舞踏ってなんだろう2018.11

クリチバで踊りの知り合いが増えてきた。それにつれて、「WOW!BUTOH!AMZING!」と言われる機会も増えてきている。確かにアメージングだと思う。舞踏。でも何が?どう?っていうか舞踏って何?と言われると、迷う。そこで、私なりに舞踏について考えてみた。後でポルトガル語に翻訳しよ(ガンバ私)

【からだにいかに映すか】
稽古を振り返ったり、稽古メモを見返したりしてみた。そこで感じたことは、いかにからだを環境に正直に反射させるか、というのが稽古の目的である気がした。考えてと、思いだして、とかではなくて、マジでカミソリの上を歩く。そうすると足運びから腕や頭の位置、胴体の形まで影響してくる。泥の中を進む、風をきって走る、落ちる、そういった全ての感覚(想像ではなく)を反射する、からだ。

【態度としての舞踏】
先生に言われてとても面白いと感じたのが、土方さんがバレエを観て「あれは舞踏だ」と言った話。つまり、上記のからだをもってすれば、本当に知覚しているからだがあれば、どのようなジャンルの踊りでも舞踏でありえるということ。このことからつまり、舞踏は態度なのかもしれない。白塗りにふんどしでなくても。

【生活と舞踏の距離】
私がむちゃくちゃ舞踏おもしろいなと思うのは、生活と踊りが限りなく近いからだ。あの白塗りのヘンテコな動きのどこが生活やねん、と思うかもしれないが、生活の全ての感覚が舞踏になると思う。枯葉を握りつぶす感じ、虫が足を上って来る感じ、ずぶ濡れの服で歩くときの気持ち悪さ、水がしたたる感覚、針で指をさすチクっとした繊細な痛み、、、etc。私が特に好きなのは、キモチノイイ感覚だけではなく、気持ち悪い感覚も使うところ。虫喰いとかね。からだが虫に喰われていくやつ。私が舞踏の他に好きなベリーダンスは、キモチイイことだけする。もちろん全然否定してない。ベリーダンスで感じるエクスタシーやからだを持って生まれた歓びも限りなく愛してる。水を浴びる感じ、雲の上を歩く、したたるはちみつ、花開くつぼみ、とかね。でも考えてみれば、このからだをもって生まれた意味は多分、感じること。感情も感覚も。プラスもマイナスも、良いも悪いも。ってことは舞踏って人生じゃん。

ここまで書いて着地点がまだ見つからないので、とりあえず現時点での備忘録ということで。

私がお世話になっている先生方のWSは、こちらです。毎週木曜日夜、中野。
https://www.dancemedium.net/Workshop.html

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