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「色のふしぎ」と不思議な社会[川端裕人 著] その1 勝手な洞察編

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 神楽坂らせんさんの本に対するアンテナは広範で、かつ鋭いセレクト&レビューで本との出会いを促してくれます。本書もそんな一冊です。ビビッと来ました。

 内容は、らせんさんのレビューにとても良くまとまっています。そもそも私はレビュアー向きではありません、どちらかと言うと白地図屋です。レビューはらせんさんに任せて(勝手w)思うところの外堀を描いていこうと思います。

 また、本書は自分の血肉とするために読んだ側面があります。最近の私は読書のスピードが極端に落ちています。本を読む時に、関連する項目を引くために別の本を出してくる、PCやタブレットを出してくる。本を中心に扇状に興味が広がっていって、読み漁り、メモを取り、回り道しながら本に戻る。ものすごく非効率的な読み方です。「自分の意識の中に枝を張って、かつ出来るだけ位置を定めない」これを実現するためにこんな読み方が習慣になってしまいました。

 本書は、そんな読み方にピッタリとはまります。まず、本書は平易な言葉で書かれた論文です。それは注の多さからも伺えます。そして、巻末に記された「リンクを張る」行為の射程は、書かれている内容に留まらないことは自明です。そこには大きな祈りが込められています。著者自らの色覚異常という経験に端を発して、大小様々な共鳴箱が共振し、うねりとなっていく中、できるだけ高い場所に登って鐘を打つ。力の限り打つ姿が見えてきます。アンプで増幅されたサイレンではダメなのです。危機を実感する者が、祈りを込めて打つ警鐘です。わたしも、小さな火の見櫓の上に立って、半鐘を叩きたい気持ちで一杯になります。

 著者と私は同世代と言って差し支えない年齢差です。危機感は同種のものと(勝手に)推察します。これが10歳上でも、下でも違う世界が見えているのかもしれません。

 成人病が生活習慣病と改められた瞬間を我々は知っています。新自由主義の台頭と、自己責任論。本書の中の「医師が口にする自己責任」は背筋が凍るものがあります。

 これは私事ですが、私の妻は未就学児童を対象とした障害者支援を業としています。友人の子供は後天的な障害を得ることとなり、裁判をしながら(サポートが受けられる地域に)転居を繰り返さざるを得ない状況にあります。血縁には遺伝性の精神疾患を持つものがおり、これまで、そしてこれからもパーキンソン、レピー小体、アルツハイマーといった「脳」を意識せざるを得ない高齢者と歩むことになります。そして、社会の仕組みが全く追いついていないことを、実感する日々です。

 近年では、大人の○○といった「病名を付与する」行為が一般的になってきています。それに対する社会の動きの緩慢さ(不寛容さ)も見えてきています。加えて、スローガンとしての「SDGs」です。大きな器の準備はまだできていません。おそらく、様々な固有振動数を持った共鳴箱がバラバラに、そして共振という力を得ながら不協和音を奏でます。

 著者は西浦博さんの「新型コロナからいのちを守れ!」の共著もされていました。コロナ禍は、日本という国の共鳴現象の発生の仕方を一瞬にして暴いたと見ることができます。

 著者がリンクを張ったその先にある祈りは、日本という国が「多様性」や「平等」を仕組みとして取り入れる際に、かなりのマイナスポイントからスタートせざるを得ないという危機感に向けられているように思えます。

 日本人は差別について自覚的ではない。これは大きな危機感です。「私は、人種差別と黒人が大嫌いです」という白人の趣味の悪いジョークをSNSで知りました。これは自分に差別意識があることを自覚しているからこそ、ジョークとして成立しています。日本人は多様性を社会に落とし込む前に、自分の中の差別意識と正面から向き合わなければならない。それには時間が必要なはずです。一方で「インクルーシブ教育」などの「理想」が諸手を挙げて進められています。

 めちゃくちゃです。

 実感として、きれいな形のパズルピースを、納まりようのない箱に無理やり詰め込んでいる。それが現在です。制度設計はおそらく最初から歪みます。その不健全さに気付くのに数十年かかる。気付いたときには箱の歪みが新たな矛盾を生む。私の予見は悲観的すぎるでしょうか。

 著者は自らの経験の延長として鐘を鳴らしました。延長だから鳴らせる鐘です。あとがきに「領空侵犯」と書かれているのも、自身のことだからです。今後、療育(教育)の現場、社会保障の現場、介護の現場、終末医療の現場、様々な実感に基づいた領空侵犯と警鐘が鳴らされることでしょう。

 時は走っています。私達にできるのは、可能であれば鐘を鳴らすこと。そして耳を澄ませ、誰かの鐘の音を聞き逃さずに拾うことです。そして響かせる際には「Evidence-based Medicine」の拡大として、「Evidence-based Option」の視座を持ち続けることだと思います。

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