです。
それは「アイディアに著作権はない」という著作権の理念を理解していない人が多いからです。
似た「要素」があるだけで「パクリだ!」と騒ぐ人は注意すべき点です。
「アイディアは既存の要素の新しい組み合わせ」に過ぎないのです。

話が脱線しましたが、映画にしろイラストにしろ鑑賞する際には
それを構成する要素にまで分解する見方がインプットの助けになるという話です。
 
 
■多角的
視点・観点と着眼点の違いから。
視点とは、物を見る時に角度を変えて見ることです。
着眼点とは、その角度から見た時に注目する場所です。

とある商業漫画が商業的に成功したかどうかを考えたとします。
「コミックの売上が良いから商業的に成功した!」
しかし、その作品は芸術的にどういった評価を受けているかを考えるとします。
「この漫画は売上すごいけど文化庁メディア芸術祭にノミネートもされなかった」
「逆にこちらの漫画は、売上はそんなにすごくないけど、文化庁メディア芸術祭で受賞した作品」

こういった、物事を考えるときの前提条件を変えることが「視点・観点」です。
多角的に物事を見ようと言われた時に、よく「面」と表現されます。
「漫画には娯楽性だけでなく、芸術性という面がある」などです。
物事を一面だけで捉えず、なるべく多面的に見ること、
そのために視点・観点を変えながら色んな面をみることが多角的に見るということです。

論評や考察で話がとっ散らかる人は、この視点・観点を複数から見ているにも関わらず、その整理をせずに話を展開する傾向があります。
そのため、書いている本人にとっては話が繋がっていることでも、読む側からすると話の筋が繋がっていないように感じたりもします。

では着眼点とは何か。
とある商業漫画が商業的に成功したかどうかを考えたとします。
「コミックの売上が良いから商業的に成功した!」
しかし、コミックの売上には、本誌を読まない単行本派も含まれます。
ジャンプなどでは、本誌で連載を長く勝ち取るには、本誌での人気が必要不可欠です。
「アンケ―ト順位、ジャンプなら連載順から人気を推察してみよう!」
これが着眼点の違いです。

先程「面」の話をしました。
その面の中で普通の人なら注目しないようなことや見落としてしまうことに注目するから
「着眼点が良い」と言われるわけです。

「鋭い観点」とか「多角的な着眼点」みたいな言葉を訂正したいわけではないですが
物事の見方として「視点・観点」「着眼点」の違いを知るだけでも、物の見方が変わってくるかと思います。
 多角的な視点とは|多角的に考える力を養う22個の習慣
 https://www.missiondrivenbrand.jp/entry/thinking_pointofview

 
 
■何故
物事には何かしらの理由がある。
その「何故」を考えることこそ、物の見方をより深くしてくれます。
それは「何故」こそ物事を考えるキッカケになるからです。

IT業界には「車輪の再発明」という言葉があります。
「何故、車輪は円なのか。円形でなくても良いのではないか。」
正三角形や正方形の車輪があったとしたら、それを転がすのは大変です。
しかしもし、規則的な曲線の床であれば、そういった車輪でもキレイに転がすことが出来ます。
 四角い車輪,三角の車輪
 https://note.com/sgk2005/n/nf20105268a5a

また、円形でなくとも平坦な道をスムーズに転がる「ルーローの三角形」という車輪もあります。
 ルーローの三角形 – 自転車やマンホールに使われている不思議な三角形
 https://analytics-notty.tech/ruulows-triangle/

「何故、車輪は円なのか。」によって、円以外の車輪もあることを知ったり考えることが出来ます。

本来「車輪の再発明」というのは、既に誰かが考えた理論やメソッドをゼロから考え直すのは労力や時間の無駄だという意味で使われます。
言ってしまえば「先人に学べ」です。
しかし、結論だけ知っても、その中身が分からなければブラックボックスと同じです。
その結論に至った経緯や原因もセットで知らないと意味がありません。
理解するためには「何故」を考えることは大事なのです。
何故を考えることによって、悪い意味での「車輪の再発明」を防ぐことにも繋がります。

