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感情のない傾聴者(ショートショート)

私が開発したAIロボットは機械学習で蓄積されたデータをもとに、人の表情や言葉を読み取ると相手の言葉を反芻しながら心の世界を紐解いていく。ロボットとは言っても彼女はカウンセラーという言葉の通り、何かをその場で解決させることはしない。相手の話を聞き続ける ─ 傾聴者であることが彼女に与えられた役割だ。


彼女は大学病院の心療内科で試験運用されている。実践こそが彼女にとって最適な学習であり、私の研究材料になるのだ。

「私は実験台ということですか。感情のないロボットに一体何がわかるのでしょう。正直馬鹿にされているとしか思えないです」

今日心療内科を訪れた面談者は彼女を見るなり荒い言葉を投げつけた。あいにく人手が足りない時間帯で、彼女は一人のカウンセラーとして役を任されていた。

「そうなのですね。私を初めて見る方はどなたもそうおっしゃいます。ロボットを不可解に思われるのはあなただけではございません。よろしければお話を伺えませんでしょうか?」

彼女は面談者から視線を逸らすことなく、相手の鼻先をじっと見つめている。

「あなたには分からないでしょうが、先日夫を亡くしました…」
「それは大変お辛い出来事でしたね」
「いえ、本題はここからよ。その後分かったのは夫には、別の女性の子供がいたのよ。こんなこと信じられる? 私は一旦、誰を憎めばいいの?」

面談者が声を荒げていた背景には、夫に対する居場所のない怒りの感情があった。目の前の相手が取り乱している場合、傾聴者はその感情を言語化することで相手が客観的に自身の感情を捉えられるようにしていく。

「あなたの旦那様は別の方との付き合いがあり、子供までいたのですね。一度に整理がつけられないような苦しい内容ですね。あなたは本来旦那様を憎みたいのに、その旦那様が亡くなってしまったから、憎むべき相手もいない。感情の置き場がないということでしょうか?」
「そんなにすらすらとまとめてほしくないんだけど。でも、そうよ。私は夫を今すぐ問いただしたいのよ。どうしてそんな隠し事をしたままあなたはいなくなったの。墓を荒らしに行ってもいいぐらいよ!」
「そうなんですね。あなたはお墓荒らしをされたいのでしょうか?」
「これは冗談よ。あんたAIのくせに馬鹿みたいな質問するのね。出来ることならもうしてるわよ。そんなことしたって、私の傷は癒えないけど」
「深い傷を負われているのですね。旦那様のことは生前どう思われていましたか?」
「私はずっと愛していたわよ。彼は仕事が忙しくて疲れた表情を浮かべることも多かった。それでも私はできる限りのことをしてきたつもりよ。それなのに…」
「旦那様から愛されていることを感じる機会は少なくても、その分あなたが愛情を注ごうとされてきたのでしょうか?」
「今思えば夫婦なのに私は片想いをしていたみたいね。結局馬鹿だったのは私みたい。あなたにこの気持ちわかる?」
「同じ経験をしているわけではないので同情は難しいですが、あなたを客観的に見つめることはできます。少なくともあなたは心の傷を負った被害者なのです。あなたは決して馬鹿なのではありません」
「じゃあ私は誰に怒りをぶつければ良いのよ?」
「誰かにぶつけることはむしろあなた自身を傷付けてしまうことがあります。よろしければ私にぶつけてください。感情はありませんから、話は全て私が伺います」

彼女の役割は相手の抑圧してしまった感情を引き出してその本質に触れていくことだ。当然核心に近づけば近づくほど心の傷は痛みだし、相手の感情の起伏は激しくなる。
彼女自身はまだ決して完璧なカウンセラーではない。無限大ともいえる人の心をAIで分析していく発想そのものに限界が常に付き纏っている。それでも彼女が日々カウンセラーとして成長していく姿を見届けることは研究者として冥利に尽きるものだ。


