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【あやなのサウナ比較文化学】執筆への思い

昨日に引き続き、こんにちは! 祝・脱一日坊主!!

さて昨日は、「サウナ」をめぐって、ここ2年のわたしの人生にどんな劇的な変化が起きたのかについて書きました。そして、あらためてnoteを再開させてこれから書き綴っていきたいテーマがある、と予告したところでいったん筆を置いて公開しました。

タイトルにあるので、もったいぶることでもないからさっそく報告しますが、この度シリーズとして定期的に書いてゆきたいなと思っているのは、

【あやなのサウナ比較文化学】というテーマなんです。

いまから少しずつ、その真意をお話していきますね。

サウナ × 比較文化学 = ??

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最初の著書公衆サウナの国フィンランドでは、フィンランドという国のサウナ文化(とりわけ、人々がお金を払って見知らぬ客同士でサウナ浴を楽しむ公衆浴場文化)に焦点を絞って、その衰退と再興の歴史背景や、そこに絡む人々の価値観や精神性までを、洗いざらい書きまとめました。元になった論文が、文学部の芸術教育学という、ある文化的な現象の起きた理由や意義を、さまざまなアプローチで調査・考察する研究ゼミに提出したものだったので、自然とそういう内容になったと言えます。

だから、出版後に「これはフィンランド・サウナの文化人類学みたいな本ですね。」という感想をいただくことが少なくありませんでした。自分から特に銘打っているわけではないにせよ、この本から自然と「文化人類学」の世界観?を嗅ぎ取っていただけたのはとても嬉しかったです。

ところで、「発酵デザイナー」という唯一無二の肩書をもつ、研究者であり発酵文化の伝道師である小倉ヒラクさんが著した『発酵文化人類学』という本をいま読み進めています。ここにも「文化人類学」という言葉が入っていますが、彼はそもそも筋金入りの元文化人類学専攻の学者さんです!

発酵という何気ない日常文化をすこし大局的に捉え直すことで、それぞれのユニークな発酵食が生まれた風土や社会の特色を浮き彫りにし、発酵食に対しても社会に対してもいっそうの愛おしさを喚起してくれる…そんな素敵な本であり、まさにうらやましいくらい理想的なご研究、そして誰もに親しみ深く響く文章力です。

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いっぽうわたしはすでに大学院は卒業し、現役研究者の道は離脱しました(だからいま、あえて「研究者」ではなく、ちょっとナンチャッテ感の出る「研究家」と自称しています)。ですが心意気としては、今後もサウナとその文化を育んだ社会風土そのものとの相関性を、自分自身ももっとよく知って、新たな発見や思うところがあればきちんと言語化し、その奥深さ、愛おしさを皆さんと共有してゆきたい…といまでも強く思っています。

そのスタンス自体はまさに「発酵文化人類学」のサウナ版だ、と言えなくもないと思いますが、なにぶんわたしは「文化人類学」という学問ジャンルをきちんと学んだことがないので、「サウナ文化人類学」を名乗るのはさすがに抵抗があります(笑)けれど自分の大学時代には、芸術教育学の一環として、文化人類学とも親戚ジャンルである「比較文化学」…つまりある同一テーマについて、異なる国やコミュニティでどのようにその現象に変化が見られるか、その同一性や相違点の分かれ目はどこにあるのか…ということを、横断的に比較検証する学術ジャンルには長く関わってきました。

だから、わたしはわたしらしく、今後は「サウナ比較文化学」というフィールドを構築していきたいなあと思うのです。

水風呂もウィスキング文化も薄いフィンランドは、それでもサウナの聖地ですか?

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ご存知のように、わたしの暮らすフィンランドは、日本でも「サウナの本場、聖地」として、近年サウナ愛好家の皆さんにとても注目していただいています。そのイメージが先行し、よく「サウナ発祥の国」とまで書かれることがあるのですが、これはさすがに毎度わたしも止めに入ります。

確かに、「サウナ(Sauna)」というのはフィンランド語です。でもだからといって、行為としてのサウナ(閉鎖空間で石を積み上げたストーブをあたため、そこに水をかけて出てくる蒸気を浴びる入浴法)がフィンランドから生まれたかと言えば、決してそんなことはありません、だって、呼び名が違うだけで、同様の入浴文化は、北ユーラシア大陸の各地に存在していますから。そもそも、正しくは「発祥なんて誰にもわからない」のです。あまりに昔過ぎて。

