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やまない雨はないだとか

明けない夜はないとか、やまない雨はないとか。そんなこと知ってる。でも、明けない夜に朝を探して、やまない雨に青空を探す私に、そんな言葉は届かなかったりする。

人生は演技だ、と私は思った。…ひとりの人間はあらゆる段階の心を、あらゆる良きものや汚いものの混沌を抱えて、自分ひとりでその重みを支えて生きてゆくのだ。まわりにいる好きな人達になるべく親切にしたいと願いながら、ひとりで。

TUGUMI 吉本ばなな

愛読者の友はこの文を引用していた。特に後半部分は私の目標というか、モットーというか、忘れたくない気持ちというか、何だろう。最近の私が大事にしていたことだったので、あまりにも簡単にこの文の深い意味までも理解できた気になった。

悩みは測れないし、比べられない。他人にも自分にも測れないし。他人の悩みと自分の悩みを比べることもできない。

痛みを知る人は人に優しいという言葉の意味はよく分かるが、それよりも痛みを知って、人の優しさに気が付けるという方がピンとくる。

自分のことはよく知っているつもりだ。吉本ばななが言うように、自分の「良きものや汚いもの」の両方に気づきながら生きている。

だから、好きな人にできるだけ優しくしたい。

誰にも測れない「悩み」や、誰かの優しさにに気づくことができる人の「痛み」に優しく気づきたい。

「明けない夜はない やまない雨はない」なんて背中を押してくれるようなありがたい言葉を知りながら、

明けない夜に、一緒に珈琲を飲んで朝まで起きてあげれるような。
やまない雨の中、同じ傘を逆さにさして雨があがるのを待ってあげれるような。

そんな人になりたいなと思い、願う。

「人生は演技だ。」

吉本ばななのこの一言が私の国語力と想像力を悩ませた。どうしても、この一文がうまく文に引っ付いてくれなかった。でも自分の中での答えはやっと出た。私なりの解釈。

人生は演技だ。好きな人へ優しさは、いつも正直ではないのかもしれない。むしろ、素敵な嘘なのかもしれない。

麦茶の気分だとしても、カフェイン入珈琲で同じ夜を過ごす。雨が上がるまで雨宿りの気分でも、同じ雨の中に雨を感じる。優しくありたいと願い、自分に嘘をついて演じる。

眠れない夜に眠れない私になり、悲しみの雨を流す日に悲しみの雨の中にいて片方の肩を濡らす。

好きな人が自分の明けない夜ややまない雨の日に登場してそうしてくれるように。

人生は演技だ。自分にだけは優しくなれなくても、好きな人への優しさを演じる。だって、好きな人は自分に優しさをくれるから。

自分の中に汚さを見つけてもひとりで抱え、入り交じった感情に惑わされてもひとりでその感情を全部積み重ねる。でもそんな汚くて重苦しい私の一部を好きな人はとりあえず認めてくれる。

結局、ひとりじゃないんじゃないか?吉本ばなな!!!だから好きな人に親切なんじゃないか!?という解釈。

人生は演技でも、そんな部分も全部包み込んでくれるような好きな人にすでに出会ってたりするから、そう思う。


※よく分からなくなってきたので、添削も吟味も校閲もせずに、世に放ちます。人生は演技なので、今日はあえて演技せず。辻褄が合ってなくてもいいや〜。

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