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事実を聴く

模様替えをしました。
時計の位置を変え、素敵なお店で買った綿花とシナモンスティックを玄関に飾り、好きな水彩画家の絵を壁に飾る。
それだけでも、自分の好きを詰め込んだ空間が出来上がると、とてつもなくスッキリする。また好きがひとつ。

好きな空間。
それを作ることでどんどん解放されてく。今日はそんな話。
それでは参りましょう。

卒業しました

心揺さぶられる日は頭痛に見舞われて、頭を抱えて寝込んでしまうことが多いわたしなのですが、その要因は元家族。

わたしは今年の夏に結婚を卒業。
バツがつくという言葉も、離婚という言葉もなんとなくしっくりこない、と言う友人との会話から卒婚だね、と盛り上がった。

そしてその卒コンした相手と子供との月1の面会がひどく苦痛で、わたしは頭痛を起こす。会わなくても相手が何か連絡をしてくるたびに、気が付かないけど不調を起こしている気さえする。

離婚して大変だね、とか、これから大変じゃん大丈夫なの、とかすっごい言われるんだけど、なぜそんなマイナスなんだろうってすごく疑問。
幸せな離婚もあるんだよ。
我慢して自分を擦り減らしていた生活を手放すことができた時の開放感。もちろん手続き的なところはアナログなので面倒臭かったりしたけど、それも自由を得るための課題と思えばなんてことはないし、むしろそれで解放されるならいくらでも何度でもきます!っていう感じ。

何よりも自分らしく生きていくために、足枷だったものが外れていく感覚がとても心地よかった。いろんな人と話す機会を最近自分で設けているのだけど、その中で気が付かされるのは、相手に染まりすぎていたということ。

割と自分色強めだと思っていたことも、実は相手に合わせていたことがあって、それがおかしいことだと気がつくと、なんて馬鹿らしいんだと情けなくもなり悔やむ気持ちもあり、安堵の気持ちもあったりする。

だから、離婚した人が周りにもしいたら「大変だね」とか「聞いちゃってごめん」ではなくてまず理由を聞いてみて欲しいと思う。
その中身が独りよがりの結婚だったのか、我慢の結婚だったのかそれによって全然会話の中身も変わってくるはずだから。


距離が生まれて見えるもの


まさにこれは、その人の本質が見える最強の方法なんじゃないかって思うのだけど。

今まで遠慮があって言えなかったことも、どうでもいい相手には刃を向けて切り出すことができる。心の優しい人は、たとえそういう関係になったとしても噛みついたりはしないかもしれないのだけど、嫌いになった人や無価値だと認定された相手に対しては、大抵の場合本性で接する人が多いと思う。

わたしの元旦那もその類の人で、今まで出してこなかった部分の彼で物を見て伝えてくる。ほぼ刃。言い方や、言い回しがまるで別人。

ただでもそれが「その人の本質」。
隠してきた本当の心なんだなと思う。まるで独りよがりの家族生活を送ってきたのかと思い知らされる言動は、今までの結婚生活を灰色にするようなものばかり。もはや、それすらもなかったことなんじゃないかと錯覚を起こすほど。

自己愛に逃げ、逃避し続ける彼の姿はまるで父親と言えるものではないよう。離婚したくないと言い張っていた時に言っていた「心を入れ替えて頑張る」なんて言葉が、余計に意味を持たない薄っぺらなものだったことを確信させる。本当の彼の心がそれなのに、何を信じてやりなおそうと思えるのか。あの違和感は、間違っていなかった。いま向けられている刃がそれを証明してくれている。

彼のために何かしてあげようという気に全くなれないので、距離を取るしかない中でどんどん見えてくる「本質」。お互い様なところはあれども、養育を担っているわたしからしたら、あまりにも幼稚な大人だなと思うことばかり。

急に考え方は変えられない、っていうけど、変える努力をしてないのとそもそも変える気がないっていうのは全然違う。
変えられないからしょうがない、では済まないこともたくさんある。むしろ、そういうやらなくてはいけないことをやる努力をすることの方が多い世の中で「変えられない」ということは、親として、大人として恥じることだと思う。

わたしがすべきこと

母として、親としてわたしができること、しなくてはいけないことは、「こどもたちを巻き込まない」こと。もうすでに巻き込んではいるんだけど、気持ち的な面で負担やいらない心配をかけさせるべきじゃないと心から思っている。

時々涙する娘は心が優しく感情に敏感な子なので気にかけてあげないと行けないと思いつつ、乗り越えなくては行けない壁、開けなくてはいけない扉なのだと思ったりして。

ただただ見守り、そうなんて欲しいエゴの元、かける言葉を選んでいく事が私にやるべきことだと思う。
子どもは言われたことはやらないので、言われたことをどうやって噛み砕いて行くかを、なんとなく私が見せて行ったらいいのかな。

噛み砕き腑に落ちるまで私もなかなか時間を要するのだけど、それは恥ずべき後ろ姿ではないと思っている。少なくとも向き合おうとする姿は、私自身もできないなりに挑戦していることなので、それに気がついてもらえたらいいな。


母であり、親であり友達のようなそんな関係を築けたらいいと思いつつ。日々君主のようになってしまうこともあるけれど、思いは大事にしていきたい。

そういう大事にしたいことがたくさん作れるこの環境。私は本当に選んで良かったよ。