たとえばロシアではバーニャ(Баня)という名で、スウェーデンではバストゥ(Bastu)という名で、エストニアではサウン(Saun)という名で、リトアニアではピルティス(Pirtis)という名で、呼び方こそ違えど表象的にはほとんど同様の入浴文化が、先史時代から受け継がれてきました(まだまだ独自の呼び方を持つ国は他にもあります)。それなのに、たまたま「サウナ」というフィンランド語が先駆けて世界に流布してしまったというだけで、この入浴法の発祥までもをフィンランドが独り占めしてしまっては、他国がだまっちゃいませんよ(笑)

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それに、例えば日本では、「水風呂」「サウナハット」「アウフグース」「ウィスキング(白樺などの葉を束ねたもので身体を刺激する施術)」といった、サウナタイムに欠かせない要素がいくつかあります。ですが実は、これらのいずれも、フィンランドのサウナ文化には本来見当たらないものばかりなんです。もちろん水風呂の代わりに自然の湖や海に飛び込むことはあるし(それでもマストではない)、ウィスキングは白樺の芽吹くシーズンに自分で葉束を作って利用する人はいます(ただしセルフケアが基本で、プロがゲストに施すという文化やテクニックはない)。アウフグースはドイツ発祥のパフォーマンスで、フィンランドのサウナでタオルを振り回している人にはこれまで一度も出会ったことがありません。

あるいは「サウナは熱いほど好み」という人も多いはずですが、フィンランドのサウナ室内の温度はせいぜい60-80度。もちろんロウリュによって体感温度を適宜コントロールしますが、熱々のサウナはフィンランド人の好みではなく、だからサウナハットをかぶる必要すらないのです。

ところが、わたしがフィンランドのサウナ文化を日本に向けて発信し始めたころ、多くのサウナ愛好家たちがてっきり本場フィンランドのサウナもそういうものだろうと思い込んでいて、その前提であれこれ詳しい実情を聞いてくるので、驚かされました。とはいえそれらの特色が完全に日本独自のものというわけでもなく、例えばウィスキングならロシアやリトアニアのサウナ文化に今でも色濃く残っているし、平均温度の高さで言えば、ダントツにロシアのサウナが高かったりします。

わたしの専門である「公衆サウナ」に関して言えば、ロシアの都市にはいまでもフィンランド以上に公衆浴場としてのバーニャがたくさん残っていますが、リトアニアやラトビアなどバルト諸国では、かつてそれなりの数あったはずの公衆浴場がほとんど消失してしまっています。

こういう国(民族)ごとの温度の趣向、付随サービス、公衆浴場の残り方の違いは、いったいどこから来るのでしょうか? 今後は、フィンランドのサウナ文化だけを見つめるのではなく、そのような国をまたいだサウナ文化の特色の違いの不思議と面白さをもっと解き明かしてゆきたい…というのが、現在のわたしの関心の拠り所であり、「サウナ比較文化学」を掲げる理由です。

もっとサウナを知るためには、もっともっと旅が必要だ。

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サウナという空間や、サウナ浴という行為のルーツや歴史的な変化を知るために、まずは先人が書き記した文献が大きな手がかりとなるのは間違いありません。その一方で、入浴というのはそもそもその土地の自然の要素や気候風土、ときには土着信仰にも密接に関わる現象です。だからやっぱり、いくらインターネット越しに世界のあらゆる状況にアクセスできる時代になったとしても、自分自身にしか備わらない感覚や感性を信じて、まずその場所に実際に行ってみることが不可欠だと思っています。

現場にしか残されていない痕跡を検証するとともに、そこに存在するありのままの雰囲気を自分の肌で感じたり、実際に入浴させてもらったり、その当事者たちと交流して何気ない言葉を引き出したり…あらゆる試みから得られたいろんな発見を、パズルのピースを結合していくように寄せ集めて、そこからどんなイメージが浮き上がってくるのか、考えや想像力をめぐらす…。それこそが、定量研究の対極にある文化学研究の不変の手法です。

