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東京残香_II.麻布台

COMME de GARCONS eau de parfum

その街に固有で、他の街にはない雰囲気。その独特の匂いが失われていく。止まらない東京均質化は複雑な人間の感覚を無いものとする。コストという尺度で繰り広げられる、貧しくもない、豊かでもない、無味無臭の物欲文化は不可逆的に進んでいる。「東京残香」は消えていくその街の香り描き残す試み。

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麻布台は、迷い込むところ。目的があって行くことはないのだが、高台と窪地の空気の境が強く感じられ、度々引き寄せられる。

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その日、何かの当てがあってそこへ向かったわけではない。運動不足を解消しよという程度で、最寄ではない駅から電車に乗るのも悪くないと思い、あまり深く考えることもなく歩いていた。どの駅から乗るかなど、考える力も残っていなかった。昨晩は事務所で一夜を明かした。電子納品にはどうにか間に合ったが、大量のデータの送信完了を見届けたのはすでに明け方になってからの事だった。
外苑東通りを東へ向かう。見え隠れする東京タワーを見下ろし、見失い、また見上げる。日曜の朝、車も人も通らない。
かつて、若かった頃、飯倉にある内装デザイン事務所に勤めていた。この外苑東通りを毎日歩いていたはずだ。しかし、今歩くここはまるで初めて通る別の街の道のようだ。何もかもかつてとは違っている。懐かしさを覚えない。しかし、何が変わったのだろうか。標識は外苑東通りのままだ。私は齢を重ねた。あの頃、この道を通っていた頃には思いもよらなかったことだが、年齢とともに上がるものだと皆が信じて疑わなかった報酬は、あの頃とは逆に仕事の依頼とともに減っている。今後も上がるとは思えない。一方、何故なのか労働量は減ることなく増え続けている。事務所に泊まるのにも、もう慣れてしまった。


高速道路の高架下は終日陽に照らされない影を落とす。その影を見ていると闇に吸い込まれるようだ。信号が変わると足早に横断歩道を渡りきる。大通りを塞ぐように警備車両と機動隊が並ぶ。そんな光景の中から離れてしまいたかった。大通りの脇道には先を見通すことができない急な下り坂が幾筋もある。そのうちの一つの急な下り坂に吸い込まれるように、落ちるように、足が向かった。坂を下ると、空気の水蒸気が重たく感じられる。狭い空間に隙間なく並ぶ小さなビルやアパート。道は細く、先は袋小路になるのかもしれない。小さなビルのガラスのエントランス、光の当たらないその表面は鏡のように周囲を映し込んでいる。映った自分のくたびれた姿から目を反らした。外壁の裾を侵食する苔。建物が接するのは崖を覆う常に濡れたコンクリート壁。落ちた井戸の底から空を見上げると、このような光景なのだろうか。

この辺りはおそらく住民でもなければ人が立ち入ることもない場所だろう。しかし路地に入り込んだ私のような余所者を警戒する気配はないようだ。取り壊しなのか、建築中なのか、工事中の狭小地には遠くを見つめたままの警備員が資材の一角に立っている。


ここには星が燃え尽きた後のエネルギーが漂っている。
私をこの窪地に吸いんだのは、今はもう存在しない、消えてしまったかつての土地のエネルギーや喧噪の残滓だ。重くこの窪地の底を漂う何かに、私は興味半分で惹きつけられたのかもしれない。
勘のまま目的なく入り込んだ路地だったが、その同じ勘が、今は長くこの地に留まらない方がいいと感じた。ここは、いくつもの地下鉄の駅に囲まれた都心の一角だ。どの方向に歩いても10分程度で地下鉄の駅に着くはず。しかし今、この短い坂を上って駅までがとても遠い道のりである気がしている。すぐそこであるはずの麻布十番が、はるか遠くにある様に感じられ、なかなか駅の方角に足が向かない。何かが私をこの地に引きずり込んで、出るのを妨げている。

それはかつて、冷戦と呼ばれた闇の匂いを背負いながら、この地に沸き立った人々の陰陽のエネルギーだろうか。恐るべき勢いで流れたエネルギーを金と呼んでもいいのかもしれない。喜びも涙も、愛憎や計略、怒りも笑いも、すべてがここに流れ渦巻いた。東京が東京たりえた日々。欠けていく月も、満ちていく月も東京タワーの光の後ろにあった。そのすべてが、もうない。その記憶を遺していた人々も消えた。私はその消滅を感じているのだ。

