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火を焚き星を見れていない話

 火を焚き星を見たいと言ってから、早数ヶ月。実はまだ火を焚き星を見に行けていない。

 7月の新月を狙ってキャンプに行く気持ちはあった。確かにあったはずなのだ。けれども行けていないのは、このご時世で仕方ない理由があるにはある。
 緊急事態措置区域だったのだ。
 予定していたスケジュールで一番早く予約できるタイミングだった5月頭、その時点で市営施設だった私が行きたいキャンプ場は臨時休業になった。
 待てど暮らせど休業続き、仕方ないとは思いつつも7月のシフトを出すタイミングになっても休業が終わる気配がなかった。そうして私は諦めてしまった。
 多分その頃、地元のオールナイト野外フェスの中止も発表された。
 最早泣きっ面に蜂状態だが仕方ない。そういう時代だ。そう自分に言い聞かせながら取りあえず庭で焚かれる火をぼんやり見つめてみたり、帰り道で目を凝らしてうっすらと輝く星を追っていた。何故か唐突に花火までした。庭で。

 ついでにいつもは市の反対側に出るクマが、頑張れば徒歩圏内みたいな場所に出たりもした。特番が組まれている状況にヒヤヒヤしながらも、その日は天気が良いからと焼き肉の予定が組まれていた。
 肉を買っている間に件のクマは駆除されていたので、もしも肉の匂いに誘われてクマが出たら物置にあったチェンソーで応戦してやるというよく分からない決意は決意だけで終わってしまった。血の気が多すぎる。

 ようやくキャンプ場の休業は終わったけれど、今度は私のスケジュールが合わない。
 元々予定していた事だったが、引っ越しの準備に休日が埋まりはじめたのだ。
 思った以上にトントン拍子に進んでしまった転居の準備は、成り行き任せとはいえ自分が住む場所と反対の不動産屋に行くのはアウトドア思考の割にインドアかつデスクワーク人間な私にはちょっとした重労働で。文明から離れて火を焚き星を見たいという欲望だけが取り残されたまま今に至ってしまった。

 そして、ここ数日の猛暑に溶けそうになりながら、一つの気付きを得た。

 キャンプの醍醐味って何だろう。と考えたとき、火を焚き星を見る事と文明から離れる事をよけてしまえば「早朝の冷たい空気と朝露に濡れた緑の香り」だった。
 夏の朝、まだ世界が熱される前の薄明の頃。夜の名残の冷えた空気と、朝露にしっとりと濡れる湿った草木が香る時間。そんな時間にぶらりと歩く事が割と好きだった。
 最後にそれをしたのはいつだっただろう、多分大学時代にサークル合宿で行ったキャンプ場だろう。
 確かあれは夏ではなく春と秋だったけれど。
 当時音楽系のサークルのくせに何故かキャンプ場で合宿をしていた私が所属していたそのサークルは、音楽系によくある酒をとんでもなく呑むサークルで。
 だからといって酒の強要はそんなにないタイプの良心的なサークルだった。
 飲み潰れた先輩方の間を縫うように進みこっそりとバンガローから抜け出して、外の空気を目一杯に吸い込む。緑が多い場所特有の湿った草木の香りにどこかホッとする。
 そして少しだけ歩いてバンガローに戻る。そんな朝が多分キャンプ場に行った最後の記憶だ。

 ――あぁ、家でもこの空気は嗅げるのか。

 寝苦しい夜を越えて、日が昇りはじめた薄明の時間帯。遮光なんて考えてすらいないような薄っぺらいロールカーテンは朝4時頃には外の明るさに負けて私を叩き起こしてくる。
 そして籠もったような蒸した空気を外に出すために窓を開けた瞬間に気付いてしまったのだ。
 夜に冷やされた朝の空気と、濡れた緑のあの香り。
 一軒家である実家の庭は、祖母と母による無計画植樹のなれの果てとも言えるようなちょっとした雑木林になっている。
 サクランボの木は剪定を免れのびのびと2階を超しているし、ナナカマドなんて近隣に建っている3階建てのマンションと変わらないかちょっとだけ背が高い。更に隙間を埋めるようにオンコや紅葉、紫陽花その他諸々がみっちりとでも言うかのように植わっているのがうちの庭だ。
 グーグルマップの航空写真で見ると、住宅地の中でうちだけが何だか鬱蒼としている。
 そして、私の部屋はそんな庭に面している。

 キャンプに行った朝でしか嗅げないと思っていたにおいが、嗅げてしまった。
 私の口からも思わず「キャンプじゃん」と零れた朝4時過ぎ。

 世界がもう少し落ち着くまで、家の中で緑の香りを嗅ぎ庭で火を焚き、星に思いを馳せようと思う。
 世界が落ち着いたら、文明から離れる為にもキャンプをしてやる。待ってろよ。

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