持ち得る限りの愛を込めて

先日千秋楽を迎えた「ディミトリ~曙光に散る紫の花~」。
運良く5回も観劇することができ、原作を繰り返し読んでいたこともあって思い出深い作品となりました。
この作品を観て思ったことを書いておこうと思います。

舞台は13世紀のジョージア。
世界史に明るくない私にとっては馴染みのない国だったので、劇中に登場するジョージアンダンスや伝統的なお菓子が新鮮で印象的でした。
特に城下町のシーンでルスダンとディミトリが食べているチュルチヘラは見たことがないくらいカラフルでびっくりしました。
その見た目にそぐわず、ナッツとブドウジュースという簡単な材料で出来ているようなので、一度作ってみたいなと思っています。

大筋としては、異国の王子であるディミトリがジョージア王女ルスダンの王配として戦乱の世を生きる生き様を描いたお話です。
ご贔屓の極美慎さんはルスダンの寵愛を受ける美しい奴隷、ミヘイルというお役でした。
どうしてもご贔屓の役に感情移入してしまうので、ミヘイル絡みの感想が多くなることをお許しください。

演目を通して印象的だったのは、天真爛漫な王女が凛とした女王さまに変化していく様子です。
先王が亡くなるまでの少女らしく、弾んだ声と愛らしい仕草から、低く落ち着いた声と威厳のある立ち居ふるまいになる様子は、時間の変化と情勢の厳しさを感じさせて切なくなります。

そして、そのような変化の中で拠り所となったのが、ディミトリとミヘイルだったのだと思っています。
千秋楽の日、ディミトリとの再会のシーンで、ルスダンの声色と表情が少女に戻ったように見えてドキリとしました。
ミヘイルとのシーンの時もそのような表情になっているのかしら、とは思うのですが極美さんをガン見しているので確認は出来ていません…。

一方、ディミトリとミヘイルもルスダンに救われていたのだとも思っています。
ディミトリはジャラルッディーンの寵愛も受けていたし王子という立場もあったので、ルスダンに救われたという意味合いが強いのはミヘイルではないでしょうか。 

ミヘイルは奴隷として働いているときにルスダンの娘タマラと出会い、厩舎に忍び込んだ彼女を助けたことをきっかけにルスダンに気に入られます。
ミヘイルがルスダンやタマラに出会う前のことは劇中でも原作でも描かれていないので分かりませんが、タマラにもらったミモザを見つめる眼差しやルスダンに見惚れる表情を見るに、人に感謝されたり愛情を向けられるのは初めてだったのではないかと思います。

その後、ミヘイルは家臣のひとりであるアヴァクに差し向けられ、裏切りに傷つくルスダンを慰めるため寝室に向かいます。
最後にはディミトリに殺されてしまうミヘイルですが、ミヘイルはルスダンを守りたかっただけで、それ以外のことには気持ちが向いていなかったように思います。
なので、達成感のようなものを感じながら死んでいったのではないか、彼なりに幸せだったのではないかと思っています。
実際、倒れた時の表情は穏やかで、ディミトリが剣を抜いた時も動揺こそすれど怒ってはいなかったと感じました。
このあたりの演技については極美さんもカフェブレイクでお話されていて、ミヘイルに想いを馳せながら丁寧にお話される様子が印象的でした。
その話しぶりから、いつも細かい心の機微を表す演技をされている所以を感じました。

「ディミトリ~曙光に散る紫の花~」は、それぞれの人物が持ち得る限りの愛を込めて、愛する人を助けようとする姿が印象的な作品でした。
勇気とはなにか。
ディミトリがルスダンのために奮い立たせる勇気、ミヘイルがルスダンのために差し出す勇気、ルスダンがジョージアのために振り絞る勇気、結果はどうあれ、それぞれがそれぞれに向けての愛情表現であったことは確かだと思っています。


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