【私の音楽遍歴】⑯2016年福岡での1年間~宿命からの誘い~

2016年4月~2017年3月
前述のように僕は福岡糸島の実家近辺に、家族で引っ越して生活を立てなおそうした。
結果は、失敗に終わったというか、チャレンジすらできなかった

37歳、そんなに歳をとってないはずだが、、『九大卒なのに肉体労働しか経験がない』
”意味不明な”男は、多様な価値観が自然と尊重される(いろんな人が多すぎて誰も気にしない)
東京なら受け入れられるが、九大のお膝元福岡では相当やばい、変な奴だと思われたのかもしれない。
なかなか仕事が決まらず、2016年6月僕はやむなく時給1100円の『派遣のオフィスワーカー』の仕事に就いた。

今になって振り返ってみると、このやむなく就いた派遣の仕事が、その後の大きなターニングポイントとなった。
ついたのは電子タバコののコールセンターだった。
電話口でニコチンの禁断症状でイライラしている喫煙者から、クレーム多めのカスタマーサポート。
それでも『1日デスクに座って、電話対応してるだけでよい』なんて、それまでの肉体労働の世界からみたら
天国だった。。クレーマーからのストレスも、さほど感じなかった。

結局、家庭内の意見の不一致が響き、
『都会の便利なところに住み、家庭教育に注力する生活をしたい、旦那には期待できないから、子供たちだけは苦労しないように能力を高めてあげたい』という妻の希望にことごとく反する環境に(妻の心底からの同意を得ることなく)強制連行してしまったのだった。

一番の決定打だったのが、その影響で妻の精神状態がおかしくなりかけたことだ、。
『母親の不安定さは子供の精神発達に深刻な悪影響を与える』と身に染みてわかっていた僕は、
『このままでは同じ負の連鎖を次世代に繋いでしまうかも』と恐れおののいた。。。

そして2017年4月、派遣のコールセンターの職歴があれば、再度東京でなら、ぎりぎりだが生活を立て直せると見えた僕は、、地元で300人規模のコンサートを決行し、実家のくびきにケリをつけ今度こそ本当に東京で子育てとジャズが僕に与えた使命を果たすため、妻の実家(熊本)に妻子を預け、単身で仕送りをし、東京に家族を呼び戻すため、3たび上京することになった。。



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