自分の字がないという悩み
私は自分の字がない。
昔からそう思っている。小学生の頃からそう思っている。
具体的に言えば「筆跡が変わってしまう」ということだ。書くものだったり紙だったり、その時の気分によって私の字は形が変わる。
多分誰しもそう言うことはあると思う。モチベーションが高い時は丁寧にやるし、疲れていたりやる気がない時は多少雑になったりすると思う。
しかし、はっきり言って私の字はその範疇を超えている。
ちょっと歪むとか、ちょっと曲がるとか、ちょっと雑になるとか、そういうレベルじゃない。まるで人格が変わったかのように、筆跡そのものがまるで変わってしまうのだ。自分は男なのだが女性っぽい繊細な字になる時もあるし、バランスが悪くて大雑把な字になる時もある。大きさ、間隔、細い、太い、止める、止めない。ありとあらゆる文字のバランスが変わってしまうのだ。
自分で言うのも変だが、正直私は字が下手ではないと思う。ちゃんと綺麗に書こうと思えば整った綺麗な字を書くことができる。
ただし”意識すれば”の話。
綺麗に書こうと言う意識をせずに、手の動くままに文字を書くと、気分や道具によって筆跡が変わりまくる。つまり、総合的には下手である。だから文字の完成度とスタイルの振れ幅がかなり大きい。さらに言えば私は手掌多汗症なのだ。
気温や状況とは関係なくめっちゃ手汗をかく。
それによってさらに筆跡が変化する。
今年に入ってから、普通のノートに日記として文章を書くようにしている。その日記を見返してみるとページによって筆跡が違いすぎるところがちらほらあってびっくりする。「誰かと交換日記でもしてんのか?」と思う。
多くの人がそうなのだろうか。
そういうものなのだろうか。
私の小さな悩みである。
しかし、この悩みが最近になってすこしだけ役に立っている気がする。
それは自分の映像作品の題字を書くときだ。
そう、最近私は筆ペンで題字を書くことにハマっている。(スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの影響である。)
題字を書いていて楽しいのは、とにかくいろんな形で文字を書けるということだ。
一定の形の文字を書くことは苦手だが、自由に書けと言われたら書ける。
筆で題字を書くということは、題字の制作という枠をこえて、表現の新しい視点を与えてくれた。
自由に力強く表現ができる。
文字に力が宿る。
言葉を知り、読み、そして書く。
文字を書くことは難しい。
難しいが楽しいのだ。