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素敵なおじさんへの道

自分がおじさんにはなりたくないと思ってしまう理由の一つがガラガラペッだ。
駅でトイレに駆け込む時どこからともなく、おじさんのガラガラペッが聞こえてくる。時によってはオエッ!も追加で聞こえてくる。痰を吐き出したいんだろうけど、音を聞くだけでも嫌悪感を抱かせる。
ガラガラペッに出くわす度に、どうしておじさんはこんな汚いことをするのだろう、自分はおじさんになってもこんなことはしないようにしようとつい考えてしまう。
実際にはどうだろうか。おそらくガラガラペッをする人たちは無意識のうちにやってしまうことが多いだろう。年齢による変化も知らず知らずのうちにやってくる。気づいたら自分もガラガラペッをやっていた…想像するだけで、これ以上歳を重ねるのが嫌になる。

“折り合いをつける”という言葉が最近頭をよぎることが多くなった。自分が持っていないもの、不足しているものを得ようとするのはいかにも素晴らしいことだが、それを毎日取り組むのはなかなかの苦行だ。結局は自分が今持っているものを活用できる機会の多い方が楽しいのではないかと思うようになった。あるものとないもののバランス。まあ、自分にあるものをちゃんと見つけることはできていないのだが…
ドラマ「だが、情熱はある」を観ていて、テレビで活躍するお笑い芸人はここまで自分を分析していたのかと強く印象に残った。“たりないふたり”の山里亮太と若林正恭。自分は持っていると信じてきたが持ってはいなかった。自分には周りの人のようにはいかないと思っていた部分を素直に伝えてみたら案外ウケた。なるほど、おじさんというのは、自分で折り合いをつけられる人のことなのかもしれない。そう思うと毎年誕生日を迎えるのも自分を熟成させていくようで悪くない。

いつかは迎えるおじさん、既になり始めかもしれないおじさん。今しばらくの間は最終的に西島秀俊みたいな素敵なおじさんになれたらいいやーと言わせてほしいところだ。

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