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サンライズ出版の沿革


創業者岩根豊秀の仕事

創業当時、アトリエでの岩根豊秀

 1930年(昭和5)、中山道鳥居本宿とりいもとしゅく 合羽かっぱ 所「木綿 もめん屋」の裏庭で、小屋を改造したアトリエに、サンライズスタヂオが誕生しました。周辺の商店のチラシやポスターなどの制作からの出発です。岩根豊秀は画家になりたかった夢が捨てきれず、孔版印刷の一種で当時始まったばかりの謄写印刷(ガリ版)の講習会に積極的に参加し、技術の習得をしながらの制作が始まりました。
 お客様からご要請いただくことを最良の喜びと感じ、持てる最高の技術を発揮するよう努めました。

彦根市誕生のパレード参加者がマルビシ百貨店前に勢ぞろい 1937年
彦根で初めてのレストランのポスター(謄写印刷420×594㎜)

 創業した頃の彦根は、全国でも先駆けた地方都市の百貨店(マルビシ百貨店)が開店しており、その文具売場で謄写印刷機材の販売と同時に孔版研究会を開催しました。当時の謄写技術の習得は現在でいうパソコンの操作と同様の価値があり盛況を博しました。

サンライズのウィンドウ 1938年
年賀状印刷開始のポスターを掲示した状況を報道する当時の新聞記事。
創業と同時に年賀状印刷の受注を開始し、独自のデザインが好評を博した

 注目を浴びたショーウィンドウは東京で見た佐藤兄弟商会の優れた謄写印刷の作品に感化されたようですが、この頃、年賀状のデザインサンプルを作成して受注を開始しました。斬新なデザインや洗練された用紙の選定が人気をよび、デザイン集は全国各地に販売されました。戦時中は特殊技術者として、八日市飛行場で要図や製図を担当し、店舗は軍需作業所となりました。

戦後まもなく設立したヤマト洋裁研究所
ヤマト洋裁生徒募集ポスター(謄写印刷539×386mm)1947年

 戦後は、ヤマト洋裁学院の運営に関わり、今でいうカルチャースクールの展開や洋画研究会、彦根文化同盟など地域の文化事業に積極的に参加し、サンライズの店内は町のサロンのような状態となっていました。豊秀が地域の文化活動に熱中してきた頃、謄写印刷に代わって台頭してきたのがタイプオフセット印刷です。謄写印刷への情熱を持続しながらも、事業の安定化と、時代の要請に応えることを目指し、1960年(昭和35)には、タイプオフセット印刷へ完全に切り替えました。この転身が、後の文字を主体とした印刷会社、さらには出版への展開の発火点となりました。

自費出版から地方出版へ

 印刷業界の技術革新は高度経済成長の時代と呼応して、めまぐるしく進展していきました。当社でも、ワープロの導入から、DTP(DeskTopPublishingの略。パソコンを用いた電子編集、製版システム)への積極的な転換をはかり今日にいたっています。一方、1976年(昭和51)からは自費出版物の受注を本格的に開始し、1994年には図書コードを取得して、滋賀の自然・文化・歴史を伝える「淡海 おうみ文庫」シリーズを創刊しました。2003年7月1日には社名をサンライズ出版株式会社に変更しました。
 印刷も出版も、サンライズの仕事は一つひとつオーダーメイドで心を込めて行われています。創業者が常に口にしていた「少しでも喜んでいただけるために精一杯の仕事をすること」への執着を忘れることなく、お客様にご満足いただけることを最大の喜びと感じることがサンライズの精神です。湖国「滋賀」のすばらしさをより多くの方にお伝えするという使命感をもって、ひたすら謙虚に歩み続けていきたいと念じています。

【書籍紹介】
岩根豊秀の仕事場 孔版画に映し出された湖国のモダニズム

 2007年、創業者・岩根豊秀の生誕100年を記念して孔版画作品中心とした仕事の足跡を辿る展覧会を滋賀県立近代美術館などで開催。図録として『岩根豊秀の仕事場 孔版画に映し出された湖国のモダニズム』を出版しました。昭和の時代、滋賀の商業デザインや印刷メディアの状況も紹介。


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