ハンセン病と現代
画像:国立療養所長島愛生園 より
ハンセン病との出会い
大学生の四年間の夏。
私は、大学を通して毎年数日間、岡山のある場所に滞在した。
国立療養所長島愛生園である。
有名な場所ではないから、知らない人の方が多いと思う。
長島愛生園は、1930年に建てられた元々ハンセン病という病気に罹られた方の日本で初めての国立療養所である。
大学一年生の頃、ハンセン病?長島愛生園?何それ状態だった。しかし、私は希望者が参加できるハンセン病の資料を翻訳する研修に参加した。参加した理由は、NGOやNPOに興味があった事・翻訳活動をしたっかたから。ほんの軽い気持ちで参加した。
まさか、四年間参加し、学生代表として友達と二人で厚生労働省主催のイベントに出ることになるとは微塵も思っていなかった。
ハンセン病とは
ハンセン病、現在では差別用語である、らい病は、感染症の病気である。現在では、完治する病気である。また、感染率も低い。“最も感染力の弱い感染病”と言われている程だ。確か日本でのここ数年で感染者は1,2人だったか0人だった気がする。(今はコロナの情報で溢れかえって探すのが困難な為正確な数字は不明。)
ハンセン病に罹ると、皮膚に斑点やこぶなどが出来る皮膚病の特徴と知覚麻痺や視覚障害などの神経病の特徴がある。その為、患部を怪我をしていても感覚がなく、気づけば切断しなくてはいけない状態だったなどの方もいらっしゃるがこれは二次的な障害であり、ハンセン病の症状ではない。
ハンセン病の歴史は古く、紀元前2000年頃にエジプトやインド、中国で記録が残っている。日本でも、あの学校で一度は聞いたことがあるであろう、8世紀に作られた「日本書紀」にハンセン病について記載されていた。戦国武将・大谷吉継(1565 or 1559-1600)もハンセン病と思われる「業の病」に罹っていたとされている。
画像:タイガース非公式サイト Vol.08 大谷継陣地(山中村宮上)より
また、恐らく多くの人が見たことであるだろう、もののけ姫にもハンセン病患者は登場する。この包帯を体中に巻いている人々である。私は、子どもの頃大けがをした人だと思っていたが、実はハンセン病患者である。
画像:怖い都市伝説まとめ 【もののけ姫】包帯人間はハンセン病患者・・・宮崎監督が暴露した裏設定 より
因みに、宮崎駿監督は、東京のハンセン病療養所の多摩全生園で講演を行ったりなどもしている。
ハンセン病の歴史
ハンセン病患者は、昔からそして今も差別を受けている。外見に変化がある病気の為、仕事も出来ずひっそりと暮らしていたり、家族に迷惑をかけない為に放浪の旅に出た「放浪らい」と呼ばれる方もいたのだ。
日本は、海外からハンセン病患者を放置していると批判され、政府は1907年(明治40年)、「癩予防に関する件」という法律を制定した。この時、放浪らいを療養所に収容した。救済するために収容したが、実際はハンセン病は感染力が強いという偏見を生んだ。
1923年には、中国に次いで、日本はハンセン病患者が多発する国になる。そして、1929年「無らい県運動」というハンセン病患者を見つけ出し収容所に送るという運動がされ、その二年後に「癩予防法」を成立した。これは、在宅の患者も療養所へ強制的に入所させるようするものだ。こうして全国に国立療養所を配置し、全ての患者を入所させる体制が作られたのだった。
こうして、ハンセン病患者は強制収容を余儀なくされた。
ある方は、入所される時子どもで、医者からは1,2年すれば帰れると言われ入所された方もいる。そして、療養所内でハンセン病は治らない病気だと教えられた。また、ある人は母親に旅行に行こうと言われ、たどり着いた場所が療養所だった。
優生思想
療養所では、看護師などの非感染者と感染者の場所は区切られていた。しかし、重度の患者の介護も軽度の患者が行ったり、自分たちで橋や建物などを建設していたりなど行っていた。また、外出なども基本的に許可されず、1948年に制定された「優生保護法」により、結婚する場合は断種や中絶を強要された。
断種とは、男性器・女性器を取り除く手術である。ハンセン病患者に子孫を作らせないために行った。なぜなら、長島愛生園の初代園長・光田健輔氏が絶対隔離を主唱していたからだ。この時点で、感染症ということはわかっていたが、最近ニュースでも目にする優生思想の影響により、虚弱児の出産を防止されるために行われた。長島愛生園には、ホルマリン漬けされた生まれる寸前の子供が保管されている。
この優生思想は、日本のハンセン病と切っても切れない関係である。なんんと、日本はハンセン病が完治しても強制隔離続けたのだ。
1943年、アメリカでプロミンという特効薬が作られる。1981年にWHOが多剤併用療法(MDT)をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至った。日本でもプロミンは、1947年に使用されほとんどの方が完治した。
