勉強はなぜ必要なのか? ー教育論③ー

こんばんは😀

今回の話題は「勉強の必要性」を考えていきます。

そして先に言っておきます。「勉強とは、人生を彩るもの」でしかありません。その彩りを求めたい人ならとことん突き詰めればいいです。

例えば、中学生の頃に二次関数を習いましたよね?あれはいつ使うんでしょうか?なぜ義務教育と定められているんでしょうか?

私は教師をやってきた身であり、しばしば、「英語ってなんで勉強せなあかんの?俺、海外とか興味ないで。」と言われました。

「国が求めているから?」ではありません。「国の指示だから?」でもありません。

「じゃあなんで必要なの?」

この答えは簡単です。それは「学問その物にその答えはない」です。

ではもう一度聞きます。「なぜ二次関数を勉強させられるのでしょうか?」「なぜ現在完了形を覚えないといけないのでしょうか?」

このことを知ったからといって人生の全てを理解したわけではなく、ほんの小さな断片でしかないんです。だから私は授業では「現在完了形の3つの意味」を教えません。知ったから何に使えるのか?それはただの知識を持ち、知識で人を圧倒することが好きなエゴイストの見栄張りのためなんです。

「知っていること」はただのインプットに過ぎず、アウトプットをしない限り、本当に無駄なものにしか過ぎません。

「じゃあ何の為にさせられているのか?」というと、「考える力を育むため」です。

「考える力」とは、これからの時代は誰もが予想できない時代に入っていき、その中で生きていくのに必要な知識をある程度のレベルまで使いこなせる必要があるから、「思考訓練の場」として、学問というものを国が採用したからです。

「現在完了形の3つ意味を知っている」から生きていけるわけではないです。むしろ本当に些細なものにしか過ぎません。大事なのは、「なぜその答えに辿り着いたか?」という考えるに至った過程、つまり「論理的思考力」というものです。

私はこの結論に至ったのはパワハラを受けた後、客観的に自分の教育というものを見つめ直した時です。そこからの私は、「物事の本質を見極めさせる」ことを生徒に求め、その過程に至るまでの「思考訓練」を生徒に与えています。たいていの生徒は私の問いに答えられませんw。でも生徒は自分なりに考えて答えを出した時は、たとえ間違っていても、めちゃくちゃ褒めます。そこから知識や考え方を修正して、正しい解答に近づけさせています。

学問とはただの「知識の詰め込み」ではありません。むしろ助長させているのは、「学力試験」という最も役に立たないもののために必死こいて無駄に汗水を流し、答えの型を覚えさせられ、いい点数を取って大学に入学するまでに至るのです。そこに何の意味があるのか?詰め込み教育はまだ続いていたんです。

だから、今、大学は変わろうとしています。一般入試という知識だけで勝利を掴む人間よりも、知識をきちんと活用し世に貢献できる人間を選定する「推薦入試」が今注目を集めています。

だからもし子供に「何の為に勉強をするの?」と聞かれたら、「考える練習が必要だからだよ」と言ってあげてください。そしたら「考える練習が何で必要なの?」と聞かれます。そしたら「あなたが将来少しでも幸せに生きれるようになるためだよ」と言ってあげてください。

野球選手、サッカー選手、YouTuber、医師、先生など多種多様な職業があります。どんな職業で少しでも給与を貰え健全に生きるためには、「自分で論理的に考える」力が必要となります。よくスポーツトレーナーが選手に筋肉の使い方を教えていますが、あれはおそらく選手自身から考えてどうすればもっと上手くなれるか、を相談しているんだと思います。一流の人間にはそれなりの考え方を持っています。それを実行できた者が人生と社会で成功を収めます。

ステマになりますが、今、Amazonなどで「論理的思考力を育てる本」をいろんな出版社が売り出しています。もし、勉学に悩まれるお子さんがいらっしゃれば、勉強をやめさせて、考える練習に移行してみてください。下の本は見本の一つだと思ってください。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?