よく作者の意図を考える考察などがあります。
作者としては「そこまで考えていない」場合もありますが「考えていなくても感覚的・経験的に分かってやっていること」というのもあります。
感覚的に写真を撮るのが上手い人の写真が「黄金比」になっている、などです。
だからこそ、この「何故」の探求は物事に深みを得るキッカケに繋がるわけです。
 
 
■オススメ
基本的には、「見方」を培いつつ「たくさん見る」のがオススメです。

・美術展
有名イラストレーターでも良いですが、個人的には名画、特に近代画家の作品鑑賞を推します。
とにかく、ネットサーフィンでも良いですし、色んな絵を見ることです。
私個人の話をするなら、「田中一村」の作品にはかなりの衝撃と影響を受けました。
日本の水墨画と、西洋の油絵の和洋折衷がその原点の画家です。
 千葉市美術館「田中一村展 ― 千葉市美術館収蔵全作品」
 https://youtu.be/5ZEgBhgfgjM

・散策
単なる散歩でも良いです。
街ゆく親子、待ち合わせをしているカップル、買い物をするおばあちゃん、裏道の野良猫、電車の吊り広告。
日常に潜んでいるものをよく観察しながら歩くのが肝です。
その人一人一人に人生があり、今までどうやって生きてきたのかを考えながら人間観察をするのも奥深いです。
キャラクターの造影をより深くするには「自分以外の人生」をよく考え学ぶことが大事だからです。
特に見るものがない場所でも、ぼーっと考えながら歩くだけで自分の考えやネタの整理にも繋がります。
あと歩くのは健康にも良いです、ただ見たり考え過ぎて事故には合わないように…。

・考察ブログ
作品を見て「おもしれー」で終わってしまう。
そんな時に、鋭い見方で考察している人の考えを教えてもらうことで、見方を変えることが出来ます。
Youtubeにしろブログにしろ、色んな作品の色んな考察をアップしている人がいます。
そういった考察を見て学ぶことで、物の見方を増やすことが出来ます。
 高畑勲が宮崎駿に送った強烈なメッセージ。
 【平成狸合戦ぽんぽこ】【岡田斗司夫/切り抜き】
 https://youtu.be/iMc4oFxWJks

・「無知の知」
哲学者ソクラテスの「知らないことを知っている」です。
人間は基本的に、既に知っていることにしか興味を持ちません。
プレゼンの基本でもありますが、語り始めは誰でも知っていることから話し始めます。
その次で、あっと驚くような知らないことを言って、一気に惹きつけます。
「知りたいですよね?」と聞かれ、観客は「知らないということを知る」わけです。

人は「知っている」ことにしか興味を持たない。
人は「知らない」ことには興味を持たない。
そのため「知らない」ということを「知っている」、つまり「知らない」と自覚した時に初めて「知らない」ことにも興味を持てる。
この「無知の知」は自分の興味を広げようとする時に大切な考え方です。

「もっと本を読んで知見を広げよう」としても、ついつい手に取る本が偏ることは多いはずです。
それは「知っている」ことにしか興味が向かないため、「知っている」ジャンルや分野の本ばかりに目が行くからです。
パッと目に入った時に「知らない」「興味ない」と感じた本こそ、新しい世界の扉です。
「無知の知」を知っていれば、「知らない」「興味ない」ものこそ「知りたい」「知らないから興味ある」という好奇心や知的欲求が出てきます。

まずは「知らない」ということを知るために、浅く広く知見を広げてみることです。
すると「知らない」世界を知ることになり、そこが「知らない」ことこそ「知りたくなる」興味のスタート地点となります。

私が「無知の知」を知るきっかけになった作品です。
興味がある方は読んでみて下さい。

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