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きみと、シャボン玉記念日。


こどもの【できない】は、かわいい。

とうもろこし、が とうもころしになっちゃうだとか。
えれべーたー、が えべれーたー、とか。
てれび、が てべり、とか。

でもそれは、いつかすぐにできるようになっちゃうとわかっているから。

桜の花が散るように、儚い、今だけの未熟さだとわかっているからかわいいのだ。

私は障害児親になって、たくさんの知識をつけた。

子どもの言い間違いに【定番】があるのは、口腔機能の発達にある程度決まった順番があるからだと知った。

こどもの発音が曖昧なときに、かわいい、よりも先に口腔機能が未熟なんだなと思うようになった。

もはや一種の職業病だ。
娘のことを愛していて、たくさん勉強しなきゃと頑張った結果、純粋にかわいいと思う心を失ってしまった。悲しい取引である。

サニーちゃんは、シャボン玉が吹けなかった。

ストローを吹いてシャボン玉を作るには、口をすぼめるだとか、息を強く吐きすぎないだとか、言葉を話すことにつながる筋肉の発達が必要らしい。

サニーちゃんは、シャボン玉が吹けない。

そのことを確認すると悲しかったから、シャボン玉をするときは、ストロータイプのものは避けた。

わっかのやつとか。電動のやつとか。

資格優位のサニーちゃんは、シャボン玉がキラキラ舞うのを見るのが大好きだ。

シャボン玉遊びはたくさんやったけど、ストローはどうせできないから、と渡さなかったし、無意識に捨てていた。

どうせできないと決めてしまうことは、とても楽だったように思う。

つい最近のことである。

公園で、お友達がシャボン玉セットを持ってきてくれた。

「サニーちゃん、どうぞ!」

お友達に誘われたサニーちゃんは、はじめのうちは見慣れた電動のシャボン玉のおもちゃで遊んでいた。

できたりできなかったり、手伝ったりいつものように遊んでいたとき。
あの定番の、定番なのに触らせていなかった、鮮やかな黄緑色のストローが彼女の目に止まった。

ドキッ、とした。

サニーちゃんは、これは何か、と目線で問いかけてくる。

「これはねぇ…ふーって吹くやつなんだけど。できるかなあ」

まっすぐに母を見つめ、いつものクレーンの動きで、黄緑色のストローを母に手渡してくる。

これは、やれ、の命令である。

母は観念して、見本を吹いてみる。
先端から勢いよく噴き出すシャボン玉に、サニーちゃんの目はキラキラしている。

「…やってみる?」

ドキドキする母。ストローを受け取るサニーちゃん。

「こうして、液をつけるの」

母の真似をして、ストローを口に咥える。
模倣が、だいぶうまくなったものだ。

「ふーって、できる?」

吸っちゃうかな。
勢いよく吹いて、不発になるかな。

そう思った瞬間。

サニーちゃんのストローの先から、無数のシャボン玉が勢いよく噴き出した。

え、偶然?もういちど。

またしても元気に噴き出す、シャボン玉。

「すごい!じょうず!」

まいにち歌って、少しずつでも毎日しゃべって。
サニーちゃんの口腔機能は、いつのまにかシャボン玉を吹けるぐらいになっていたのだ。

その後飽きるまで何度も、シャボン玉を吹いた。
キラキラ舞うその光景は、どんな星空よりも輝いて見えた。宝石よりも宝物になった。

シャボン玉が吹けた、それだけのこと。

きっと、私がこの子の親でなかったら、できて当たり前のこととして見逃してしまっていたかもしれない。

それだけのことが、一生の想い出になる。

ゆっくりの子育ての醍醐味。
それをじゅうぶんに味わった日の、きっと忘れられない、シャボン玉の思い出のはなし。



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