そうすれば、たかがサウナといえども、時代ごとの社会背景、人々の生活様式や価値観とみごとに表裏一体・因果関係にあることが、少しずつ実感を伴いながらわかってくるんです。わたし自身、サウナそれ自体を愛していることは言うまでもないですが、実はそれ以上に、サウナ文化についてもっと深く知るための諸活動を通して、もう直には触れ合えない過去の人々や社会の言動や思いが、少しずつ瞼の奥に像を結び始めるのが楽しくてしょうがないのです。

だからこそ、もっと知見を得るためには、もっともっと旅をしなければならない。それが、幸運にも国外移動が容易な国に暮らし、かつコーディネーター職で培った他文化の人々とのコミュニケーション力や、各国のサウナエキスパートとのコネクションを人一倍もっている自分の使命だと感じています。

まずは近隣国から、文化のグラデーションを感じてゆこう

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さて、実はすでにこれまで、少しずつ他国のサウナ文化、あるいは独自の入浴文化のフィールドワークの旅には乗り出しています。

充実の社会制度によって安心安全な生活基盤が保障されている反面、どうしても単調で娯楽の少ないフィンランド暮らし。そのカウンターバランスとして、1年に2-3度は数週間単位で仕事を休み、異国をじっくり一人旅する習慣が、もともと移住以来ありました。ですが近年はもっぱら「ユニークな入浴文化を持つ国」という観点で行き先を選んだり、あるいは上述した現地専門家やメディアとのセッションを目的に渡航をするのが定番化しています。

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ここ最近で言えば、ジョージア、カザフスタン、キルギス、モロッコ…といったややマイナーな国々にも「入浴」をキーワードに訪問し、現地のエキスパートたちを訪ねてきました。ですが、とりわけここ1,2年のあいだに繰り返し足を運ぶようになったのは、ロシアやバルト三国、北欧諸国など、むしろフィンランドの「近隣国」たちです。位置的に近い国とは、民族や言語のルーツも近しいし、必ず歴史上の接点や相互影響が認められるため、似ている部分と異なる部分が独特のグラデーションを形成しています。

いま現在は、コロナの影響でフィンランドの両隣の国にはまだ立ち入ることができないのですが、例えばバルト諸国には自己検疫なしに自由に出入国ができるため、つい先日はリトアニアのフィールドワークに出向きました。実はこのリトアニア旅の収穫があまりに大きく、感化されるところが大きかったのが、今回「この貴重な知見をちゃんと書きとめて、知財を共有しなければ」と強く思い立った直接のきっかけです。

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なので、自分の中での時系列とは錯誤してしまいますが、【あやなのサウナ比較文化学】シリーズの初回はまず、直近のリトアニアン・サウナ(Pirtis)旅で得た見識や体験、そこで感じ考えたことを、何度かに分けてレポートしていきたいと思います。

リトアニアはなんといっても、ウィスキングやサウナマッサージなどの「他者への施し」が重要な意味を持つ国。プロのサウナ師を養成するためのアカデミーまでもが存在するのです。いったいなんのためにサウナを焚き、そこでどんなサービスを通じて人と人が触れ合うのか…かなりディープな報告ができると思うので、どうぞお楽しみに!

【重要な本音】 記事は無料公開しますが、もちろんいつかは本にまとめたい!!

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そうそう、知財の共有を目的にするからには、記事はもちろんすべて無料で公開します。けれど、これから少しずつ書いていく内容は確実にこれまで日本語で読むことのできなかったニッチだけれど貴重な記録と考察の数々だという自負は強くあります。だから、いつかはこれらの内容もうまく編纂して一冊の書籍にまとめたい!…その思いは当然あります。

なので、そのためにもまずは多くの人にこのシリーズ記事を読んでいただき、興味を持つ人や価値を共有していただける人の数を増やしていきたいと思っています。頼みの綱のサウナ好きの皆さん、あまりこうした知識メインのサウナ学は興味ないよ…という人もいるかもしれませんが、まあそういわず、ぜひ今あなたがハマっているサウナの世界的なルーツと現状にもちょっとだけ思いを馳せて、悠久のロマンと愛を感じながら、よりいっそうサウナライフを豊かにしてみてください!

そう、自粛ムードで思うようにサウナに足を運べなくとも、「知でととのう」ことはいつでもどこでも十分可能です!!

また、もしご興味のある業界関係者の方、あるいはどなたか興味を持ってくれそうな編集者さんを紹介できますよという方は、いつでも、下記まで連絡くださいね!!!

こばやしあやな ayana (at) suomi-no-okan.com




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