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ゴリラのお気楽論考術

どうも。
猿人全開ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ
サンシャインゴリラ🦍です。

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今回は驕り高ぶったホモ・サピエンスの観察をしようと思った。ゴリラが観察することだから流し見で構わない。

どんな人間でも愚痴の一つは言いたくなる気持ちはあるし、表現の自由が存在する。意見することや批評する自由がある。正面切って言えない批判や辛口なご意見を匿名掲示板や、SNSに書き込むことは大いにやって構わないと考えるんだけど、ゴリラ的に目に余るのがディスカッションの雑さ。

noteでもたくさんの意見が発信されており、半年に及ぶROM行為で見えてきたことをしたためることにした。討論については素人だということをまず先に述べておく。決して逃げの文句ではない。大体のホモ・サピエンスは、優れた意見やテクニックを発信することはできないが、優れた意見を見つけ出すこと、それを拡散することはできる。実際私は優れた意見を発信するにはまだ訓練と実績が必要だ。だが拡散はできる。サルでもできる。
これから書くことは、インターネット上に浮かんでいる詭弁を紹介する。
取り敢えず書いてまとめることに意義があるので霊長類研究者は必見だ。


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1)論点先取

人権問題に関する討論を読んでいると、一部勢力の被害者意識が悪目立ちしている。内容は議論の出発点が被害を受けた事からスタートしており、相手論客がさも加害行為をしたかのような罪のなすりつけ、イメージダウンを狙う状態異常攻撃を仕掛けてくる。
必ず後攻になるが守る方法はある。先取りした論点が間違っている事を指摘すれば良い。

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2)悪魔の証明

これは有名です。聞いたことあるでしょう。証明する事ができない、とか証明が難しい事柄を相手に強要して議論を力づくで自分に有利な方向に持っていく行為である。
子供のケンカでありがちな屁理屈戦法であるが、大人で使う人もたまにいる。悪魔怖いな。


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3)多数決主義

数の多さに騙されるな。
「みんなが言ってるから〜」的なやつ。

低層階マンションの共益費にエレベーターのメンテナンス費用が自動的に含まれる話が理事会の議題に上がった。1階の居住者も5階の居住者も同一に負担しろと、1階の住人にも適用するケース

このお話は多数決のパラドックス 中央大学法科大学院教授 野村修也氏 の引用ですが、引用元の新聞記事については調査ができなかった。名前までわかってるけど、いつどこの新聞で出ていたのかは追って調査する。

1階の住民は首を縦に振るかといえばそうじゃないだろう。多数決のパラドックスに対抗するには、多数派の結果が常に正義を現すとは限らない点を述べることだ。これには色々と準備が必要であり、事実と正論を粛々と述べて対策するだけ、用意がないまま議論のテーブルに着くことは可能な限り避けよう。数の暴力は怖いぞ。

選挙は所詮、多数派のお祭りに過ぎない

という外山恒一氏の言葉が今でも私の中に印象深く残っている。

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4)話をそらす

主義主張が通らないと議題をうやむやにする行為。
政治家がよく使ってるのを見聞きする。多分消費MPが少ない割によく効く間接魔法みたいなものだろう(ゲーム脳並みの所感)
「話をもとに戻しましょう」とか無関係な話題に移行するようなら、俺の質問に答えろと釘を刺しましょう。


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5)滑りやすい坂論法

状況が勝手に悪化する事をさも当然のように展開する論法。

安楽死に関するもので、法律で安楽死を認めたら坂道を転がるように選択的自殺が増えて歯止めがきかなくなるという論が代表的

参考文献『許されるのか?安楽死』小笠原信之 著

オランダは滑りやすい坂道を急速に駆け下りている。と警鐘を鳴らす自殺予防団もいる。実際安楽死が合法化されていると聞いたけど、人口がすっごい減少しているかどうかは検証しなくてはならない。

規則を作る際に『この規則が通ったらあなたと同じ条件に置かれた人が似たような事をして危険である。』というたらればの話を用いてアイデアの芽を潰すことも滑りやすい坂論法にはいるのかな?

「使い道を誤れば死ぬけど便利なもの、それを広く普及させるならバカでも使えるようにしなければ許可しない」みたいな、既得権益層が政治的配慮をカサに科学者、発明家、実業家のインスピレーションを片っ端から潰していく話って出てきそう。今度調べてみるか。

他にもありますが書き出したらいつまで経っても投稿できないのでここでシメさせていただきます。
乱文失礼しました。


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