高校教員時代の部活動 文化部編 ー教育現場①ー

こんにちは😀

今回は高校教員時代のお話をしたいと思います。

いろんなエピソードがありますが、1番苦しかったのは「部活」の存在でした。

新卒して初めての高校に勤めていた頃、その学校は偏差値の低い学校で、勉強が苦手な子が集まっていました(いわゆる底辺校と言われるがそれは生徒に失礼なのでここでは使わない)。部活動の顧問は基本若手は文化部と運動部の2つの顧問・副顧問を任され、余程な部活(例えば強豪野球部のような)でない限りは、ある程度選択はできるものの全員が平等に振り分けられていました。

私は高校の時に卓球部に所属していましたが、大会の成績は阪神地区予選の個人戦で3回戦が良い所の実力しかなく、部活というより勉学に力を注いでいました。そのことは履歴書に一応書ける内容だったので記入した所、運動部では「卓球部(女子)」の副顧問を任されました。

文化部の方は、一応英語の先生ということもあり、「漢検・英検部」というよくわからない部活の顧問を任されました。

それはまだいいのですが、その学校は「全校クラブ」という時間が毎週特定の曜日に設定されており、2年生の1学期まで生徒全員が何かしらの部活に入らないといけませんでした。

皆さんのイメージの中でこの「全員が部活に所属している」をどのように思われますか?私は凄い根性論的なイメージが最初はありました。それは非常に甘い考えだったのが後で気付かされました。

偏差値の低い学校は、単に「勉強ができない」生徒が集まるのではありません。「高卒という証が欲しい」だけの生徒もいれば、将来設計を何も考えていない生徒、何も興味を持たない生徒、何かしらの障害を抱えている生徒、サボり癖の生徒、元不登校生徒など、みんな何かしらの理由を持って、来るべきして来た生徒たちがたくさんでした。部活に精力を注いでいた生徒なんて数が知れていました。

そんな子達にとって「全校クラブ」はただの「学校幽閉」時間です。つまりいかに楽にしてその時間を過ごすか、が多くの生徒たちにとってキーワードになっていました。その主なターゲットが文化部でした。

赴任して間もない私にとって、まず何人部活に入っていて、どんな生徒がいて、「漢検・英検部ってそもそも何?」みたいな気持ちでいっぱいでした。後から知ったのは、「漢検・英検は校内の推薦規定の基準の1つ」というもので、それを入学した生徒に知らされるものの、大体の生徒は頭から消え去ってしまっていました。

そのため、私は顧問の上司に何したら良いかを聞いて見た所、「部活の生徒数?さあ60人は超えているんじゃない?あ、先生って塾講師してましたよね?初回の部活動は何かゲームをさせてあげてください。あと、私はちょっと遅れてきますので。」って「あ、こいつ完全に蚊帳の外人間じゃね?」というまさかの上司ガチャ外れを引きました。

そこから2週間。何したら良いか全くわからず、思いついたのは「英単語のジェスチャーゲーム」でした。前日になるまでにカードを用意して、ジェスチャーがしやすい簡単な単語を選定してカードを急いで作りました。家に持ち帰ってまで仕事をしていました。

そして迎えた当日。「何人来るんだろう・・・?」と思ってみると、「あれ?60以上?いや100人おるやん・・・。」

私は初めての授業がそれだったので、塾講師で集団(といっても6人くらい)を教えていた私でさえもパニックになりました。

「とりあえず私語を止めさせて指示を与えよう」と思って、最初は言葉を選んでいたが、指示を聞かない生徒たちが多く、困り果てて、ついには「話聞け!」と語気を強めて叫んだが、聞く耳もたず。「あれ?動物園かな?」なんて思いました。

「とりあえず聞いている生徒だけに聞かせよう」と思って、とりあえずグループを作ってもらい、とりあえずルールを説明して、とりあえず各グループに数枚のカードを渡して、と半ば強引に進めていきました。

すると生徒は嫌々だった生徒もようやくゲームに参加して、ようやく形になりました。しかし、競争性がなく、盛り上がりが冷めそうなタイミングで、ようやく上司が登場。

すると上司は、「じゃあ1番遅かったグループは腹筋10回な!」と言い出した。「罰則を与えるよくない」と思っていましたが、そこで笑いが起こり、なんとか盛り上がりが冷めずに生徒は満足して帰っていきました。なんとか成功に終わりました。

「これが毎週続くのを考えると…。」とため息を吐きました。すると上司は「これからは教室で勉強させといてね。漢検と英検の冊子があるからこれやらせといて、適当に45分を過ごさせといてね。私は忙しくてなかなか様子見にいけないからよろしく頼むね。」と言いました。地獄かよ…。

「ちょっと待ってください。教室って1教室じゃ無理ですよ!」と私が言ったら、上司は「そうか!じゃあもう1つの教室を借りようか!」、「え?私が2つの教室の面倒を見るんですか?それも勉強をさせるように?」「うん!多分なんとかなるよ〜。」と。ため息。

地獄の1学期でした。やる気のない生徒が無理やり参加させられ、めちゃめちゃに文句言われ、上司は役に立たず、1vs100の相手をさせられました。そして私は思いました。「これからは厳選した生徒のみを入部させよう」と。その案に上司は「いいんじゃない?じゃあやっといて〜。」2学期からは2年生が全員退部したので1年生だけが残りました。私が全ての実権を握り、入部希望の生徒とは直接面談を下して、窓口を狭くしました。作戦はうまくいきました。

しかし、他の部活の先生からは「君が入部者を制限するから、うちの部活に流れてやってくるんやけど?」と言われました。全校クラブは生徒も先生も幸せになれない、そんなことを感じさせる時間でした。

その中での光はありました。部活の中で僕を支持してくれる元中学不登校生徒に英語の課題を与えたところ、高2の3学期の進研模試で英語の偏差値72まで上がりました。

こんな学校ではありましたが、私はそこの学校で自分でも誇れる実績をいくつか残しました。しかし、周りからは私の功績はあまり評価されておらず、わずかな先生だけが私を称賛し感謝の言葉を口にしていました。4年目以降の契約はありましたが、正直、あまり居つきたくない環境でしたので、転職しようと思いました(その学校で病気になりましたが)。その環境についてはまた別の機会に話をしようと思います。

これが文化部の方の顧問の話でした。誰も幸せを生まないシステムが「学校の伝統」「誇れるポイント」として根強く生き残り、モチベーションの低い先生方が多くおり、学校を変えようと意思が全く見えない、「ただ受け身になって働かされている」という政権(?)だったので、入ってはやめていく先生が後を断ちませんでした。そのうちの1人が私でした。「この環境では自分はろくな教師にはなれない」と思い、辞める決意に至りました。

この学校にはさまざまな経験や考え方を学べたので、結果的には悪くなかった、と思っておきたいです😅。

他にも、担任業、英語指導と進学、人間関係など、語れるネタがあります。また後日、教育現場を紹介できればと思います。

次回は運動部の顧問の話をしたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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