身体が冷えていく。この窪地に何か用があるわけでもない。もういい加減に大通りへ戻ろう。そうしようとしているはずなのに、直線ではない細い路地は奥へ奥へと足を導く。
突如、私の前に大男が現れた。狭い道幅を埋め、壁のように立ちはだかっている。誰でもが通る道ではない。住人に違いない。思わず、顔を見た。巻き毛の銀髪に眉毛に埋もれた淡いブルーの瞳は十分私を驚かせたが、余所者である私の方が今ここでは彼を脅かしたであろう不審者なのだ。
すれ違うために体を避け、思わず「すみません」と口から出た。
すれ違いざま笑い声が聞こえた気がして、背中に冷たいものが走った。一刻も早く麻布十番の駅に向かうことだけを考え足早に先へ進む。ところが、道を折れ光景が改められると、繰り返し再生されたかのように、先程見たのとまったく同じ建物と路地が現れた。
「嘘だろ。」
私は方向に疎いわけではないし、限られた範囲のブロックの中でのことだ。迷うなどということがあるだろうか。しかし、大通りにたどり着くことができない。何より、この先、同じ道を回ることで先程の目の青い大男には再び会いたくはない。見上げれば向こうにアメリカンクラブの建物が確かに見えるではないか。落ち着け、もう一度駅へ向かおう。

「あなた。その、あなた。」
何処からか、そう聞こえた。その声がする方向も、誰に向けられているのかも分からない。
「あなたです。」
恐る恐る足を止めた。ゆっくりと振り向くと先程の大男がいた。外見から想像しなかったが、日本語を話すのか。
「お茶をどうですか。時間はあるのでしょう。」
恐怖を感じた。答えるために深呼吸が必要だった。
「私が忘れてしまっているのならすみません。どこかで、以前お目にかかりましたか。」
「はい。」
全く記憶にはない。
「すみません、失礼ですが、どなたかと人違いでは。」
大男は首を横に振った。そして、私の名前を正確に発音した。
「私の覚えが悪い様ですみませんでした。あの、すみません。貴方はどちら様でしたでしょうか。」
「ミコロフ。ミコロフ・マロニュ。」
明確に聞き取れたわけではなかったが、聞き取った通り、ミコロフと呼べばいいのか。
「ミコロフさん。大変申し訳ないのですが、私たちは何処で知り合ったのか、私は思い出でないのですが、教えてはいただけないでしょうか。」
私と彼の間に思い出せない程の長い無沙汰があったのか。その後の再会ならばせめて驚きや懐かしそうなリアクションもあろうかと思うのだが、まるで、予定されていたかのようにミコロフは私に当たり前のように声をかけてきた。
「そこは私の部屋です。一緒にお茶をどうですか。」
指した先は雨染みが壁に残ったアパートだ。そのアパートには単純な箱型コンクリートや鉄筋の外階段はない。代わりに複雑な矩形を組み合わせた漆喰壁、その一面が小さなピロティになり木製のドアが付いていた。繰り返しこの路地を回っていて何度も目にしたドアだ。
彼が言った通り、私にはその日は時間はいくらでもあった。そして、冷えた屋外でこれ以上通じているのかいないのか分からない立ち話をして彼の正体を聞き出すよりも、私の冷えた身体は温かいお茶を欲していた。

家に施錠をしていないのか、かれは道に面したドアをそのまま開けた。彼の背には低すぎる天井に、彼は天井の照明に当たらないよう度々頭を下げながら部屋の中を進む。道路に面した小さな部屋は明るく、応接テーブルと椅子、そして茶棚が一つ。茶棚には茶碗がいくつか並べられ、ギャラリーのようだ。私はそこに座り、奥のキッチンへと入っていった彼を待つ。玄関から伸びる細いキャビネットの上には美術館で見たことがあるような仏像の頭部。大きな焼き物の壷。よく見るとそら一つ一つに小さく値段の数字が掛かれたラベルが付いている。ここは店かギャラリーか。そうであれば施錠されていなかったことも理解できる。ふと、そういえば、彼は「コーヒーでも」とは言わなかったことに気が付いた。私を一人ここに取り残し、一体、奥のキッチンで何が行われているのだろう。

