栗の味
「いもたこなんきん」
と言われる女性の好きな食べ物
だけど「たこたこたこ、たこだけでいい」私
じゃがいも、かぼちゃ、さつまいも
これらの野菜を買わなくなって
ずいぶん長いこと経つ
我が家ではカレーにすら
じゃがいもは入っていない
夫もイモを好んでは食べない
それ幸いとどんどんイモから遠ざかった
だけど今思えば娘たちは好きだったはず
そんな娘たちに詫びるつもりで
たまにポテトサラダを作った
ほんのたまーに
その娘たちも今はもう家を出た
晴れて堂々と、イモ類は買わなくなった
この季節そんな私の食指が動くのが
「栗」なのである
栗も、イモとそんなに変わらないと
頭では理解しているのに
なぜか「栗」だけはひいき目で見てしまう
モンブランを見ると
上だけ食べたい
と思い続けていた
いま流行っているモンブランは
スポンジやタルトやメレンゲの土台の上に
細ーい糸のような栗のペーストが
にゅるーーん、しゃわーーーんと
目の前でシャワーのように降りそそぐ
あの機械の下に手を広げ
その手の上に栗を絞ってくれと願う
そんなこと許されるはずもないのだけど
あの甘い土台部分を食べきる自信がなくて
手が出せない
栗きんとんもマロングラッセも
栗羊羹もひと口で充分なので
手が出せない
そんな中、
昨年から気になっていた栗の姿が
なかしましほさんのレシピで見かけた
「栗あんバタートースト」
トーストなら土台が甘くない
少し塩気のあるバターがたっぷり乗っていた
、、これならいけそう
私の中の栗への思いがむらむらと大きくなった
しかし
気づいた頃にはもう店頭に栗の姿はなかった
栗の季節って長そうで短いと知った
満を持して栗の季節が巡ってきた
初めての栗あん作り
まずは丸ごと茹でた栗を包丁で半分に切ってから
中身をスプーンでかき出す
それをきび砂糖と水で煮詰めると栗あんになる
シンプルなレシピなのが気に入った
茹でた栗に慎重に包丁を入れる
ゴロンと転がると危ない
栗を丸ごと使う渋皮煮や栗ご飯でもないので
小さい栗でもよかったのだけど
食べれるかな、多いかな、冷凍できるかな
などど迷っている間に
店先に並ぶ栗はもう選ぶほど種類はなかった
危うく今年も栗の季節を逃すところだった
一人分なので網に入った少ない栗を選んだ
それは岐阜産の立派な大粒の栗だった
小さいスプーンと切った栗をトレーに乗せ
食卓にどっかりと腰を据える
気合を入れて栗にスプーンを入れる
淡く黄色い栗の実は思ったよりも掻き出しやすい
栗のカケラが散らばる
しっとりしているのもあれば
水分が少なくて粉状になるのもある
茹で上がったらそのまま茹で汁に浸して
冷ますのがいいのだけれど
待ちきれずにザルにあけてしまった
散らばった栗のカケラを
我慢しきれず口に入れた
「あ、、、これ!」
この味、あれだ、そうだ、そうだ!
天津甘栗とは違うこの優しい味は
遠い昔、母が茹でてくれた栗の味と同じだった
母はケーキなどは食べない人だった
甘いものといえば果物や甘納豆
柿や林檎を好んでよく食べる人だった
凝った料理やお菓子を作る暇もないくらい
家業に追われていた母だけど
栗の季節になると鬼皮と渋皮を剥いて
栗ご飯を炊いてくれた
時には茹でて半分に切った栗を
ザルにどーんと入れてくれた
食卓で2人で向かいあって
スプーンでほじくって食べたあの味
口に入れるまですっかり忘れていたのに
栗の小さなカケラが
一瞬であの頃に私を連れてった
せっせとお皿に山盛りになるまで貯めてから食べる栗より
左手に半分に切った栗
右手にスプーンを握り
まさにいま皮から掻き出されたばかりの栗を
頬張る方が美味しいのはどうしてだろう
蟹の身をほじくる時も同じ気持になる
向かいあってスプーンを握りしめ
「こうやって食べるのが一番美味しいね」と
母と頷きあった遠い記憶
あの頃と今
変わらないのは栗の味だけ
念願の「栗あんバタートースト」は
想像した通りの私好みに仕上がった
甘いお菓子を好まないのは
母に似たのだなと思いながら
大口で頬張った
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