だが、国は1996年の「らい予防法廃止」までの90年間、ハンセン病元患者の方々に人権侵害行ってきたのだ。90年間。この90年間で植え付けられた偏見・差別は簡単になくすことはできない。らい病は、手足が腐り落ちる病気だとか感染したら死ぬだとか国民は思っていたのだ。
実際亡くなられる方の殆どは、知覚麻痺による二次障害や自殺などだった。ハンセン病で亡くなられる方は、極数人であった。
国は、ハンセン病患者を国の恥だと扱い、閉じ込めるだけ閉じ込め、それが正義だと思っていたのだ。国民がすぐに”元ハンセン病患者”を受け入れることを難しくしたのは国だ。
らい予防法廃止が制定された時には、元患者の方々の殆どは高齢そして、後遺症や差別などによって社会復帰が難しく、多くの人が療養所で過ごしている。
どの差別にも言えることだが、無知が誤解を生み、間違った情報を垂れ流す、そして差別は生まれる。
らい予防法廃止は、偶然私が生まれた年にやっと制定された。まだ制定されて24年である。しかし、ハンセン病について私たち若い世代で知る人はあまりいない。だが、ハンセン病への差別は未だに根強く残っている。
大学の研修に参加する時、私の家庭では何も言われなかったが、友達は家族から、行って大丈夫?感染しない?など言われたらしい。このネットが発達している現代でだ。 けど、仕方ないと言えば仕方ない。興味がなければ調べないし、学校を行く歳ではなければ、それは間違いだとか正しい知識を教えてくれる人もいない。もっといえば、「完治する病気」だからわざわざ学ぶ機会がある学校すら少ないように思う。だから、子どもから親に伝えることはないだろうし、ハンセン病患者に対する偏見は残り、差別が残る。
2003年に熊本県で元患者の方がホテルの宿泊を拒否した事件が起こった。その時、1,2週間程入居者や療養所に対する非難の電話が鳴りやまなかったという。
また、社会復帰をしても療養所に戻る方も多いようだ。後遺症の治療に慣れた医療機関が地域に少ないことや、差別・偏見を恐れて周囲に明かせないことが原因だという。2001年に国が強制隔離政策の誤りを認めてから18年がたっても、退所者が地域で安心して暮らせていないのが現状である。
じゃあ、どう解決するのか。それは、何度も他の記事で書いているけど正しい知識を私たちが身に着けて伝えていくしかない。けど、それを聞いてくれる人は残念ながら極わずかなのも十分理解している。100人に言って正しい知識を身に着けてくれる人は、たぶん2,3人。大半は忘れる。残りは、頑として自分が間違っていると認めない。一般人の私が今できることはこれだけだ。悲しいことに。
コロナとハンセン病
ここまで読んでくださった方ならコロナとハンセン病の共通点に気づいた方もいらっしゃるだろう。どちらも、感染病でそして今言われているコロナ差別。あと最近よく言われるマスク警察や自粛警察も無らい県運動とそっくりである。本当に人って馬鹿なのかなんなのか同じ間違いを犯すものである。
謝った情報の広がりも同じで、37.5℃以上でコロナが死滅するだとか某府知事がイソジン消毒がコロナに効くなどどう考えても間違ってる情報を発信したり。現在、世界中で混乱状態のため誤った情報を信じやすい状況にあるのかもしれないだろうが、まずはその情報が正しいのかを調べる習慣をつけるべきだ。
まだ、コロナという病気がそういう病気なのか解明されたわけでもなく、謎が多い。だからこそ、(イソジン消毒は除く)国連など正式な機関が出している情報を今身につけなくてはいけない。そして、周りが間違っていれば必ず訂正することが大切である。正しい行動こそが自分も周りも救うのだ。
ハンセン病の方々の強制収容が開始された時は、今のようにインターネットがなく、正しい情報を手に入れるすべがなかった。だから、国や人々は過ちを犯してしまった。よくまた二度とこのようなことがないように願うだとかいうけど、今がその時。
コロナに罹った方へはもちろん、感染者の方が多い地域のナンバープレートの車や人への嫌がらせなんてただの自分の快楽の為だ。そんな大人がいて本当に不愉快極まりない。もちろん感染予防は絶対では、あるし不要不急な用事は政府が言わなくても避けるべきだ。だからと言って、他県から来たと思われる人に嫌がらせなんてはっきり言うと、どんだけ子どもなんだ。そういう人達には、早く成長して頂きたい。
長々と書いてしまったが、私たちハンセン病の失敗を踏まえて絶対差別を繰り返してはいけないのだ。ここで、私たち人間は学ぶということができるんだということを証明しなくてならない。
最後に
長島愛生園は、こんな暗い歴史があったとは思えない程自然に溢れたとても綺麗な場所。歴史館などもあり、興味がある人は是非訪れてみてください。もちろん、コロナが落ち着いたら。
最後に、長島愛生園に入所されていた明石海人という有名な歌人の言葉で締めさせて頂く。
深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない
参考サイト
ハンセン病再入所129人 療養所元患者 差別、健康不安 09~18年度
sunumizu
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