暫く待つと、ミコノフは湯気の立つ薬缶を載せた小さな火鉢を抱えてきた。金色の毛が覆う太い腕でテーブルの傍にワゴンを寄せ、その上に火鉢を置いた。そして今度は螺鈿模様の入った箱を持ち出してきた。何も言わず、その箱の蓋をそっと開ける。その中から小さな茶道具を一つ一つ取り出す。大きな躰や指に似合わず、小さく繊細な道具を器用に扱い、テーブルに敷いた布の上に並べ置いてゆく。私はその動作にただ目を奪われていた。ゆっくりと箱から取り出したのは有線七宝で鹿と花木が描かれた瑠璃地の茶入れだ。見たことのない茶色い葉、茶葉が取り出される。このミコノフとの出会い、または再会か、を気にしなければ、美しいもてなしの作法にただ感心しているだけだっただろう。しかし私がここに来た目的は、私は彼と何時どこで会ったのかをここで明らかにするこだ。
真っ白な湯気を立てて、茶壷に湯が注がれた。彼の動きが止まったのを見計らって、
「あなたと私はいつ、」
と声をかけると、彼は人差し指を口にやり、私に黙っているように、と言いたいようだ。
数十秒の沈黙の後、かれは茶壷から湯で暖められた二つの小さ茶碗に黄金色の茶を最後の一滴まできれいに注いだ。蒸気とともに梅の花のような薔薇の花のような香りが鼻腔に届く。
「どうぞ、召し上がって下さい。」
言われるがまま、黄金色の茶を一口含むと初めて飲む茶の味、その喉を通る心地よさに、思わず何の茶なのか聞いてみた。
「プーアール茶です。」
「へえ、これが。プーアール茶は一度飲んだことがありますが、臭くて不味くて、とても飲めませんでしたが、これも同じプーアール茶なんですか。」
「プーアール茶にもいろいろ種類がありますから。これは私の友人が分けてくれた良い茶葉です。」
そう言って、空になった私の茶碗に2煎目を入れてくれた。
「ところで、私のほうで忘れてしまって大変失礼なことで申し訳ないのですが、私たちはいつか、知り合いでしたか?もしそうなら教えてください。」
「昔のことです。貴方のほうでは忘れていても仕方がないことです。私は覚えていました。そして、お礼をしたかった。」
「お礼?あなたに、あの、私がミコノフさんに、お礼していただく様な事があったのですか?教えてください。私はあなたに何をしたのでしょう。」
「いいんですよ。忘れたままでいて下さい。私はこうして今日貴方にお茶を差し上げられた。満足です。」
「以前、お会いした、そうだとするなら、お会いした時には、やはりこちらの場所でしたでしょうか。それとも他の場所、あるいはそれはもしかすると、外国でしたか?」
「この場所でした。」
確かに、私が麻布台に来たのは初めてのことではない。かつて麻布永坂から狸穴のほうへこの辺りを抜けて通っていた。しかし、一度会ったならば容易に忘れられるとは思えない容貌のミコノフと知り合った記憶がどうしても思い出せないのだ。いや、記憶が無い。私は今初めてミコノフに会った。そうでなければ私は深刻な健忘の症状、病的な事態に見舞われている。
もし、この美味しい茶、プーアール茶がなかったなら、外国人の大男に誘われ、部屋で二人で茶を飲むなどということは悪い夢でしかない。ミノコフが煎れてくれた茶は今まで飲んだ茶、いやあらゆる飲み物とちがう。喉が潤い、身体にエネルギーが満ちるような感覚を覚えた。
ミコノフは湯を注ぎながら、茶について話しだした。茶葉の製法や茶器の話だった。それは私が知りたいこととはかけ離れていたが、黙って聞いていても無駄ではない話だった。おかげでこのプーアール茶の美味しさと、以前飲んだプーアール茶の不味さについては何がそうさせたか納得ができた。それから一体どれくらい経ったのだろう。いつの間にか陽は傾きすべてが影に覆われてミコノフの顔もよく分からなくなるほど部屋は暗くなった。
「これが最後になります。」
ミコノフが茶碗に茶を注いでくれた。何煎目を淹れてもらったのかももうわからない。

それを飲み干し、私は暇を告げることにした。
茶は最後の煎を終え、闇が部屋に広がり、そしてこれ以上ここに滞在していても私の謎は解決はしないだろう。
「どうもありがとうございました。とてもおいしいお茶だった。これまでに飲んだことのないほど。一番のお茶でした。私はこれでお暇します。」
ミコノフが私との関係を話す気が無いのならば、私ももう、強いて聞く気はしなくなっていた。そして何のお礼であったのか分からないものの、彼のお茶や点前は十分お礼に足るもてなしであった。
「ところで、こちらはギャラリーかお店か何かですか。」
「ええ、そうです。主人が私に遺してくれた物を少しずつ並べているんです。」
「主人?ああ、ここのオーナーさんが別にいらっしゃったんですね。そうですか。」
そしてその方が亡くなって、後任としてミコノフが店を任された、と。そういうことなのだろうか。いや、もうどうでもいい。私はもう彼に疑問や謎を問うことを止めた。どうせ何も解りはしないのだ。

「それでは。美味しいお茶をどうもありがとう。」
ミコノフはただ微笑んでいた。
出るときに玄関ドアのノブが上手く回らず私はそのドアを開けられなかった。そこでミコノフが私の後ろからもじゃもじゃの毛が生えた腕を伸ばして、ドアを開けてくれた。その瞬間、薫ったのはパウダリーでウッディーの印象的な薫り。知っている。ミコノフの正体は知らないが、この香りならば知っている。

