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100年前の ある挿話_4_オークション



100年を経たCHANEL No5
新たな考察

なぜ、香りに心動かされるのか
100年前の彼女の挑戦と冒険
100年後の今でも、私たちはその香りに魅了される


1_彼女の希求

100年前の ある挿話_1_彼女の希求|調香師 山人ラボ sunyataperfume (note.com)

2_化学者のジャスミン

100年前の ある挿話_2_化学者のJasmine|調香師 山人ラボ sunyataperfume (note.com)

3_特別な香り

100年前の ある挿話_3_特別な香り|調香師 山人ラボ sunyataperfume (note.com)

4_オークション


中世の修道院で生みだされた, 心を癒すための技術.

もとは近隣住民を救うための医療に役立つハーブや薬草の知識であったものが洗練を重ね, 
精神を癒す効果の高い香りは, 希少で高価なものほど, 王侯貴族に消費された.

既に消え去ってしまった,心の痛み,憂い,怒り,不安を拭う香りの秘密.

ココはそのような香りの力が, 自分の創る香水に取り込めるのならば,
世の女性が,男性の付属品としてではなく,
自律的に生きるための自信を与えられる香りにしたい, 強くそう思った.

エルネストと香りについて語り合い, ラボで過ごす時間は,
時が経つのを忘れてしまうほどのココの楽しみになっていた.

子供の頃,自分の知らない世界の知識を師に学ぶ,などということは夢にも望めなかった.
孤児院では,厳格な規律の下で炊事や掃除,裁縫に明け暮れた.
おかげで, 今この手先は自在に操れる自信があるのだけれど,
もっと知識が欲しい, とココは思った.

ミシアがカンボン通りのココの店に駆け込んできたのは,
暫くしてからのことだった.
「ねえ,明日のオークションで面白いものが出品されるのよ,知ってる?」

「何かしら.」
豪華なアンティクジュエリーのイラストが印刷されたオークションカタログを, ミシアはココの目の前に開いた.

主を失った古城が不動産市場に売りに出される.
と同時に, その古城に備えてあった什器や家具などもオークションに出されるらしい.
中世に建てられたそのロワール渓谷にある古城は,かつて領主の貴族の別邸であったという.
オークションカタログを捲っていると, 
イラストに描かれた中世らしい重厚感のある家具の中には魅力的なものもあるが, 全てがどこか古臭いと言えなくもない.

「そこの次よ, 次のページめくって.」
ミジアに急かされ,ココがページを捲ると, 滲みの浮き出たグレゴリオ聖歌の楽譜や,
おそらく, 植物図鑑のような本,破れた羊皮紙の束が出ている.
「え, なんなの?」
「よく見てよ, ここ. 書庫にあったものの出品リスト.」
イラストの下に細かい字で書かれたその目録の中に,「香りのレシピの束」とある.
なんだろう.
カタログの編集者が適当な翻訳を当てたのではないだろうか.
ソースのレシピ,とか.
ただ,もしかすると.
「あなた,言っていたじゃない. 中世の調香の技術を知りたいって.」
「ええ. そうよ. えっと, これ開始価格はいくらなのかしら.
え,これは高い. いくら何でも高すぎるわ.」
ココは目を丸くした.
「そうなの. こんな埃をかぶった紙の束がこの価格よ.
ということは, 何だか, 価値があるということの証拠だと思わない?
多分, ここよ, ここ.」

そこには, 不鮮明ながら, メディチ家を示す紋章が見える.
他の知らない紋章も並んでいる.
グレゴリオ聖歌の手写しの楽譜や, ルネッサンス時代の本の千切れたページならば,
アンティーク趣味の美術家が額装するのには向いているだろう.
調香レシピが古物趣味のインテリアになり得るかどうかは別として, そもそもこの開始価格に対して入札できる人間は限られる.

「手に入れてみる価値はあるかもね.」
ココはそう言いつつも, 大金の工面を思案した.

大金を払ってでもこの紙の束を落札すべきか,
ココはエルネストに尋ねてみることにした.
「マダムも知っての通り, メディチ家はMedicineの語源です.
医療や癒しに関わる幾つもの修道院のパトロンであり,
同時に彼らに研究をさせ, 実際に役立つ薬を創らせていた.
サンタマリアノヴェッラはご存知でしょう.」

オークションに参加し, 古文書を落札したい.
そう決めたココは, もしもオークションで誰かと競り合う場面になった際には, 資金の力添えしてくれないかとディミトリ公に相談をした.

「君は,新たな時代の女性が纏う芸術的な香りを創りたいんじゃなかったか.
なのに, そんな古文書にあるような古臭い調香の処方が気になるのか.」
最近, エルネストとばかり会っているココに対して, ディミトリ公からの微かな嫌味でもあった.
しかし, 資金提供は快く了解してくれた.
ディミトリ公は, ココが心酔しているのは,間違ってもエルネストという男ではなく, 真に, 香り創りであることをよく理解していた.

オークションの日, ミジアと連れ立って会場に来たココは,会場に並ぶオークション品を眺めながら会場を歩いた.
マハラジャの遺宝だという豪奢な宝石やジュエリーに目を奪われているミジアを置いて, ココは競り落とすべき古文書の展示されてるテーブルを探した.

ようやく見つけたそれは,麻紐に束ねられたボロボロの羊皮紙の束だった.
それは想像を超えて大量かつ嵩高い.

「どうするの, これ.競り落としたとしても運ぶのは大変よ.」
ミジアがココの腕を掴んで恐々としている.
ココは言った.
「だから, あなたと一緒に来たんじゃない.運ぶのを手伝ってね.」

こんな古い羊皮紙の束を欲しがる人間が,
これほど多くいるとは思わなかった.
オークション開始から幾つもの入札の手が上がり,
そのたびに価格が競り上げられていく. しかしココも負けない.
競り合う人の中には, 古物好きの顔見知りの家具屋もいた.
もともと高かった開始金額から,さらに金額が吊り上がり,次第に白熱していくオークション.
自分の懐から出せる金額を遥かに超えていた.
ディミトリ公に支援を頼んでおいて本当に良かった.
ようやく,
入札は天井を打ち,古い紙の束としては尋常とは言えない金額でココの手に落ちた.

オークション会場スタッフの手を借りながら,ココとエマは大騒ぎをしながら落札した紙の束を幌付きの馬車に積み込んだ.


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