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終わりよければ全てよし! 〜我が家の中学受験を振り返って〜

約1週間前、我が家の次男ツー太の中学受験が終了しました。

手続きやら制服採寸やら説明会やらで、バタバタでしたが、
ようやく受験を振り返る余裕が出てきました。

2月1日に初戦がスタートし、最後の結果が出るまでの
あの激動の1週間を一言で振り返ると、

「終わりよければ全てよし!」

ってな感じです。

受験の結果は・・・

1月に入り、コロナの新規感染者数が続々と増えていく中。
まずは無事に受けきれるかどうかが、心配でたまらない日々でした。
結局1月はすべて学校を休み、ラスト1週間は塾も休んで、無事に全日程を
受けきることができました。

そして、受験結果は

1月 埼玉県1校(2回受験) → ◎
2月 熱望校(3回受験) → ご縁なし
      第2志望校(3回受験) → ◎ → 進学
      第3志望校(1回受験) → ご縁なし

でした。

合格がもらえなくて非常に苦しい日々。


1月に埼玉県の1校に合格をもらえた以降、
2月に入ってから1つも合格が出ませんでした。
結局、合格が出たのは2月6日。
ここまで合格がなかったのは、非常に苦しかった!

なぜならば、通常は1日の午後や2日に安全校を受験し、早めに合格を持っておくというセオリーがありますが、我が家はそれをしなかったからです。

というのも我が家は安全校と呼べる学校をほとんど受験しませんでした。
熱望校も第2志望の学校も偏差値がツー太の9月〜12月の平均偏差値よりプラス5〜10ある学校でした。
1校のみ偏差値ほぼジャストの学校を受けましたが、こちらは特殊な受験形式を取っている学校だったため、ほとんど対策なしで受験。
今振り返ってみても、なんとリスキーなことをしたものだと思います。

なぜそんな出願にしたのか。
それには理由が2つありました。


セオリーを無視した出願にした理由は・・・


1つ目は1月に受験した埼玉の学校に合格したこと。

こちらの学校は、家から通うと1時間半程度かかるので、遠いことが懸念材料でしたが、校風や取り組みは非常に魅力的な学校でした。
1月の時点でこの学校に通える見込みが持てたことで、2月校をすべてチャレンジすることができました。

そして2つ目の理由は、本人の意志を最大限に尊重したこと。

我が家ではこれまで受験することはもちろん、普段のスケジュールも、勉強の内容も、本人の意志が最優先でした。
どんな場面でも「どうしたい?」「どうだったらいいと思う?」と話し合いを重ね、決めてきました。

なので受験校を決める時も、学校を比較し、本人の気持ちを確認し、成績の状況もシェアした上で、家族で何度も何度も話し合いました。

ツー太の熱望校は偏差値で言うと約10程度、届いていない学校でした。
これは通常ならば受験しないかもしれません。

ですがツー太はその熱望校に対して入塾以来、どんなに成績が悪いときでも一度も迷うことなく
「どうしても受けたい。チャレンジしたい」
と言い続けました。
それが勉強を続けるモチベーションになっているほど意思が固かったのです。

なので「厳しそうだから他の学校を第1希望に変えよう」ではなく、
「よし、そこまで言うんだったら応援するよ!頑張れ!」
と家族で覚悟を決め、意思を尊重して決めました。

ここまで聞くと、
「第1希望の学校がそれだけチャレンジするんだったら、第2、第3希望の学校はもっと偏差値を下げた学校を受ければいいじゃん?」

と思いますよね?

はい、そうなんです。
塾の「併願を考える説明会」でもそう説明を受けました。

ですが、我が家は第2、第3志望の学校を決めるときも偏差値ではなく、ツー太のやりたいこと、学校のカラーや売りがツー太に合うかどうかで選びました。
あくまで本当に通いたいか、で選んだんです。

その結果、安全校と呼べる学校がない状態での受験になってしまいました。

が、何度も話し合いを重ねた上での決断だったので、特に迷うことなく出願し、過去問に取り組みました。

もちろん、偏差値に乖離がある状態だったので、過去問を取り組んでも苦しかったです。
ですが、回数を重ねるごとに着実に合格最低点に近づき、最後は熱望校も第2希望の学校も何とか戦える状態で2月を迎えました。

受験期間中は・・・


こうして決めて納得して臨んだ受験でしたが、いざ入試が始まり、連日試験を受け、不合格の通知を見続けるのは本当に辛かったです。

「これは本人が決めた道なんだから、どんな結果が出ても本人の人生だ」と割り切ってみたり、
「ツー太なら次こそやってくれるはずだ」と可能性を信じてみたり。
と思ったら、「やっぱりもっともっと幅広く学校を探しておけば良かったのかも」と後悔の念が湧いてきたり。

いろんなポジティブな気持ちとネガティブな気持ちがグルグルして、生きた心地がしませんでした。

でも、そんな風に私の感情がブレブレだったことはツー太には微塵も感じさせず、どーんと構えてる肝っ玉母ちゃんを見事に演じきった・・・つもりです。

最後に合格が出た瞬間

受験が終盤になってきても合格が出なかったため、
私の心の中ではほぼ、埼玉県の学校にお世話になる心づもりで過ごしていた2月6日。
待ち望んだ「合格」の文字を見ることができました。

ツー太が思い焦がれた熱望校には手が届きませんでしたが、その残念な気持ちを「チャレンジしてよかった!」という清々しい気持ちに浄化してくれたのは、紛れもなく第2希望の学校の合格でした。


振り返ると

今となっては無事、合格をもらえたので「終わり良ければ全てよし!」と言えますが、こんなスリリングな受験は決してオススメしません 。
もっと手堅い併願をオススメします(笑)

ですが、子どもの意思を最優先に受験に取り組んだことに一点の後悔もありません。
常に「何のためにやっているのか?」「どうしたらより良くなるのか?」「どうしたいのか?」をツー太との対話を繰り返しながら、取り組んできたからこそ、ここまで続けることができたし、結果にも納得できたと思うからです。

受験を通じて対話を重ね、そこで得た濃密な家族の時間。
ありきたりな表現ですが、家族の絆が深まった時間でした。

こう思うと中学受験は「合格」という結果が欲しくて、がむしゃらに取り組んできましたが、得られたものは結果だけではありませんでした。

母親としての自分の弱さ、未熟さと向き合う体験だったり。
塾の先生方、個別に指導してくださった先生方、エールを送ってくれたすべての人達への感謝だったり。
語り尽くせないほど迷い、悩み、喜び、笑い、いろんな感情を味わったことだったり。
ツー太によりよい伴走をしたい気持ちからコーチングと出会ったり。

多くのものを得られた、私の人生にとっても本当に価値のある経験でした。

受験を終えて1週間。
ようやく気持ちが落ち着いてきたいま、こんな風に感じています。


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