自宅の部屋に駆け込んでクローゼットの衣装ダンスの引き出しを開けた。幾つかの使い古した古い香水が仕舞われている。片っ端からキャップを外して残り香に集中して嗅いでいった。その中のひとつ。コムデギャルソン。ミコノフから薫ったのはこれだ。けれども何も思い出せなかった。やはり私は今日以前にミコノフに会ったことはない。
しかし、久々にこの薫りを嗅いで、断片的に別の記憶が浮かび上がってきた。この薫りを纏っていた頃、私はまだ若かった。六本木交差点の喧噪。仲間との夜遊び。アメリカンクラブとソ連大使館。誰もが夢を見ていた頃。そんな時代だった。浮ついた東京の夜。そんな日々に、私は時折、自分が足の届かない水の中に放り込まれ、濁流に流されているような喘ぎにも似た苦しさを感じていた。手軽で、刺激的で、若さゆえのチープな感覚でスパイシーなサンダルウッドの色気に魅せられコムデギャルソンを纏った。当時のこの街に何よりも合っていた。
飯倉の事務所へ出勤する朝、麻布永坂と狸穴の間の通りを抜けて行った。近道というわけではなかったが、その付近に当時はまだ少なかったフランス仕込みの本格的なブーランジェリーがあり出勤時に、昼食にするパンをそこで調達するためその道を通った時期がある。日替わりで内容が変わるバゲットサンドイッチが気に入っていた。そこから職場までの道、あの頃、激しい地上げの最中ながらそれでも急な坂を含む辺りはまだ戸建ての古い家も多く、その中には昭和に建てられた外国人用の洋館も多かった。建築学科を卒業して東京で働きだしたばかりの私は、少し遠回りになっても小さな坂を上り下りし、それらの贅沢な家々を見るのが楽しみだった。ゆっくりと歩きながら建物を眺めていると、突然手に持ったパンの袋が右へ左へ動いたかと思うと今度は急に重くなった。なんと家のフェンスに巻き付いたブーゲンビリアの植栽の間から狼かと見紛う白く大きな犬が袋の端を咥えているではないか。鼻の利く犬だ。こんな大きな家に住んでいるのに、腹を空かせているのだろうか。硬くていつも残しがちになるバゲットの端を少し千切り取ってやると喜んで食べていた。味のいいバケットだ。硬い端でも旨いだろう。他人の家の犬に了解なくこっそりと食べ物を与えることに罪悪感を覚えながらも、私はそれを繰り替えした。何故なら、それ以降、犬は私が通りかかると、まるで待っていたかのようにフェンス越しに顔を突き出し私を見ると舌を出し身体を激しく揺らして喜んだからだ。一かけらのバゲットの端をやることは、私の朝の日課のようにもなってしまった。毎朝、私の姿を見ると全身で喜びを表現する犬。不思議と飼い主を見たことはなかった。それは春から夏にかけ、夏を過ぎ秋まで続いた。ある冬の初めの日、生垣のブーゲンビリアは色が褪せ、葉がまばらだった。そしてその日、犬は顔を出さなかった。それからも、犬を見ることはなくなった。地上げはとうとう崖のような急坂や窪地に及んだ。程なくその洋館も一帯の日本家屋とともに更地となり、瞬く間に戸数の多いマンションに代わっていた。私は仕事が忙しくなり、昼食にバゲットを買う習慣をいつしか失った。あの頃なんとなく、喜ぶ犬のためだけにバゲットサンドイッチを昼食にし続けていたような気もする。東京は加速していった。ただ渦を巻くだけの加速だった。私の一日一日は逆らえない強い力に押し流され、ささやかな出来事は、急ぐばかりの物事に上書きされ、掻き消えていった。そんな中の一時、朝、目を輝かせて私にが駆け寄ってきた毛並みに光をたたえた犬。あの季節、それだけのことが、私の一日の始まりの背中を押してくれていた。忘れてしまった小さな出来事。確かにあの時、私は幸福だった。脆い幻想の街の香りを纏っていた私でも。もう殆ど残っていないパフュームをスプレーすると、一吹きだけの香りの霧が生まれた。何故なのか涙が溢れる。ミコノフ、礼を言いたいのは私の方だ。私が忘れていたものを、君が覚えていてくれた。私はまた、明日からもこの街で生きていかねばならない。けれども、些細な挿話の積み重ねが、私の中を豊かに満たしていることに気付かせてもらった。何を失おうとも、積み重ねた日々は自分の中に豊かに降り積もっている。


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