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愛し愛されて生きるのだ!

先日仕事中に、近くの席のメンバーが「幸せ」についての話題で盛り上がっていた。「ねぇMさんは今幸せ?」「う〜んどうかなぁ?」「不幸ではないけど満足はしてないかなぁ」「Hさんは?」などと言い合っている中、Iさんが「サニーさんは幸せですか?」と私に聞いてきた。私はIさんの言葉の〜ですか?にかぶるくらいの速さで「幸せだよ!」とキッパリ答えた。
みんなは「すごーい」「即答ですね〜」と驚嘆していた。私は「ねぇねぇみんなは幸せじゃないの?何がイヤなの?」と深掘りした。「幸せじゃない訳でもないけど即答は出来ないなぁ」「そうそう、言い切れないよね」と笑っていた。そして誰も私に、なぜ幸せって即答できるのか?とは聞いてくれなかった。

生まれてから今日まで私は大好きな人や大切な人に何人も出会ってきた。
まずは両親。サイコーの2人だ。どこまでも優しい母と大らかな父。怒られたり反対された記憶がほとんどない。
そして兄。小さい頃から優しく、そして己の道を自分で切り開く憧れの存在だ。今でもとても仲が良い。
少ないけれど大切な友達。困ったら間違いなく飛んできてくれるだろうと思える友達がいることは心強く本当にありがたい。
そしてパートナー。言い合いになった時「命くらいいつでもくれてやる。それ以上に何が欲しいの?」と言ってくれたことは一生忘れない。

多くの人が私を愛してくれているという実感が
私にはいつもあった。
けれどだからこそ私は、愛に対して非常に鈍感だ。愛とはいつもそこにあって、手を伸ばせば与えられるものだと思っていたし、そんな自分は幸せだと信じて疑わなかった。

けれど、そんな私に本当の幸せとは何かを教えてくれたのは、わずか8年前に私の元にやってきた娘だ。
娘が私に教えてくれたことは『愛すること』だ。
愛することとは『これさえあれば他には何もいらない』と無条件に言い切れる何かに出会ったということだ。この世には取り替えの効かない絶対的な愛が存在するということだ。私が知った気になっていたのは愛じゃなかったのだ。
愛されていると感じることは、ある種の幻想だ。相手の心に入り込んで真実を確認することは出来ない。けれど、愛することはリアルだ。自分自身がそれを知っている。これさえあれば何もいらないと思える何かに出会うとどうなるのか、私は娘に出会い初めて知った。
心がものすごく強くなり、満たされるのだ。

そんな中、先日Twitterでこんな言葉が流れてきた。
『無条件で愛されているのは、子供ではなく親のほう』
そう、本当にそうだ。子供が与えてくれる愛はあまりにも大きい。こんなに愛され求められたのは生まれて初めてだ。

娘を授かったことで私は、無条件に愛し愛される毎日を過ごしている。これ以上の幸せがあるだろうか?

と、こうして振り返ってみて、あの日会社で「どうしてサニーさんは幸せなんですか?」と深掘りされなくて良かったと思っている。会社でこれを語ったら間違いなくドン引きだ。もう話しかけてくれないかも知れない。
だからここで言いたい。
母になるってサイコーに幸せだ。

サニー

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