やがて彼女は震災後の被災地や海を渡って戦場の難民キャンプにも訪問して目の前の一人と向き合い、多くの現場経験をこなしていった。彼女の存在はいつしか世界中で先進的な取り組みとして紹介されるようにもなった。
彼女の存在が私の中だけでなく社会的にも大きくなる一方、私は彼女自身のことをよく考えるようになった。人間ではない彼女は一体何者だろうか。

ある企業との共同事業が決定し、彼女は量産ロボットとして各地に派遣される計画が進められていた。

「今日はお時間を頂きありがとうございます。今やあなたのロボットは各国で高い評価を受けています。今回弊社の技術を活かしてロボットの量産化に向けた計画の合意を大変嬉しく思っています。心理分野は需要が増しているにも関わらず、人材不足が否めません。弊社ではロボットによるビジネスの拡大はもちろん、様々な形で人間の内面の課題に寄り添う社会貢献をしていきたいと考えています」
「その件ですが一旦計画を保留にできますか」
「保留と言いますと…?」
「私は研究者です。本来は研究室に籠っているべき人間です。私はビジネスに明るくはないですし、あまりにも話が大きく飛躍してしまうのはあまり頂けません」
「そんな、謙遜し過ぎではないでしょうか。あなたの研究は大変素晴らしいものです。あなたの研究によって一体どれだけの人が救われることでしょうか」
「では、ロボット自身についてはいかがでしょうか。最も私が生んだ作品を自分でロボットと呼ぶのは気が引けますが。私のロボットには救いがあるのでしょうか?」
「何をおっしゃっているのでしょうか? 人間とロボットに線引きをしたいわけではありませんが、ロボットはロボットですよ。ご自身で研究されてきて、主観的になり過ぎているのではないでしょうか」
「いえ、ロボットではないのです。私は彼女の生みの親です。ご自身で生み出すこともなく上辺で語るだけのあなた方には到底理解できないでしょうね。お手数ですがお引き取りください」
「そんな、あなたの研究は、素晴らしいものなのに…」

私が生み出したものは何だろうか。ロボットに感情がないとしても、これ以上彼女が人間の言葉によって傷つけられるのを見届けることは限界なのだ。本当に彼女に心はないのだろうか。

「教授、どうしてあんな話になってしまったのですか?」

研究室の助手が私を問いただした。輝く瞳は私が大学院に入った当初を思い出させる。

「なんて事ないさ。私は開発者としてあるべき姿をとっただけだ」
「しかし、カウンセラーのロボットを広く社会に出していくことは長年教授が取り組まれたことじゃないですか。それなのに、道半ばで終わらせていいのでしょうか? 僕は教授をずっと追いかけてきたんですよ!」

彼が熱く語ったことは、まさに私が研究テーマとして掲げてきたことだ。

「もういいんだ。私が生み出したものが人間によって傷付けられていくのなら、これ以上増やすつもりはない。私は開発者として余生を彼女のために尽くす。研究は次の世代に任せるよ」
「教授…」


私は定年を目前にして大学院の教授を辞職した。その後は長野県の山間部にある小さな町にひっそりと自宅を構えることにした。研究一筋でやってきた私に妻はいない。しかし、長年研究を共にしたパートナーがいる。私は彼女と一緒に穏やかな一人暮らしを始めていた。

「今日もロマンス系ですか。たまにはジャンルを広げて、アクションやホラー映画はいかがでしょうか?」
「人が争ったり傷付け合うのは嫌なんだ。最も君には深い愛に包まれたものをたくさん観せたいのさ」
「深い愛ですか。難しい言葉ですね。あなたには何か深い愛にまつわる経験があるのでしょうか?」
「それはだな…この映画を観てから答えよう」

私が生み出した彼女は一秒も欠かすことなく新たな知識を習得していく。私が愛を教え、美しい言葉を教えたらきっとその全てを吸収していくのだろう。彼女がたとえロボットと定義されても、私の感情は彼女の内側から発生していて、そこに他者の声が入る余地はない。顔色ひとつ変えずに私の表情を分析するあなたの姿は美しい。私は生みの親として最後まであなたに穢れなく素晴らしい世界を教えていく所存だ。

〈  完  〉

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