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私の原動力は周りからの愛だった

実は最近、引越しをしました。地元から遠く離れて生活することは初めてなので、寂しい気持ちと「これで良かったのかな?」という気持ちに襲われそうな毎日です。

看護師を辞めてからの3ヶ月。久しぶりに実家に戻って主に両親との時間を過ごしたり、農家さんのお手伝いをさせてもらったりしていました。
すごく充実していたし、そのまま居心地の良い環境にいることもできたけど、いつか後悔しないために地元を出ました。

ずっと憧れていた街なのになんだか寂しくて、帰る場所があったから憧れてたのかな。なんて切なく思ってしまいました。

友人に「自分の夢を叶えててすごいね」と言われるけど、本当はそんなキラキラした生活じゃない。自由に生きることと、好きなことをして生きることは別だし、自由に生きるためにはそれなりの知識と努力も必要なんだと痛感しています。

私は、看護師を続けている友人達の方がよっぽどすごいと思う。私は「看護師は限界。私には向いてない。」と思って「逃げてしまった」という負い目があります。

もちろん、自分を守るためだったから後悔は全くしていないし、看護師という職業を選択したことにも後悔はしていません。看護師を続けられるほどの、熱量が足りなかったことに対する負い目です。

留学がしたかったのも旅をしたかったのも、本当の自分を見つけたかったから。環境問題についても勉強したいと思っていたけど、それ以上に自分に向き合いたかった。

今このnoteを書きながらも、自分のやりたかったことはそれだと改めて思いました。

自由に生きるために仕事を辞めることは簡単でした。
でも、本当の自由を継続させるための力は付けないといけない。

本当の意味で自由に生きていくって、甘くないし簡単じゃない。ある程度の基礎を自分でつくらなきゃいけない。

それに3ヶ月間、逃げて甘えてたな。でもその分、たくさん充電できた。


引っ越す前、お世話になった人たちに挨拶をしてきました。

みんなが「いつでも帰っておいで」と言ってくれて、私は本当に愛されてたんだなあ。と我ながら思ってしまいました。

地元を離れることは本当に寂しいし帰りたい気持ちはあるけど、新しい環境で挑戦して上手くいかなかったとしても私には帰る場所がある。

大好きな人たちがきっと「おかえり」と言ってくれる。

だから私は、どんな時も自分が納得できる選択をしてこれたんだと思います。

今日は従姉妹と会って嬉しかったから、その反動で寂しくて勢いで書いてしまいました。

失敗しても大丈夫。私には帰る場所があるから。

みんなに愛されていたことを、大切に、大切にしよう。

そしたらきっと、頑張れるから。


とりあえず、ボチボチ仕事でもしますかね。